名称 | 鹿島神宮(かしまじんぐう) |
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住所 | 茨城県鹿嶋市宮中2306-1 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 鹿島神宮HP |
ご利益
- 小泉太志命、当社に参籠しタケミカヅチの神から祓い太刀の作法を授かる。
参考文献:『ムー』474号 学研
- 神様へのマナーの知恵ダウンロード。ゆっくりした深いおじぎでダウンロード力アップ。
- 塚原卜伝、当社に千日こもり鹿島の太刀の極意を悟る。
参考文献:『成功している人は、どこの神社に行くのか?』 八木龍平 サンマーク出版
- 国譲り神話に登場した神々を祀る以下の神社は、ほぼ東西一直線のライン上にある。大和朝廷の結界。
- 鹿島神宮(タケミカヅチ)。本殿・拝殿は北向きで御神体は東向き。蝦夷対策。
- 香取神宮(フツヌシ)。
- 諏訪大社(タケミナカタ)。
- 美保神社(コトシロヌシ)。
- 出雲大社(オオクニヌシ)。本殿が何重もの柵で囲まれ御神体は西向き。反乱防止。
参考文献:『地図でわかる天皇家の謎』 歴史謎学倶楽部 宝島社
- 開運招福。
- 旅行安全。
- 商売繁盛。
参考文献:『開運! パワースポット「神社」へ行こう』 一条真也監修、造事務所編著 PHP研究所
- 以下、鹿島七不思議。
- 「要石」。地震を起こすナマズの頭を打ち付けている。『水戸黄門仁徳録』によると、徳川光圀が掘ったが掘り切れなかった。鹿島の神が降臨した磐座。
- 「御手洗池」。誰が入っても同じ高さ。水面が乳を越えない。干ばつでも涸れない。
- 「末無川」。高天原の松林から湧き出る川。現在は消失。
- 「藤の花」。作物の豊凶などを占う。拝殿の東にあったが枯れた。
- 「鹿島灘の海の音」。北に聞こえると晴れ、南に聞こえると雨。
- 「根上がりの松」。切っても枯れない。
- 「松の箸」。根上がりの松で作った箸はヤニが出ない。
参考文献:『眠れないほど面白い日本の「聖地」』 並木伸一郎 三笠書房
- 本殿後ろの御神木から良い波動が出ている。写真に撮るなら左側、波動をもらうなら右側から。昔は本殿の場所が奥宮だった。
- 奥宮は波動が薄い。
- 大地系の神様。
- 要石がある。ただの石。地震を押さえているというのは後付の話。
- 藤原道長の娘の威子が、男子誕生を願い水晶玉を贈り鹿島の神に祈願したが叶わなかった。水晶玉が宝物館にある。
参考文献:『神社仏閣は宝の山』 桜井識子 ハート出版
- 『常陸国風土記』によると、「天の大神の社」「坂戸の社」「沼尾の社」を合わせて「香島の天の大神」と称し天智朝に宮を造営。
- 本殿は北面。蝦夷地を鎮めるため。古くは「不開殿(あかずどの)」と呼ばれた。年に1度、御戸開神事(みとびらきしんじ)においてのみ扉が開かれ物忌(ものいみ)という女性祀職が幣帛出納などを行った。内陣の御神座は東面。東方から来臨する鹿島神と神婚の儀式を行ったのが物忌という説がある。
- 中臣氏以前の本来の祭祀氏族を多氏(大氏、太氏)とする説がある。
- 鹿島神宮の西北に大生(おう)神社がある。現社地鎮座以前に鹿島神が祀られていた。
- 大生神社より前に鹿島の神が鎮座したのが跡宮。
- 『琉球神道記』によると、鹿島の神は蛇体。
参考文献:『究極 日本の聖地』 鎌田東二編著 中経出版
- 「かなめ石」がある。地震を起す大鯰の頭と尾を抑える杭とされる。けっして抜くことができないとされる。
参考文献:『日本の謎と不思議大全 東日本編』 人文社
- 武甕槌大神は雷神。大和朝廷の武力の守護神。大国主神に国譲りさせた。神武東征の際、分身の神剣「布都御魂(ふつのみたま)」を降して神武天皇を助けた。布都御魂は石上神宮に鎮まっている。
- 日本最古最大の直刀がある。
- 防人(さきもり)が出征前に武運長久を願った。「鹿島立ち」の語源。
- 社殿が北向き。蝦夷の地を睨んでいる。
- 社殿の裏に御神木があり、その裏に鏡石(かがみいし)という霊石がある。
- 要石がある。地震封じの霊石。
- 武術家の聖地。
参考文献:『神社と神々―知れば知るほど』 井上順孝監修 実業之日本社
- もともと要石は地震の神であるタケミカツチの動きを鎮める呪物だった。タケミカツチ=木気。要石=金気。金剋木の理による対震呪術。後代になって地震の原因はタケミカツチではなく鯰とされるようになった。
