名称立石寺(りっしゃくじ)
住所山形県山形市山寺4495-15
タイプ
参考リンク立石寺HP

ご利益

  • 円仁が出羽に下ったという確実な資料はない。立石寺は、844年に出羽国分寺に赴任した安慧が、円仁の名で開山したのかも。
  • 1949年、入定窟を調査。5体の遺骸発見。5号骨が円仁の遺骨かも。円仁の遺骸は、頭部は延暦寺北の華芳に葬られ、胴体部は立石寺に運ばれたのかも。
  • 参考文献:『あなたの知らない山形県の歴史』 山本博文監修 洋泉社

  • 以下、磐次・磐三郎兄弟について。
  • 猿王が父、山姫が母。下野国日光山山麓で誕生。
  • 狩りが生業。
  • 二口峠あたりに住み着いた。
  • 磐次は狩りが下手だったが、山の神のお産を手伝ってからは獲物をたくさんとった。
  • 慈覚大師円仁の弟子になり寺の建立に協力。
  • 参考文献:『ふるさとの伝説7 寺社・祈願』 伊藤清司監修 ぎょうせい

  • 平安時代初期、磐司という狩人がこのあたりに住み着いた。山の神の出産の世話をし獲物に恵まれる。慈覚大師に教化され殺生禁断を誓う。立石寺建立に尽力。地主神として祀られた。
  • 宮城県名取郡秋保町に磐司岩がある。磐司が住んでいた。
  • 参考文献:『日本の伝説2 東北』 日本伝説拾遺会監修 教育図書

  • 860年、円仁が開山。
  • 近くの千手院に行くとよい。立石寺を構成する七院の1つ。自然の厳かさを感じられる。円仁が修行したと伝えられる岩窟がある。
  • 参考文献:『日本の聖地ベスト100』 植島啓司 集英社

  • 貞観2年(860)、清和天皇の勅願により慈覚大師が開いた。
  • 通称「山寺」。
  • 根本中堂はブナ材の建築物としては日本最古。
  • 五大堂からの眺めは山寺随一。
  • 執着を癒し進展の力を授かる。
  • 参考文献:『開運!日本のパワースポット案内』 一個人編集部編 KKベストセラーズ

  • 御本尊は、薬師如来、阿弥陀如来、観世音菩薩など。
  • 松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句で有名。
  • 1500段ある階段を一段一段登るごとに煩悩が消えていく。
  • 悪縁切り。
  • 参考文献:『全国パワースポットPERFECT BOOK』 イースト・プレス

立石寺へ行ってきました

立石寺にやってまいりました。
貞観2年(860)、清和天皇の勅願によって慈覚大師が開いた天台宗のお寺だそうです。
立石寺


こちら根本中堂。
延文元年(1356)、初代山形城主・斯波兼頼(しばかねより)が再建したもので、ブナ材の建築物では日本最古なんだとか。
堂内には慈覚大師作と伝わる薬師如来坐像をはじめ、文殊菩薩、毘沙門天などが安置されておるそうです。
また、伝教大師が中国から比叡山に移した灯が立石寺にも分けられ、今も不滅の法灯として輝いているとか。
比叡山が織田信長に焼討ちされ、その後再建された際は、この立石寺から灯を分けたらしいです。
根本中堂


松尾芭蕉(まつおばしょう)と河合曽良(かわいそら)の像がたってました。
元禄2年(1689)にこの地を訪れたそうです。
「閑(しづ)かさや岩にしみ入る蝉(せみ)の声」の名句を残したとか。
現在の立石寺は観光客がいっぱいで、あんまり静かではなかったですけど。
像


ここが山門。
ここから山の方へ登っていけます。
拝観料はたしか300円くらいだったかと思います。
山門


ひーひー言いながら長い階段をのぼります。
この階段を登るごとに煩悩が消えていくとか。
階段


これは開山堂。
慈覚大師をお祀りしているお堂だそうです。
今も僧侶が朝夕に食飯(じきはん)と香を供えてお勤めをしているらしいです。
開山堂の左にある小さな赤いお堂は納経堂だそうです。
山内で最も古い建物なんだとか。
真下に慈覚大師が眠る入定窟があるとか。
開山堂


なにやら向こうの方にも建物が見えます。
あっちは釈迦ヶ峰(しゃかがみね)といって、修行者以外の立入はできないらしいです。
岩場から転落死した修行者も多かったと伝えれれているとか・・・。
恐い。
釈迦ヶ峰


開山堂のところから少し上に五大堂があります。
たんなる展望台のように見えますが、説明板によると五大明王を祀って天下泰平を祈る道場らしいです。
五大堂
五大堂からの眺め。
なかなかいい眺めです。
五大堂からの眺め


さて、いったん山からおりてきて、もう少し奥の方へ行くと千手院というお寺があります。
本に円仁(慈覚大師)が修行した岩窟があるとか書いてあったので来てみました。
根本中堂や五大堂の方は観光客がわんさかいましたが、こちらは誰もおらず静かでした。
千手院
入口のこの鳥居、「ついてる鳥居」というらしいです。
恋愛運をよくしたい人は鳥居の右の柱に、金運をよくしたい人は左の柱に抱きついて、「ついてる」と10回唱えるといいそうな。

鳥居をくぐって階段をのぼると、いきなり線路が。
ちゃんと左右確認して渡りましょう。
線路


こちらが千手院。
円仁が開山当時建立した八院の1つだそうです。
八院というのは、本院、南院、中院、千手院、山王院、馬形院、芦沢院、安養院のことで、これらを総称して立石寺と呼ぶようになったとか。
現在、八院のほとんどは地名・集落名として名前を残すのみになっているらしいですが。
千手院


墓地の横の方を通り抜けて山の方へてきとうに歩いていきます。
山道


しばらく歩いていくと、なにやら蜂の巣のようにボコボコ穴のあいた奇岩が姿を現しました。
なかなかの迫力。
鳥居なんかもたってます。
奇岩


円仁宿跡なんてのもありましたよ。
こんな所で寝泊りしたんでしょうか。
岩が崩れてきたらペシャンコになりそうです。
円仁宿跡


巨大な岩の割れ目には不動明王を祀っているらしいです。
割れ目の上の方の暗がりの中に不動明王像が安置してあるっぽかったです。
岩の割れ目
ここらへんは垂水遺跡(たるみずいせき)というらしいです。
大正時代頃までは山伏が修行する姿も見られたとか。
こっちは全然人がいなくて、まさに「閑かさや」という感じでしたね。