名称月山(がっさん)
住所山形県西村山郡・鶴岡市など
タイプ
参考リンク

ご利益

  • 出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)は亡くなった人に会える場所。亡くなった人に会う場合は湯殿山→羽黒山→月山の順に参拝。
  • 月山の神はあちらの世界の高次の存在等とコンタクトできる。伝言を頼める。
  • 亡くなった人を天上に連れ帰ってくれる。
  • 参考文献:『神社仏閣は宝の山』 桜井識子 ハート出版

  • 本尊は阿弥陀如来。垂迹は月読命(つくよみのみこと)。
  • 参考文献:『図説 日本呪術全書』 豊島泰国 原書房

  • 蜂子皇子が羽黒山に次いで開山した。
  • 噴火の記録がなく「死の山」と呼ばれた。
  • 明治時代まで死者霊を救済する阿弥陀如来が祀られていた。
  • 現在は山頂にツクヨミが祀られている。
  • 参考文献:『[図説]日本の魔界地図』 志村有弘監修 PHP研究所

  • 標高1984メートル。
  • 飛鳥時代に皇族である蜂子皇子が開山したと伝えられる。
  • 羽黒山、湯殿山とともに「出羽三山」と称される。
  • 山頂にある月山神社には月読命(つきよみのみこと)が祀られている。
  • 出羽三山の中でもひときわパワーが強い。
  • 目標に向かって前進するパワーを授かる。
  • ストレス解消。
  • 心の癒し。
  • 生命力アップ。
  • 羽黒山で心を清め、湯殿山で心を癒し、月山でパワーを充電するのがよい。
  • 月山の副峰・姥ヶ岳にある月山スキー場では夏スキーが楽しめる。
  • 参考文献:『早分かり!日本のパワースポット』 幸運社 大和書房

  • 出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の1つ。
  • 「修行の山」とも呼ばれ厳しさを持つ。冬は立入り禁止になる。
  • 山頂にはツキヨミノミコトを祀った月山神社がある。
  • 参考文献:『江原啓之神紀行6』 江原啓之 マガジンハウス

  • 月山の中でとっておきの場所が御浜池。道のりが険しいので装備を整え気を引き締めていくこと。
  • 静寂の力がある。
  • 人生の転機やゼロからのスタートの際に訪れるとよい。
  • 2回目に訪れたときは仕事運と金運がアップする。
  • この地にはある種の門があり、開くときと開かないときがある。
  • 欲を持たず素直な心で訪れるとよい。
  • 参考文献:『心を癒す風水パワースポット45』 御堂龍児 講談社

月山へ行ってきました

山形県にある月山にチャレンジです。
リフトでも途中まで行けますが、私は歩いて登りました。
パワースポットはなるべく歩いた方がいいのです。
月山


木道が整備されている箇所もあってけっこう歩きやすいです。
月山


山頂直前は岩がゴロゴロあって登りも急でかなり苦しい。
月山


山頂までもう少しというところで曇っていた空もだいぶ晴れてきました。
いや~、いい眺め。
月山


そして頂上へ到着。
山頂は広々しています。
山小屋や月山神社本宮があります。
月山山頂
月山山頂
月山山頂


こちらが月山神社本宮です。
中は撮影禁止だそうですので写真はありません。
参拝するにはお祓いを受ける必要があります。
お祓料として500円かかります。
月山神社本宮
入口のところに書いてあった月山神社本宮の由来を以下に記しておきましょう。
<<月山神社本宮の由来>>
出羽三山とは、月山・羽黒山・湯殿山の総称で崇峻天皇の御子なる蜂子皇子の御開山とされ、それぞれのお山には神社が鎮座し、併せ出羽三山神社と称し「東三十三ヶ国総鎮護」として人々の広く篤い信仰に支えられて現在に至っています。月山頂上(標高1984米)に鎮座する月山神社本宮は延喜の制による明神大社で東北唯一の官幣大社であります。ご祭神「月読命」は天照大神の弟神で、月を象徴する神として、夜、海、魂や死後(命の再生、蘇り)の世界を司り、天下泰平、国土安穏、産業発展、五穀豊穣、大漁満足に霊験あらたかとされています。また月山は、祖霊安鎮の山としても尊崇されております。
せっかく来たので私もお祓を受けて参拝してきました。
参拝するとお守りと登拝認定証がもらえました。
月山登拝認定証とお守り


