名称 | 大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき) |
---|---|
住所 | 秋田県鹿角市十和田大湯万座45 |
タイプ | 遺跡 |
参考リンク | 大湯環状列石HP |
ご利益
- 万座環状列石と野中堂環状列石の中心を結んだ直線は、東は冬至の日の出方向を指し、西は夏至の日没方向を指す。
- シャーマンの霊が出る。でかい。
- 万座環状列石のまわりにある環状配石遺構は、入口から日が差し込む時間を計る時計みたいなもの。
- 万座環状列石は、一番早く雪が溶ける場、大地のヘソ、赤い巨人の神と繋がっている特別な場。
- 野中堂環状列石は、死者たちの村。霊魂が周囲をまわってる。
参考文献:『スピ☆散歩 ぶらりパワスポ霊感旅 3』 伊藤三巳華 朝日新聞出版
- 絆を強めて目的を成就。
参考文献:『開運!日本のパワースポット案内』 一個人編集部編 KKベストセラーズ
- 約4000年前に造られたとされる。
- 大湯環状列石に関しては以下のような説がある。
- 祭礼の場所説。
- 共同墓地説。しかし墓穴とされる場所から人骨は見つかっていない。
- 日時計説。しかし数が多すぎる。
- 磁力エネルギーの電池説。
- 宇宙人の基地説。
- 天文台説。しかし縄文期の人々が高度な天文知識を持っているのは不自然。
参考文献:『超古代文明と神々の謎』 古代文明研究会編 日本文芸社
- 野中堂環状列石と万座環状列石の2つを主体とする縄文時代後期(約4000年前)の遺跡。
- 広々として抜けている感じがする。
- 時空とつながっている感覚がある。
- 縄文という感じがする。
- ストーンサークルは宇宙との交信のためにつくられた巨大なシグナル。
- 太陽信仰のためのストーンサークルだと思われる。
- ストーンサークルの延長上にきれいな三角形の形をした黒又山がある。
- 敷地内を歩き自分の落ち着けるポイントを探すとよい。その気持ちの良い場所でグラウンディングをするとよい。
- 自分がこの地にいた時に何をしていたのか思いを馳せながら瞑想するとよい。頭がスッキリする。
参考文献:『スピリチュアリスト・大村真吾が選ぶ 開運つながるパワースポット』 大村真吾 セルバ出版
- 大湯環状列石は、万座、野中堂の2つのストーンサークルと周辺の遺跡の総称。約4000年前の縄文時代後期に作られたとされる。
- ここから黒又山がきれいな三角形に見える。
- 万座環状列石ではエネルギーが螺旋状に昇っていっている。
- 野中堂環状列石の方は大地へ沈み込むようなエネルギーの流れがある。
- ここで大地のエネルギーを集めて黒又山で増幅されている。
- 万座、野中堂2つのサークルの中心を結んだラインは、夏至の日の入りと冬至の日の出の太陽の位置と重なる。夏至と冬至の日に活性化されるエネルギーを集め増幅している。このライン上に立ちエネルギーを感じるとよい。
- 大湯環状列石を見た後に黒又山を訪れるとよい。
参考文献:『パワースポットニッポン』 ヴォイス編集部編 ヴォイス
大湯環状列石へ行ってきました
秋田県鹿角市にある大湯環状列石に行ってきました。
朝早く行ったら途中にある田んぼや山々に霧がかかっていて神秘的でした。

そんでもって大湯環状列石に到着。

適当に歩きはじめて環状列石を探します。
なるほど、たしかに広々していて抜けたような感じのする場所です。
ただ地面の芝生に朝露が付着しており、歩くと靴が濡れました。

広大な敷地の中のあちこちに石が配置されております。
でも説明板とかは一切ありません。
実際に目で見て肌で感じてもらいたい、ということから説明板は設置しない方針でやってるんだそうな。
解説などは遺跡の隣にある大湯ストーンサークル館で見れるそうです。

これは何でしょう?

