名称湯殿山(ゆどのさん)
住所山形県鶴岡市田麦俣字六十里山7
タイプ神社
参考リンク出羽三山神社HP

ご利益

  • 伊達政宗誕生。政宗の母義姫は、亀岡文殊堂の長海上人に依頼して、湯殿山で優れた男子の誕生を祈願。
  • 参考文献:『あなたの知らない山形県の歴史』 山本博文監修 洋泉社

  • ご神体のオレンジ色の岩の周りには蛇がいる。その蛇は神様。
  • 参考文献:『神社が教えてくれた人生の一番大切なこと』 和田裕美 マガジンハウス

  • 以下、即身仏になる方法。
  • 最初の3年3ヶ月、五穀を断つ。
  • 次の3年3ヶ月、十穀を断つ。
  • 食べていいのは草根木皮だけ。
  • 厳寒でも水垢離。
  • 仙人沢に穴を掘って入り入定。
  • 3年3ヶ月後、掘り起こし即身仏を寺に安置。
  • 以上。
  • 即身仏を志す理由は、真言宗の即身成仏の思想、また弥勒菩薩の説法に接するため。
  • 参考文献:『日本の伝説2 東北』 日本伝説拾遺会監修 教育図書

  • オオヤマツミノ神、オオアナムチノ神、スクナビコナ命を祀る。
  • 羽黒山=現在、月山=過去、湯殿山=未来。三山を歩くことを三関三度(さんかんさんど)といった。
  • 湯殿山総本寺・瀧水寺大日坊で真如海上人の即身仏を拝める。6年に1度の衣替えの際、衣の一部をお守りとしていただける。
  • 参考文献:『眠れないほど面白い日本の「聖地」』 並木伸一郎 三笠書房

  • 神仏習合時代、ご神体岩への登拝は大日如来との一体化ととらえられた。戒名を書いた紙を脇にある濡れた巨岩に貼り付け湯水で文字が消えると死霊が成仏するとされた。
  • 参考文献:『究極 日本の聖地』 鎌田東二編著 中経出版

  • 山岳系神様。大きい。強い。厳しい。お願いは何でもOK。ご神体ではなく山の上空にいた。亡くなった人を探して連れてきてくれる。
  • 参考文献:『神社仏閣は宝の山』 桜井識子 ハート出版

  • 御神体は温泉の湧き出る巨岩。撮影禁止。土足厳禁。
  • 大日坊に真如海上人(しんにょかいしょうにん)の即身仏がある。真如海上人は江戸時代の人。92歳で入定。6年に1度、丑年と未年に衣替え。古くなった御衣はお守に入れて一般信者にも配布。
  • 注連寺に鉄門海上人(てつもんかいしょうにん)の即身仏がある。鉄門海上人は鶴岡生まれ。文政12年(1829)、62歳で入定。武士を斬り殺した、眼病退散祈願のため自らの眼球をえぐり出した、などの話がある。
  • 参考文献:『日本の謎と不思議大全 東日本編』 人文社

  • 出羽三山は月山、羽黒山、湯殿山の総称。第32代崇峻天皇の子、蜂子皇子(能除太子)が3本足のカラスに導かれて羽黒山に登頂したのが始まりとされる。
  • もともとの三山は、羽黒山、月山、葉山。月山には採燈森(さいとうもり)、羽黒山には荒沢、葉山には白磐(はくばん)神社と、それぞれに奥の院があった。湯殿山は三山の総奥の院的位置づけだった。
  • 参考文献:『日本の聖地ベスト100』 植島啓司 集英社

  • 出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の開祖は能除太子(蜂子皇子)とされるが、湯殿山別当は弘法大師を開山と主張してきた。
  • 中世には、羽黒山、月山、葉山または鳥海山を出羽三山とし、湯殿山は奥の院だった。室町後期から現在の三山体制(羽黒山・月山・湯殿山)になり、三所権現と呼ばれるようになった。
  • 寛永18年(1641)、天台宗が羽黒山と月山を掌握。湯殿山だけは真言宗の影響力が強かった。
  • 明治の神仏分離令などにより、別当4寺のうち半分は出羽三山神社に合流。残りは真言の法流を伝えた。
  • 本尊は薬師如来と大日如来。垂迹は少彦名命(すくなひこなのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)。
  • 参考文献:『図説 日本呪術全書』 豊島泰国 原書房

  • 出羽三山の奥の院。
  • 熱湯の湧き出る巨岩が御神体。豊穣の象徴、女性器の象徴などとされる。
  • 大日如来を本地仏とする。
  • 即身仏になる荒行が行われた。
  • 参考文献:『[図説]日本の魔界地図』 志村有弘監修 PHP研究所

  • 修験道のカリスマ役小角(えんのおづぬ)が月山を訪れたところ、開祖の従者に「まず湯殿山で修行をしてこい」と追い返された。
  • 出羽三山の奥の院で最も聖なる場所。
  • 御神体を直に見れる。
  • 聖域に入るには裸足になりお祓いを受ける必要がある。
  • 御神体については「語るなかれ、聞くなかれ」という決まりがある。写真撮影も禁止。
  • 御神体は女性が出産する姿を象徴しているといわれる。
  • 参考文献:『日本の聖地99の謎』 歴史ミステリー研究会編 彩図社

