名称 | 蚶満寺(かんまんじ) |
---|---|
住所 | 秋田県にかほ市象潟町象潟島 |
タイプ | 寺 |
参考リンク |
ご利益
- 神功皇后が新羅遠征の帰途、ここらへんに上陸したという伝説がある。応神天皇の出生地も筑紫ではなく陸奥。
- 慈覚大師が創建。山号は神功皇后に因んで皇宮山。
- 応神天皇の木像は神功皇后が鎧の袖を掛けた松から造られた。
参考文献:『日本の伝説1 北海道・東北』 日本伝説拾遺会監修 教育図書
蚶満寺へ行ってきました
蚶満寺にやってまいりました。
仁寿3年(853)に慈覚大師円仁が開山したお寺だそうです。
写真は松尾芭蕉像で、ここ象潟は彼も訪れた景勝の地だとか。
田んぼの中に小島みたいなものがいっぱいあってたしかに面白い風景でした。
でも、芭蕉が訪れた頃は入り江だったようです。
江戸時代後期ごろに地盤が隆起して陸地になってしまったのだとか。

昔は海に島がいっぱい浮かんでいる松島みたいな感じだったのかもしれません。
芭蕉は松島と象潟について「松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし」と表現したとか。
あと「象潟や雨に西施がねぶの花」という句も残しているそうです。
西施は中国春秋時代の越国の人で、国を救うために敵国呉に身を捧げた悲劇の美女だそうです。
芭蕉像の近くに西施の像も建っていました。
山門です。
くぐると受付があります。
拝観は有料でたしか300円くらいだったと思います。
「北条時頼公のつつじ」とか「親鸞聖人腰掛の石」とか「出世稲荷」とか色々ありましたね。

お寺の周囲に点在する島を少し巡ってみました。
これはお寺のすぐ近くにある駒留島だったと思います。

島からの眺め。
田んぼの向こうにそびえる鳥海山は美しいですね。
でも、土地隆起後も残る島々を崩して新田開発を進める勢力と、それを阻止したいお寺の間で揉めたとかいう話が、どこかに書いてあったような気がします。

海の方にもちょっと行ってみました。
小高い山の上にベンチが設置されているところがあって、そこで腰かけてしばらく日本海を眺めました。
いいところでした。

仁寿3年(853)に慈覚大師円仁が開山したお寺だそうです。
写真は松尾芭蕉像で、ここ象潟は彼も訪れた景勝の地だとか。
田んぼの中に小島みたいなものがいっぱいあってたしかに面白い風景でした。
でも、芭蕉が訪れた頃は入り江だったようです。
江戸時代後期ごろに地盤が隆起して陸地になってしまったのだとか。

昔は海に島がいっぱい浮かんでいる松島みたいな感じだったのかもしれません。
芭蕉は松島と象潟について「松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし」と表現したとか。
あと「象潟や雨に西施がねぶの花」という句も残しているそうです。
西施は中国春秋時代の越国の人で、国を救うために敵国呉に身を捧げた悲劇の美女だそうです。
芭蕉像の近くに西施の像も建っていました。
山門です。
くぐると受付があります。
拝観は有料でたしか300円くらいだったと思います。
「北条時頼公のつつじ」とか「親鸞聖人腰掛の石」とか「出世稲荷」とか色々ありましたね。

お寺の周囲に点在する島を少し巡ってみました。
これはお寺のすぐ近くにある駒留島だったと思います。

島からの眺め。
田んぼの向こうにそびえる鳥海山は美しいですね。
でも、土地隆起後も残る島々を崩して新田開発を進める勢力と、それを阻止したいお寺の間で揉めたとかいう話が、どこかに書いてあったような気がします。

海の方にもちょっと行ってみました。
小高い山の上にベンチが設置されているところがあって、そこで腰かけてしばらく日本海を眺めました。
いいところでした。
