名称建勲神社(けんくんじんじゃ)
住所山形県天童市天童字城山1043
タイプ神社
参考リンク

ご利益

  • 以下、天童藩成立の経緯。
  • 江戸時代初め、織田信良(信雄の四男)、小幡藩(群馬県)立藩。
  • 1767年の明和事件の影響で、藩主織田信邦は蟄居、弟信浮を出羽の高畠へ移封。
  • 1830年、織田信美が陣屋を天童に移す。
  • 以上。
  • 将棋駒作りは生活苦にあえぐ下級武士の内職だった。
  • 参考文献:『あなたの知らない山形県の歴史』 山本博文監修 洋泉社

  • 全国に2つしかない織田信長を祀る神社の1つ。もう1つは京都船岡山にある。
  • 以下、当社の歩み。
  • 天童藩知藩事・織田信敏の東京の私邸に織田社を祀っていた。
  • 1869年、「健織田社(たけしおりたのやしろ)」の神号下賜。
  • 1870年、天童市の城山(舞鶴山)山頂に分祀。建勲社と改称。
  • 1884年、中腹に遷座。
  • 参考文献:『真説・歴史紀行 日本のパワースポットを往く』 宮崎正弘 海竜社

  • 織田信長を祀る。
  • 明和5年(1768)、織田信浮(のぶちか)、出羽国へ移封。
  • 出羽での織田家の暮らしは厳しかった。紅花や将棋駒を作った。
  • 明治維新の際、天童織田藩は官軍に味方。明治天皇から「建勲神」の神号賜る。
  • 参考文献:『怨霊神社―怨霊を鎮めた伝説の神社・仏閣』 日本怨霊研究会 竹書房