名称 | 大崎八幡宮(おおざきはちまんぐう) |
---|---|
住所 | 宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 大崎八幡宮HP |
ご利益
- 仙台藩主だった伊達家の守護神社。
- よい運気を体に定着させてくれる。
- 拝殿前でゆっくり過ごすとよい。
参考文献:『李家幽竹と行く 幸せパワースポット』 李家幽竹 ダイヤモンド社
- 船形山(1500m)を祖山とするパワースポット。船形山から七ツ森に流れる生気を広瀬川が明堂水となって受け止めている。大崎八幡宮のほかにも瑞鳳殿がこの龍脈の影響を受けておりプチパワースポットになっている。ちなみに青葉城にはパワーが流れてきていない。
- よい運気を体に定着させることができるパワースポット。幸福を継続させたり人生を安定させることができる。
- 拝殿の前が強いパワースポット。
- 参道に少し陰の気が感じられる所がある。早足で通り過ぎるとよい。
- 午前中に参拝するとよい。
- 雨の日の参拝は避けた方がよい。
参考文献:『李家幽竹 最強龍穴パワースポット』 李家幽竹 山と渓谷社
大崎八幡宮へ行ってきました
宮城県仙台市にある大崎八幡宮に行ってきました。
写真は一の鳥居です。
大きな朱塗りの立派な鳥居です。

二の鳥居をくぐると石段があります。

石段手前の左側に大日如来堂がありました。
いちおう参拝しておきました。

石段を登りきると三の鳥居があって参道がまっすぐ続いています。
私のリサーチによると、参道に陰の気が感じられる場所があるとのことだったのですが、自分的にはよくわかりませんでした。
本には「やや早足で通りすぎろ」みたいに書いてありましたが、「いい参道じゃないの~」と呑気にゆっくり歩いてしまいました。

参道の途中にあった神馬舎。
昔は馬がいたらしいですが今はいません。

参道を歩いていくと長床が見えてきます。
質素ですが歴史を感じさせる建物です。
国の重要文化財の指定を受けているとか。

こちらが大崎八幡宮の社殿。
質素な感じの長床とは対照的に豪華絢爛といった感じの建物です。
国宝に指定されているそうです。
結婚式をやっていたらしく雅な音楽が境内に流れていました。
私のリサーチによると、この拝殿の前が強いパワースポットになっているとのことです。

最後に案内パンフレットにあった大崎八幡宮の由緒を記しておきます。
写真は一の鳥居です。
大きな朱塗りの立派な鳥居です。

二の鳥居をくぐると石段があります。

石段手前の左側に大日如来堂がありました。
いちおう参拝しておきました。

石段を登りきると三の鳥居があって参道がまっすぐ続いています。
私のリサーチによると、参道に陰の気が感じられる場所があるとのことだったのですが、自分的にはよくわかりませんでした。
本には「やや早足で通りすぎろ」みたいに書いてありましたが、「いい参道じゃないの~」と呑気にゆっくり歩いてしまいました。

参道の途中にあった神馬舎。
昔は馬がいたらしいですが今はいません。

参道を歩いていくと長床が見えてきます。
質素ですが歴史を感じさせる建物です。
国の重要文化財の指定を受けているとか。

こちらが大崎八幡宮の社殿。
質素な感じの長床とは対照的に豪華絢爛といった感じの建物です。
国宝に指定されているそうです。
結婚式をやっていたらしく雅な音楽が境内に流れていました。
私のリサーチによると、この拝殿の前が強いパワースポットになっているとのことです。

最後に案内パンフレットにあった大崎八幡宮の由緒を記しておきます。
<<御由緒>>
平安の昔、東夷征伐に際して、坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく、守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県奥州市水沢区に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。
その後室町時代に奥州探題大崎氏はこれを自領、現大崎市田尻に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。大崎氏の後は、仙台藩祖伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方向にあたる現在の地を神域として定め、政宗公の命により慶長9年(1604)工事が始められ、3年後の慶長12年に遷座祭が行われ、仙台藩総鎮守として鎮座されました。
この際、旧領の羽前国米沢にて代々尊崇しておりました成島八幡宮も共に祀られました。
御社殿造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代一流の工匠が京、大阪、和歌山などから招聘され、その手に成った御社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が遺憾なく発揮されたもので、藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、仙台62万石の総鎮守として伊達家の威風と桃山美術の絢爛たる息吹とを今に伝えております。
毎年9月には15日を中心に例大祭が行われ、藩政時代より続く流鏑馬神事や宮城県指定無形民俗文化財の能神楽、八幡町ゆかりの雀踊り、そして総勢500名を越す神幸祭(神輿渡御)などが盛大に斎行されます。
又、1月14日には正月送りの神事として全国的に有名な、正月飾りを焼納する松焚祭(どんと祭)が行われ、一晩で10万人の参拝者が訪れ終夜境内を賑わします。
平安の昔、東夷征伐に際して、坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく、守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県奥州市水沢区に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。
その後室町時代に奥州探題大崎氏はこれを自領、現大崎市田尻に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。大崎氏の後は、仙台藩祖伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方向にあたる現在の地を神域として定め、政宗公の命により慶長9年(1604)工事が始められ、3年後の慶長12年に遷座祭が行われ、仙台藩総鎮守として鎮座されました。
この際、旧領の羽前国米沢にて代々尊崇しておりました成島八幡宮も共に祀られました。
御社殿造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代一流の工匠が京、大阪、和歌山などから招聘され、その手に成った御社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が遺憾なく発揮されたもので、藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、仙台62万石の総鎮守として伊達家の威風と桃山美術の絢爛たる息吹とを今に伝えております。
毎年9月には15日を中心に例大祭が行われ、藩政時代より続く流鏑馬神事や宮城県指定無形民俗文化財の能神楽、八幡町ゆかりの雀踊り、そして総勢500名を越す神幸祭(神輿渡御)などが盛大に斎行されます。
又、1月14日には正月送りの神事として全国的に有名な、正月飾りを焼納する松焚祭(どんと祭)が行われ、一晩で10万人の参拝者が訪れ終夜境内を賑わします。