- タケミカツチはもともと蛇神。
参考文献:『陰陽五行と日本の民俗』 吉野裕子 人文書院
- 前向きになれる。
- 精神力アップ。
- 推進力、行動力、統率力アップ。
- 奥宮は悪に対して強い力がある。悪縁を断ちたい人におすすめ。
- 要石の前は陽気が感じられるスポット。
- 本殿が参道正面ではなく横にあるのは珍しい。本殿は北を向いている。東北の勢力を見張るためといわれる。
- 決断力、意志力アップ。
参考文献:『開運!日本のパワースポット案内』 一個人編集部編 KKベストセラーズ
- 約2670年の歴史を誇る。
- 鹿島神社の総本社。
- 御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。武術、勝利、刀剣の神様。
- 厄除け。
- 要石には、下にナマズがいる、香取神宮の要石とつながっているなどの話がある。
参考文献:『ご利益別ピンポイント神社』 マガジンハウス編 マガジンハウス
- 地震が起こった際、「揺るぐともよもや抜けじの要石、鹿島の神のあらん限りは」という神歌を詠めば、地震が早くおさまり被害を免れるといわれる。
参考文献:『図説 日本呪術全書』 豊島泰国 原書房
- 鹿島の七不思議というのがある。以下に列挙する。
- 奥宮の近くに要石というのがある。地面から少し頭を出しているが、地中部の長さははかり知れない。水戸光圀が七昼夜掘っても先が分からず断念した。大地の最も深いところまで達しており地中の大ナマズの頭を押さえていて地震を防いでいる。タケミカヅチが国土平安を祈り突き刺した神剣が石と化したという伝説がある。
- 御手洗池は大人が入っても子供が入っても水面が胸の高さを越えない。
- 末無川は高天が原の松林から湧き出て、やがて地中に潜るので末がわからない。
- かつて拝殿東にあった藤は、花が多い年は豊作、少ない年は凶作だった。
- 鹿島灘の音が北に聞こえると晴れ、南に聞こえると雨になる。
- 鹿島山と高天が原の松(根上がりの松)は切っても枯れない。
- 根上がりの松でつくった箸はヤニが出ない。
参考文献:『[図説]日本の魔界地図』 志村有弘監修 PHP研究所
- むかし鹿島は鹿の住む島だった。
- 神武天皇東征の際、武甕槌神が韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)をふるって窮地におちいった天皇を救った。その神恩に感謝した天皇が鹿島の地に武甕槌神を祀ったとされる。
- 宝物館に武甕槌神が使ったいわれる韴霊剣がある。長さが七尺三寸五分(2メートル25センチ)もある。
- 地震を起こす大ナマズの頭を押さえているといわれる「要石(かなめいし)」は、蝦夷(えみし)の反乱を抑えるための呪術的装置。
- 鹿島神宮から東へ3キロほどいったところに鬼塚というのがある。武甕槌神が征伐した鬼の首を埋めてある。鬼とはやっつけた蝦夷のこと。仁徳天皇の時代に国摩真人(くになずまびと)という神官が剣の稽古のために鬼塚に籠り、神妙剣という秘太刀を編み出した。神妙剣はその後、7つの神官の家系に伝えられ、その1つの吉川家からは剣豪塚原卜伝が出た。
参考文献:『日本魔界探検』 火坂雅志 廣済堂出版
- 東日本大震災でかなりのエネルギーを放出して疲労中。拝殿で神様に感謝のエールを送るとよい。
- 要石は現在人に気をあげる余裕がない。
- 人との距離の取り方が計りやすくなる。
- 御手洗池(みたらしいけ)でゆったり気持ちを落ち着けるとよい。
参考文献:『「カルラ舞う!」式パワースポット巡礼』 永久保貴一著、ほしの監修 秋田書店
- 常陸国の一宮。
- 創建は紀元前660年と伝えられる。
- 御祭神の武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた火の神・軻遇突智(かぐつち)の剣から誕生したとされる。国譲りにおいて、大国主命に対して見事な交渉力を発揮したり、建御名方神(たけみなかたのかみ)との力比べに勝利したとされる。
- ここ一番の大勝負に出るときに参拝するとよい。
- 交渉力アップ。
- 仕事運アップ。
- 対人運アップ。
参考文献:『早分かり!日本のパワースポット』 幸運社 大和書房
- ご神域に入った時に龍神が見えた。その龍神が「鹿島神宮は意を決すべき場所である」と教えてくれた。