  • 大山祇命、大己貴命、少彦名命の三神を祀る。
  • 日本を代表する修験道の霊地。
  • 本殿や拝殿はなく、お湯の湧き出る巨岩が御神体。
  • 御祓いを受けてから巨岩に裸足で登る参拝スタイル。足拭き用のタオルを持っていくとよい。
  • 水虫退散。
  • 脚に効く。
  • 参考文献:『開運風水!最強パワースポット入門』 龍山白虎 高橋書店

  • 出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の1つ。
  • 出羽三山の「奥の院」と言われる。羽黒山、月山で修行を積んできた修験者が最後に訪れ仏の境地に至る霊場。
  • 湯殿山神社には社殿がなく、こんこんとお湯が湧き出る巨岩が鎮座している。「生まれいずる瞬間のエネルギー」が満ち溢れている。
  • 現実の苦しさに疲れた人、今の自分を変えたい人、切りたい縁がある人など、魂の再生を果たしたいと願う人は訪れると良い。ご神体から溢れ出す再生のエネルギーによって、生まれ変わるための大切なメッセージが得られる。
  • 冬は閉鎖される。
  • 参考文献:『江原啓之神紀行6』 江原啓之 マガジンハウス

湯殿山へ行ってきました

山形県鶴岡市にある湯殿山へやって参りました。
けっこう山の中にありますが車で行けます。
赤い大きな鳥居が目を引きます。
湯殿山
鳥居


売店の前から参拝バスが出ていて本宮入口まで行くことができます。
歩いても行けますけど。
私は歩きました。
舗装された道路ですし歩いても十分行ける距離なので、時間に余裕のある人は歩いてもいいと思います。
参拝バス


本宮入口までの道には途中色々な神様をお祀りしている祠が建ってました。
橋や滝なんかもあります。
剣神社
天神社
橋
滝


そして、ここが本宮入口になります。
ここから先はご神域ということで撮影禁止となっておりましたので、残念ながら写真はありません。
行ってみるとけっこうスゴイものを見れますよ。
お湯が湧き出ている不思議な大岩があって、直に触れることができます。
いかにもパワースポットといった感じです。
足湯もあったりします。
参拝する際はお祓を受ける必要があり、お祓料として500円かかります。
湯殿山神社本宮入口
入口の看板に書いてあった湯殿山の由来を以下に記しておきます。
<<湯殿山のご由来>>

御祭神
大山祇命(おおやまづみのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)

出羽三山とは、月山・羽黒山・湯殿山の総称で推古天皇元年(593)、第32代崇峻天皇の御子である蜂子皇子様の御開山である。皇子は、蘇我氏の難を避け、京都の由良から海路を経て、出羽国庄内浜の由良に入られた。そして三本足の霊鳥の導くままに羽黒山に入り難行苦行の末、羽黒山上に羽黒権現の御示現を拝し、次いで、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山に勧請して羽黒三所大権現と称した。
その後、皇子の御徳を慕い、加賀白山を開いた泰澄上人や修験道の祖と言われる役の行者、また真言宗の開祖弘法大師、天台宗の開祖伝教大師とその弟子慈覚大師なども来山して修行をしたとも伝えられている。こうして皇子修行の道は次第に発展して羽黒派修験道となり、全国に名を知られ時代を重ねるにつれ、人々の厚い信仰を集めることとなった。
此処、湯殿山は、推古13年(605)の御開山とされ、出羽三山の総奥の院として特に厚い信仰を集めてきた。江戸時代までは真言宗として奉仕してきたが、明治維新に際して神仏分離(廃仏毀釈)が発令され、古への神奈備山にかえり神社として奉仕している。
殊に出羽三山信仰は「三関三度」や「擬死再生」など、生まれ変わりの信仰が今も尚息づいている。羽黒山で現世利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死後の体験をし、慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜って、再生すると考えられる。
特に湯殿山での修行は三世を超えた大日如来を本地仏とする大山祇命・大己貴命・少彦名命の霊験により、神仏と一体になり即身成仏を得ることが出来るとされた。また湯殿山本宮では、御神体を目の当たりに拝し、直に触れてお詣りが出来る御霊験の有り難さより、俳聖松尾芭蕉も「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」の句を残された、古来「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の霊場なのである。




戻ってきて、大鳥居の近くにあった玉姫稲荷神社にも参拝しておきました。
由緒書きを読むと、本宮参拝の前に参拝すべきだったのかなとも思いますが、まあ細かいことは気にしない気にしない。
玉姫稲荷神社
玉姫稲荷神社の由緒も記しておきます。
<<玉姫稲荷神社の由緒>>
玉姫稲荷神社は、此処仙人沢の霊域に於いて、即身成仏の修行に挺身された鉄門海上人が守り神として帰依され、その御守護を得て成仏されたとのいわれにより湯殿大神に願掛けする人は、先ず玉姫稲荷にお参りし、その霊験におすがりし、そのおたすけを頂いて本願を達成するという、習わしがありました。
初めは、石柱を憑代としておりましたが昭和61年神社の御神木を以て社殿を造営し又、信者の寄進により鳥居も建立され、御社頭一新の整備を見ました。