名称 | 石神神社 |
---|---|
住所 | 青森県青森市入内 |
タイプ | 神社 |
参考リンク |
ご利益
- カミサマ(東北の民間霊能者)の修行地。
参考文献:『ムー』428号 学研
- 社殿の裏に「石神様」と呼ばれる人面岩がある。右目が天照大神(アマテラスオオミカミ)、左目が月読之命(ツキヨミノミコト)をあらわすとされる。
- 石神様を発見したのは長内弥十朗という杣人(「そまびと」と読む。きこりのこと。)。弥十朗は眼病を患っていたが、ある日、山にある清水で目を洗うと眼病が治るという不思議な夢を見た。翌日、普段通り山に入った弥十朗は夢とまったく同じ風景の場所に出て、そこで石神様を発見する。石神様の右目の窪みには水が溜まっており、その水で目を洗ったら夢と同じようにたちまに眼病が治ってしまったという。以後、石神様は眼病に霊験あらたかであるということが広まり信仰する者が多くなっていった。
- しかし明治の初めに、神社の形態が整ってないとの理由で石神様信仰は禁止され、石神様を破壊する石工が派遣されてきた。ところが、いざ破壊しようとすると石工の手足がしびれたり氷雨が降るなどの怪異が頻発したため、破壊は中止されてしまった。その後、明治38年に石神神社は再び神社として認められ今日に至っている。
参考文献:『本当は怖いパワースポット』 宝島社
石神神社へ行ってきました
青森市にある石神神社へ行ってみました。
正確な場所を把握していなかったので、たどり着くのにちょっと苦労しました。
入内の集落から山の方へ数キロ入っていかねばなりません。
道は途中から林道になります。
林道をしばらく行くと鳥居を発見。
「お、これか?」と思って立ち寄ってみました。
階段を降りていくと突如滝が姿を現しました。
滝の前には祭壇が設けてありました。
滝行でもするのでしょうか?
淡嶋大神なるものもありました。
これが例の人面岩かと思ったのですが違いました。
しばらく周囲をウロウロしましたが人面岩はなかったので、ここは石神神社ではないなと思い、もう少し先へ行ってみることに。
そしてもう少し先へ行ってみると、なにやら建物が見えてきました。
ある宗教団体の建物らしかったです。
聞いたことのない団体名でしたけど。
車がとめてあったのでちょっと驚きました。
でもよく見るとナンバープレートがなくて使われていない車のようでした。
この日は誰もいなかったっぽいです。
鳥居のところに「石神神社」と書いてあります。
ようやく見つけました。
近くに「聖地巡り略図」というのが掲載されていて、山中の聖地巡りの順路みたいなものが描いてありました。
ここら辺の山中には様々な御神体岩を祀ってあるらしく、それを巡拝できるコースがあるみたいです。
ここに来る前に見た滝や淡島大神の岩もその聖地の1つだったようです。
以下に案内板に書いてあった石神神社の由来を記しておきます。
鳥居をくぐり階段を登ると石神神社がありました。
わりと新しい感じの社殿です。
そして神社の裏に回ると、
ありましたよ!
人面岩の石神様!
うーむ、けっこうインパクトありますね。
右目が天照大神で、左目が月読之命をあらわしているらしいですが・・。
目のところには少し水がたまっていました。
この水で目を洗ったら眼病が治ったという話もあるそうですが、私はちょっと遠慮しておきました。
正確な場所を把握していなかったので、たどり着くのにちょっと苦労しました。
入内の集落から山の方へ数キロ入っていかねばなりません。
道は途中から林道になります。
林道をしばらく行くと鳥居を発見。
「お、これか?」と思って立ち寄ってみました。
階段を降りていくと突如滝が姿を現しました。
滝の前には祭壇が設けてありました。
滝行でもするのでしょうか?
淡嶋大神なるものもありました。
これが例の人面岩かと思ったのですが違いました。
しばらく周囲をウロウロしましたが人面岩はなかったので、ここは石神神社ではないなと思い、もう少し先へ行ってみることに。
そしてもう少し先へ行ってみると、なにやら建物が見えてきました。
ある宗教団体の建物らしかったです。
聞いたことのない団体名でしたけど。
車がとめてあったのでちょっと驚きました。
でもよく見るとナンバープレートがなくて使われていない車のようでした。
この日は誰もいなかったっぽいです。
鳥居のところに「石神神社」と書いてあります。
ようやく見つけました。
近くに「聖地巡り略図」というのが掲載されていて、山中の聖地巡りの順路みたいなものが描いてありました。
ここら辺の山中には様々な御神体岩を祀ってあるらしく、それを巡拝できるコースがあるみたいです。
ここに来る前に見た滝や淡島大神の岩もその聖地の1つだったようです。
以下に案内板に書いてあった石神神社の由来を記しておきます。
<<入内の石神神社>>
藩政時代、「石神様」としてその霊験が広く宣伝された。日月輪の自然石から湧き出る清水が難病や眼病治癒に効果があったという。大祭の陰暦6月16日前後は、参詣する人が後を断つことがなかった。杉の大樹はそのことを物語っている。
草創年月は不詳であるが、霊泉の発見者は、眼病を煩っていた小館村(現青森市)の弥十郎という人であると伝えられている。
明治初年、神仏混淆禁止のとき、神社の形体が未整備の理由から信仰を禁止させられた。
しかし、霊泉を求める人が多く祈祷所を願い出たが、明治5年、県庁から「愚民を惑わす妖言」として不許可になった。その後、自然石の破壊も試みられたという。
明治38年、三上東満によって再開発され、以後、小野林之助、成田嘉七に継承され聖地として整えられた。祭神は天照皇大神、月夜見大神、大山祇大神、例祭日は陰暦の4月、6月、9月の16日である。
藩政時代、「石神様」としてその霊験が広く宣伝された。日月輪の自然石から湧き出る清水が難病や眼病治癒に効果があったという。大祭の陰暦6月16日前後は、参詣する人が後を断つことがなかった。杉の大樹はそのことを物語っている。
草創年月は不詳であるが、霊泉の発見者は、眼病を煩っていた小館村(現青森市)の弥十郎という人であると伝えられている。
明治初年、神仏混淆禁止のとき、神社の形体が未整備の理由から信仰を禁止させられた。
しかし、霊泉を求める人が多く祈祷所を願い出たが、明治5年、県庁から「愚民を惑わす妖言」として不許可になった。その後、自然石の破壊も試みられたという。
明治38年、三上東満によって再開発され、以後、小野林之助、成田嘉七に継承され聖地として整えられた。祭神は天照皇大神、月夜見大神、大山祇大神、例祭日は陰暦の4月、6月、9月の16日である。
鳥居をくぐり階段を登ると石神神社がありました。
わりと新しい感じの社殿です。
そして神社の裏に回ると、
ありましたよ!
人面岩の石神様!
うーむ、けっこうインパクトありますね。
右目が天照大神で、左目が月読之命をあらわしているらしいですが・・。
目のところには少し水がたまっていました。
この水で目を洗ったら眼病が治ったという話もあるそうですが、私はちょっと遠慮しておきました。