- 奥宮のさらに奥深くに「要石(かなめいし)」がある。この要石こそ鹿島神宮の真の御神体だといっても過言ではない。要石は地震を起こす大鯰の頭を押さえているという伝説がある。その地震とは必ずしも本当の地震ではなくて、揺れ動く人々の心のことを示している。要石が体現しているのは自らを律する不動心。自分自身の心の中に要石を置けるようにご神霊に祈りを捧げるとよい。
参考文献:『今、いくべき聖地』 江原啓之 マガジンハウス
- 御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。
- 仕事面で総合的な開運パワーをもらえる。
- 迷わず進める行動力。
- 統率力アップ。
- 道を切り開くヒントをもらえる。
- 悪運、悪縁を断つ。
- 剣形のペンダントのお守りがおすすめ。
参考文献:『幸せを呼び込むパワースポット』 暁玲華 集英社
- 「御手洗池」という不思議な池がある。大人でも子供でも入ったら水面が胸の辺りにくるという。
- 「要石」という巨石がある。この巨石は地震を起こす地底の大ナマズの頭を押さえつけている。なのでこの地方には大きな地震がこないと伝えられている。
- 金運、健康運、勝負運、仕事運などにご利益あり。
参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社
- どんな困難にも立ち向かい勝利を収める。
- 気力・体力の充実。
- 組織を束ねるリーダーにおすすめ。
- 政治家などの権力保持。
- みずからの道を突き進む時には是非参拝するとよい。
参考文献:『全国の開運神社案内』 深見東州 たちばな出版
- 決断力や意志力を授けてくれる。
- スピリチュアルな人生を送るための意志力を与えてくれる。
参考文献:『日本全国このパワースポットがすごい!』 若月佑輝郎 PHP研究所
鹿島神宮へ行ってきました
広大な敷地を有する神社です。
こちらは楼門。
寛永11年(1634)に徳川頼房公が奉納したものだそうです。
九州の阿蘇神社、筥崎宮の楼門とともに日本三大楼門の1つに数えられているそうな。
楼門をくぐるとすぐに参道脇に本殿があります。
もっと奥の方にあるものだと思っていたので摂社かなにかかと思って通り過ぎるところでした。
現在の社殿は元和5年(1619)に徳川秀忠公が奉納されたものだそうです。
昔は伊勢神宮と同じように20年ごとに社殿の造営をしていたそうですが今はやってないみたいです。
奥参道へ入っていくと鬱蒼とした森となります。
神宮の森は20万坪という広大さで、800種を超える草木が繁茂しているそうです。
かなり癒されます。
奥参道の途中に鹿園があります。
鹿が飼育されています。
神鹿についての説明版がありましたので以下に紹介しておきます。
鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神様のところへ天照御大神様のご命令を伝えに来られたのが天迦久神(あめのかぐのかみ)という方で、鹿の神霊とされていることから、鹿島神宮のお使いは鹿となっています。
神護景雲元年(767)に、藤原氏は氏神である鹿島の大神の御分霊を奈良にお迎えして春日大社を創建しましたが、そのとき、御分霊を神鹿の背に乗せ、多くの鹿を連れて1年がかりで奈良まで行きました。
その鹿の足跡が、東京江戸川区の鹿骨(ししぼね)をはじめとして、東海道を三重県の名張まで続いて残っています。
また、鹿島も古くは香島と書いていましたが、養老7年(723)ごろから鹿島と書くようになったのは、この鹿との縁によるものでしょう。神鹿は長い間大切に保護されてきておりますが、幾度か新たに導入され、現在の神鹿はかつて鹿島から移った奈良の神鹿の系統を受けています。
こちらは奥宮です。
武甕槌大神の荒魂(あらみたま)を奉祀してあります。
小さくて素朴な社ですが神聖な感じがします。
この社は慶長10年(1605)に徳川家康公が本殿として奉納されたものを元和の造営の際に引き移したものだそうです。
こちらは御手洗池です。
古くからの禊の場だそうです。
古代には、ここまで船で乗り入れて参拝していたとか。
水は透き通っていてキレイでした。
鯉も泳いでいましたね。
最後に宝物館に寄りました(有料)。
刀剣や大きな鎧など色々展示されていました。
ただ国宝の「直刀」は他の場所へ出張中で今回は見れませんでした。
残念。
また来た時に見てみたいです。