これは一体?
電柱?
なわけないですね。

そして、この高台の前に広がるのが万座環状列石です。
高台の上からしばしストーンサークルを眺めながら縄文時代の昔へと思いを巡らしました。
昔の人はここで何をしていたんだろうと。
私のリサーチでは、この列石からは螺旋状にエネルギーは立ち昇っているらしいのですが、鈍感な私には特に何も感じるものはなかったです。


道路を挟んで、今度は野中堂環状列石の方へ行ってみました。

こちらが野中堂環状列石です。
ここは大地へ沈み込むようなエネルギーがあるとのことなのですが、うーむ、わかりません。

ここ大湯環状列石からは黑又山がきれいに三角形に見えると聞いていたので、周囲を見渡して探してみました。
それっぽい山を確認できました。
ここで集めたエネルギーがあそこで増幅されているとか。
マジっすか?

こちらが大湯ストーンサークル館。
大湯環状列石についての解説や出土した土器などを展示してあるとこです。
まだ開館時間前で閉まってましたけど。
開館は午前9時からだそうです。

最後にストーンサークル館の掲示板に貼ってあった大湯環状列石の概要を記しておきます。
朝早く行ったら途中にある田んぼや山々に霧がかかっていて神秘的でした。

そんでもって大湯環状列石に到着。

適当に歩きはじめて環状列石を探します。
なるほど、たしかに広々していて抜けたような感じのする場所です。
ただ地面の芝生に朝露が付着しており、歩くと靴が濡れました。

広大な敷地の中のあちこちに石が配置されております。
でも説明板とかは一切ありません。
実際に目で見て肌で感じてもらいたい、ということから説明板は設置しない方針でやってるんだそうな。
解説などは遺跡の隣にある大湯ストーンサークル館で見れるそうです。

これは何でしょう?

これは一体?
電柱?
なわけないですね。

そして、この高台の前に広がるのが万座環状列石です。
高台の上からしばしストーンサークルを眺めながら縄文時代の昔へと思いを巡らしました。
昔の人はここで何をしていたんだろうと。
私のリサーチでは、この列石からは螺旋状にエネルギーは立ち昇っているらしいのですが、鈍感な私には特に何も感じるものはなかったです。


道路を挟んで、今度は野中堂環状列石の方へ行ってみました。

こちらが野中堂環状列石です。
ここは大地へ沈み込むようなエネルギーがあるとのことなのですが、うーむ、わかりません。

ここ大湯環状列石からは黑又山がきれいに三角形に見えると聞いていたので、周囲を見渡して探してみました。
それっぽい山を確認できました。
ここで集めたエネルギーがあそこで増幅されているとか。
マジっすか?

こちらが大湯ストーンサークル館。
大湯環状列石についての解説や出土した土器などを展示してあるとこです。
まだ開館時間前で閉まってましたけど。
開館は午前9時からだそうです。