まだ時間に余裕もあったので弥陀ヶ原や中ノ宮があるところまで行ってみようと思いました。
写真にある建物は仏性池小屋で、さらに向こうに見える山は鳥海山です。
仏性池小屋と鳥海山


仏性池の前にあった真名井神社や石仏です。
真名井神社
仏性池と石仏


ここが弥陀ヶ原。
いくつもの沼があります。
鳥海山を背景にして素晴らしい景色です。
感動です。
来て良かった。
弥陀ヶ原


中ノ宮にあった御田原神社(みだはらじんじゃ)です。
御祭神は奇稲田姫だそうです。
御田原神社
御田原神社
以下に「御田ヶ原と月山神」の説明および「御祭神の由緒起源」を記しておきます。
<<御田ヶ原と月山神>>
明治以前の神仏習合の時代、月山には神である月読命と仏の阿弥陀如来が祀られ、月山権現として崇められていた。八合目の湿原「みだがはら」の由来を江戸時代の文献に求めると、「小屋の岩頭に阿弥陀如来の銅像を安置したことから、俗に呼ぶ弥陀ケ原と旧記に載る所は御田ヶ原である。日神の御田は天の安田・天の平田・天の邑併田(むらあわせた)の三ヶ所に有り、これらは皆良き田である。こうしたことから、諸神の国社に御田植ること古式なれば、このような丘山にも神田を開かれたのであろう」とあり、天照大神の御田としての「御田ヶ原」であると記している。
さて、明治3年(1870)神仏分離により「権現の名で呼ばれているものはすべて神とし、祠の中に仏像があれば速やかに取り除き、神体に改めよ」との命令を受け、月山は月山神社として阿弥陀如来を取り除き、武速須佐之雄大神(たけはやしすさのおのややかみ)は即(すなわち)月山神であるとして祀った。また御田ヶ原では岩頭の阿弥陀如来に替え、武速須佐之雄大神の妻の奇稲田姫(櫛名田比売)を御祭神として祀った。明治6年(1873)3月、赴任した西川須賀雄宮司が月山を参拝された折に捧げた祝詞が日記に残されているが、その一文に「此の月山に鎮座る月読大神又御名武速須佐之雄大神の御前に白(まお)さく・・・」とあり、月読命と武速須佐之雄大神が同神とされたことが伺える。
ここ八合目の湿原はいにしえより天のお花畑にも喩えられ、雪の消える跡を追うように咲くニッコウキスゲや秋を知らせるミヤマリンドウなど、たくさんの草花が高山の澄んだ空気に冴えわたり登拝者の心を和めてくれる。また晩秋には池塘の回りの馬蹄草(雑草)があかく色付き、まるで黄金に実った稲田を想わせる。こうした光景が人々に神田といわせるゆえんで、稲作に豊穣をもたらす力、あるいは豊かに実る稲田自体を神とする奇稲田姫(櫛名田比売)が祀られるのはもっともなことである。因みに奇・櫛は「霊妙な」の意で、古より馬蹄草の多少によって年穀の豊凶を卜う作だめしの御田とされている。
御田原神社の御社殿は、月山神社本宮の20年に1度の式年遷宮による古材をそのまま用いて建てられる。ゆえに、月山頂上の本宮参拝が叶わない人にとっては遥拝所として、また籠もり所としての機能ほ果たし、本宮参拝と同様の御神徳に与るとされている。

<<御田原神社>>

御祭神 
奇稲田姫神(くしいなだひめのかみ)

系譜
大山祇の子の足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)夫婦の娘

神格
稲田の守護神・豊穣の神

神徳
縁結び・夫婦和合・五穀豊穣

御祭神由緒起源
高天原より追放された須佐之男命は、出雲の肥の河上へと降り立った。そこで八岐大蛇に生贄として捧げられるはずの奇稲田姫神を「つゆ爪櫛」に変身させて髪に挿し、八岐大蛇を退治する。須佐之男命によって救われた女神はこの後に須佐之男命の妻となり、出雲の須賀の地に須賀宮を建て暮らした。神名の「櫛・奇」は霊妙なという意で、稲作に豊穣をもたらす力、もしくは豊かに実る稲田自体を神格化したものである。言い換えれば、この神話は、須佐之男命に由来する文化すなわち治水の技術によって、河の氾濫を起こす荒々しい水霊が制御され、稲田による生産が保護されるようになった時代の消息を記す農耕起源譚である。



月山、とてもいい山でした。
月山
月山
月山
月山