名称都都古別神社(つつこわけじんじゃ)
住所八槻社:福島県東白川郡棚倉町大字八槻字大宮224
馬場社:福島県東白川郡棚倉字馬場39
タイプ神社
参考リンク

ご利益

  • 日本武尊東征の際、矢の落ちた場所「矢着(やつき)」に創建した。
  • 奥州一の宮。
  • 御祭神は味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)、日本武尊。
  • 流行を作り出す。
  • 参考文献:『開運!日本のパワースポット案内』 一個人編集部編 KKベストセラーズ

  • 五穀豊穣。
  • 判断力、決断力の向上。
  • 社殿や建物に向かって祈るのではなく、都都古山にいらっしゃる神様をイメージして祈ると正しく感応する。
  • 参考文献:『全国の開運神社案内』 深見東州 たちばな出版

  • 古代からシャーマンが集まっていた場所。
  • 祈りの内容を強力に現実化するパワーがある。個人というよりも世の中に現れる性質が強い。
  • 流行を作り出したいと思っている人におすすめのパワースポット。
  • 私利私欲で祈らないこと。民の幸せを思って祈ることが大事。
  • 初夏に訪れると良い。
  • 昼の1時~3時くらいに訪れるとよい。
  • 参考文献:『日本全国このパワースポットがすごい!』 若月佑輝郎 PHP研究所

都々古別神社に行ってきました

福島県にある都々古別神社に行ってきました。
2つあるんですが、まずは八槻の方へ行ってみました。
けっこう田舎な感じの場所にあります。
都々古別神社

入口の所にあった由緒書きには以下のように記されています。
<<由緒>>
当都々古別神社は延喜式神名帳(延喜年間に書かれた書物)に登載されており陸奥国白河郡唯一の明神大社であり奥州一宮であります。
御祭神味耜高彦根命は御父君大国主命の偉業を助けて東北の荒地を開拓農業の道を教え蕃殖せしめました。民衆は恩恵を受けましたので命の徳を尊崇、農業の神として崇め祭祀したのであります。
日本武尊を配祀したのは討伐の時八溝の夷賊を討ち民がその尊の徳に尊崇したのであります。

ついでに御田植祭についての説明も記載しておきます。
<<都々古別神社の御田植>>
旧暦1月6日の午前10時から、拝殿を舞殿として行われ、古くは夜に行われたと伝えられている。八槻都々古別神社は、平安時代に編纂された「延喜式」にも記載される神社で旧社号を近津(ちかつ)大明神といい、奥州一宮を称している。かつての氏子は県南地方一帯を占め、信仰の広さと厚さでは県内でも指折りの神社であった。御田植は古くから神社に奉仕する社家(しゃけ)と呼ばれる人々が楽人となって、拝殿で演じる稲の豊作を祈念する芸能で、伝来の時期は不明だが、その形態から室町時代以前から行われていたとされている。
祭典と神楽に続いて、拝殿や太古を田に見立て、餅の鍬や早苗に見立てた松の小枝などを持って、田植えまでの作業過程をせりふと簡単な所作で模擬的に演じていく。田植え終了後、水口祭(みなくちまつり)として鍬を肩にかついだ天狐(てんこ)による舞があり、最後に中飯(ちゅうはん)として参列者に切餅を蒔いて終わる。
古くから社家が演じて来ただけに、能や狂言のように良く洗練されている。演目ごとに楽人が掛け合う口上は丁重で、堀をさらる演目での、「ガリ、ガリ、ガリ・・・ガリ」や畔(ぬり)を演じる際の、「ガンブリベタリ、ドロリベッタリ」など、演じながら発する独特擬音も特徴的である。
機会があれば御田植祭を見てみたいですね。

随神門です。
立派です。
都々古別神社 随神門

こちらは拝殿です。
都々古別神社 拝殿

境内は杉の木で囲まれていて静かで良い場所です。
都々古別神社

境内にはヒョウタンみたいな形をした池があります。
鯉も泳いでましたよ。
池の周りにベンチもありますから、ここに座ってゆっくりパワーチャージするのがいいと思います。
都々古別神社
都々古別神社

大きな二又の杉がありました。
縁結びや長寿のご利益があるそうです。
都々古別神社

八槻の方の参拝を終えたあと、少し離れた場所にある馬場都々古別神社の方にも行ってみました。
由来書きのところに日の丸があって読めませんでした。
こちらの神社は会津藩松平家の家老・西郷頼母(たのも)が戊辰戦争後の1875年~1877年まで宮司を務めたことがあるんだとか。
都々古別神社

こちらの神社も森で覆われていていい感じの神社です。
私が行ったときは誰もいなくて静かでしたよ。
都々古別神社

こちらが拝殿です。
都々古別神社