最後にストーンサークル館の掲示板に貼ってあった大湯環状列石の概要を記しておきます。
<<大湯環状列石の概要>>
大湯環状列石は、鹿角市十和田大湯字野中堂、字万座に所在する2つの環状列石を主体とする縄文時代後期(約4000年前)の大規模遺跡です。
野中堂、万座環状列石はいずれも100基以上の配石遺構の集合体で、二重の環状(外帯・内帯)に配置されており、いわゆる「日時計状組石」は各々の環状列石の中心からみて北西側の外帯と内帯間に位置しています。野中堂環状列石の規模は径44m、万座環状列石は径52mを計ります。
2つの環状列石に使われている石のほとんどは石英閃緑玢岩と呼ばれるもので、環状列石から東方約7kmの安久谷川から運んできたものです。
環状列石を構成する配石遺構は、これまでの発掘調査結果より、個々の配石遺構は「配石墓」であり、その集合体である環状列石は「集団墓」であることが判明しました。
環状列石隣接地の発掘調査も行っており、各々の環状列石を取り囲むように掘立柱建物、土坑、貯蔵穴、遺物廃棄域(もの送りの場)が同心円状に広がっていることが分かりました。
また、環状列石周辺や台地縁の発掘調査も行われており、万座環状列石の北東・北西側台地縁からは竪穴住居、同列石の北東50m地点からは環状配置の掘立柱建物群、野中堂環状列石南側30m地点からは配石遺構群が発見されています。
たくさんの遺構とともに多量の縄文土器、石器、土製品、石製品が出土しています。
土器は後期前葉から中葉に使われたもので一般的には「十腰内式土器」と呼ばれますが、花弁状の文様やS字を横に連続した文様を持つものは「大湯式土器」とも呼ばれています。後期になると用途に合わせて色々な形の土器が作られるようになりますが「片口土器」はこの遺跡を代表とする土器です。
環状列石が作られた時期に土偶、キノコ形・動物形土製品、足形付土版などの土製品、石棒、石刀などの石製品といった祭祀に使用する道具がたくさん作られます。土偶や足型付土版は子孫繁栄や子供の成長を祈り、キノコ形・動物形土製品は豊作を祈り・感謝するマツリに使用されたものと考えられます。
各々の環状列石は「集団墓」と考えられます。それに隣接して建てられた掘立柱建物は列石との位置関係や周囲から出土した祭祀の遺跡から葬送儀礼や自然に対して畏敬の念を表す施設であったと考えられます。
大湯環状列石は、鹿角市十和田大湯字野中堂、字万座に所在する2つの環状列石を主体とする縄文時代後期(約4000年前)の大規模遺跡です。
野中堂、万座環状列石はいずれも100基以上の配石遺構の集合体で、二重の環状(外帯・内帯)に配置されており、いわゆる「日時計状組石」は各々の環状列石の中心からみて北西側の外帯と内帯間に位置しています。野中堂環状列石の規模は径44m、万座環状列石は径52mを計ります。
2つの環状列石に使われている石のほとんどは石英閃緑玢岩と呼ばれるもので、環状列石から東方約7kmの安久谷川から運んできたものです。
環状列石を構成する配石遺構は、これまでの発掘調査結果より、個々の配石遺構は「配石墓」であり、その集合体である環状列石は「集団墓」であることが判明しました。
環状列石隣接地の発掘調査も行っており、各々の環状列石を取り囲むように掘立柱建物、土坑、貯蔵穴、遺物廃棄域(もの送りの場)が同心円状に広がっていることが分かりました。
また、環状列石周辺や台地縁の発掘調査も行われており、万座環状列石の北東・北西側台地縁からは竪穴住居、同列石の北東50m地点からは環状配置の掘立柱建物群、野中堂環状列石南側30m地点からは配石遺構群が発見されています。
たくさんの遺構とともに多量の縄文土器、石器、土製品、石製品が出土しています。
土器は後期前葉から中葉に使われたもので一般的には「十腰内式土器」と呼ばれますが、花弁状の文様やS字を横に連続した文様を持つものは「大湯式土器」とも呼ばれています。後期になると用途に合わせて色々な形の土器が作られるようになりますが「片口土器」はこの遺跡を代表とする土器です。
環状列石が作られた時期に土偶、キノコ形・動物形土製品、足形付土版などの土製品、石棒、石刀などの石製品といった祭祀に使用する道具がたくさん作られます。土偶や足型付土版は子孫繁栄や子供の成長を祈り、キノコ形・動物形土製品は豊作を祈り・感謝するマツリに使用されたものと考えられます。
各々の環状列石は「集団墓」と考えられます。それに隣接して建てられた掘立柱建物は列石との位置関係や周囲から出土した祭祀の遺跡から葬送儀礼や自然に対して畏敬の念を表す施設であったと考えられます。