名称満徳寺(まんとくじ)
住所群馬県太田市徳川町385-1
タイプ
参考リンク満徳寺HP

ご利益

  • 江戸幕府公認の縁切り寺だった。
  • 「縁切り厠(かわや)」というのがある。厠とはトイレのこと。白い便器が縁切り用。悪縁を紙に書いて水に流す。黒い便器が縁結び用。
  • 参考文献:『全国パワースポットPERFECT BOOK』 イースト・プレス

満徳寺へ行ってきました

太田市にある満徳寺にやってまいりました。
縁切りのご利益があるトイレを見物しに。


しかし、すでに閉まっていて中に入れませんでした。
開館時間は午後5時まで(入館は午後4時半まで)だそうです。
うーむ、残念。
ちなみに入館料は大人1人200円かかるようです。
満徳寺 受付


しかたないのでお寺の敷地の周りをブラブラ歩いてみました。
なんか本堂っぽい建物がみえますね。
満徳寺


この門、「駆込門(かけこみもん)」というらしいです。
満徳寺は男女差別の厳しかった江戸時代に、不法な夫から妻を救済して離婚を達成してくれる尼寺だったそうで、女性がこの寺に救いを求めて駆け込んだんだとか。
駆込門
由来書に次のようなことが書いてありました。
江戸時代においては、1度他家へ嫁した上は、その夫や家人と不和を生じるなどして生家へ戻っても、夫方の離縁状を持たなければ、再婚することが出来ないという規則があった。その時代に、弱い立場の女性を護り、離縁の目的を貫かせた寺として有名な所が日本に2つあった。鎌倉の東慶寺と徳川の満徳寺がそれである。
(中略)
離婚の目的でこの寺に駆込んだ女性は、入寺後、足かけ3年たてば、離縁状を入手できた。寺内には寺法による法廷があり、寺のかたわらには駆込宿(その主人は代書人)もあった。
(以下略)
女性に優しいお寺だったんですね。
満徳寺は徳川幕府とは浅からぬ縁があり色々優遇されていたようです。
その幕府の威光のおかげで縁切寺としての機能を強く発揮できたんだとか。


徳川義季公館址というのがありました。
今は神社になっているようです。
ここらへんは徳川氏発祥の地なんだそうで、徳川義季は徳川氏の初代とのこと。
その義季の娘の浄念尼(じょうねんに)が開いたのが満徳寺らしいです。
徳川義季公館址

神社で拝んでおきました。
神社


次に来るときは、ちゃんとトイレも見たいです。