名称 | 高麗神社(こまじんじゃ) |
---|---|
住所 | 埼玉県日高市新堀833 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 高麗神社HP |
ご利益
- 主祭神は高句麗からの渡来人、高麗王若光(こまきしじゃっこう)。
- 濱口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎などが参拝して、その後、総理大臣になったことから「出世明神」と呼ばれる。
- 参道の両側にある記念樹には総理大臣や国会議員や知事などの名前がある。
参考文献:『ご利益別ピンポイント神社』 マガジンハウス編 マガジンハウス
- 自分が身を置いている世界でトップになれる運気を与えてくれる。
- 2匹の狛犬の間あたりで深呼吸するとよい。
- 「幸せ鈴御守」がおすすめ。
参考文献:『李家幽竹と行く 幸せパワースポット』 李家幽竹 ダイヤモンド社
- 物見山を祖山とするパワースポット。日和田山と日高富士が砂となっており、高麗川がよい気を境内に引き寄せている。
- 朝鮮半島から渡来した高句麗人たちによって建立された。
- この神社に参拝したあとに内閣総理大臣になった人が6人もおり「出世の神社」として有名。この出世運は高麗川のパワーによるもの。
- 自分が今いる場所で上昇へと導いてくれる。
- 今の自分のペースをより強靭にしてくれる。
- 参道の途中にある2匹の狛犬に挟まれている場所が強いパワースポット。
参考文献:『李家幽竹 最強龍穴パワースポット』 李家幽竹 山と渓谷社
- 御祭神は高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)。高句麗の王族でるといわれている。高句麗が唐と新羅に滅ぼされた時に日本に渡来したといわれる。716年に武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任してきた。当時の高麗郡は未開の地だったが、若光は各地から移り住んだ1799人の高麗人(高句麗人)たちとともに開墾にあたった。若光の死後、郡民たちは若光の徳を偲び「高麗明神」として祀った。これがこの神社の始まり。
- 宮司は若光の子孫にあたる方が代々務めている。
- 浜口雄幸、若槻禮次郎、鳩山一郎などの政治家が参拝し、その後総理大臣になるなどしたため立身出世のご利益があるとされ「出世明神」として広く知られている。
- 拝殿に向かう参道の左側に山に沿って狭い道がある。この道をずっと進んで山の上に行くと小さな祠がある。ここがすごくいい気に満ちている。
- 高麗神社の隣に聖天院というお寺がある。若光の墓がある。訪れて先人に偉業の思い馳せてみるとよい。
- 初志貫徹、やり抜くパワーが満ちている。
- 奈良時代に思いを馳せ、平和と融合のイメージを思い浮かべながら若光のパワーを感じるとよい。
参考文献:『スピリチュアリスト・大村真吾が選ぶ 開運つながるパワースポット』 大村真吾 セルバ出版
- 716年、1799人の高句麗人たちが武蔵国に渡来し高麗郡が置かれた。高麗郡初代の長・高麗王若光を祭神として祀ってあるのがこの神社。高麗王若光の子孫が代々宮司をつとめている。
- 出世明神として有名。参拝した国会議員が次々と総理大臣になったということもあり、政界・官界・財界などから参拝者が多い。
- 力強いエネルギーがある。特に本殿手前の狛犬と狛犬の間付近や、樹齢300年といわれる彼岸桜周辺はパワフル。
- 高麗家住宅のあたりは穏やかで優しいエネルギーがある。住宅の隣にある樹齢400年といわれるしだれ桜からも優しく繊細なエネルギーが放出されている。
- 高麗川からも清らかな水のエネルギーをいただける。
- 目標を持って何かを成し遂げたいときに訪れるよい。
- 心に迷いが生じた時や、元気になりたいときに訪れるのもよい。
- 近くに高麗王若光の墓があるので合わせて参拝するとよい。
参考文献:『パワースポットニッポン』 ヴォイス編集部編 ヴォイス
高麗神社へ行ってきました
埼玉県日高市にある高麗神社に行ってきました。
こちらの神社は「出世明神」などとも呼ばれ立身出世にご利益があるのだとか。
その事に関する由来書きが境内にあったので紹介しておきます。
ついでに高麗神社の由来も書いておきます。
入口付近にあったトーテムポールみたいな柱。
これ見てチョット普通の日本の神社とは違うなと思いました。
参道脇には木々が繁りいい雰囲気です。
境内もきれいに掃き清められていて清々しい神社でした。
これがパワーを放っているとかいう彼岸桜。
うん、そう言われればパワーを放っているような気もする。
境内の奥の方に高麗家住宅があります。
高麗神社の神職を代々勤めてきた高麗氏の住宅跡だそうです。
隣には大きなシダレ桜があります。
たしかにこの空間には優しい感じのエネルギーがあるように感じました。
こちらの神社は「出世明神」などとも呼ばれ立身出世にご利益があるのだとか。
その事に関する由来書きが境内にあったので紹介しておきます。
<<出世明神の由来>>
当社は遠く奈良時代元正天皇の御代高麗郡を統治した高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)をお祀りした社で、創建より1300年を数える関東有数の古社である。古来、霊験あらたかをもって知られ、高麗郡総鎮守として郡民の崇敬を受けてきた当社は、近代に入り水野練太郎氏・若槻禮次郎氏・浜口雄幸氏・斎藤実氏・鳩山一郎氏等の著名な政治家が参拝し、その後相次いで総理大臣に就任したことから、出世開運の神として信仰されるようになった。近年では、政界・官界・財界をはじめ、各界人士の参拝が相次ぎ、特に法曹界では石田和外氏が最高裁判所長官、吉永祐介・北島敬介両氏が検事総長に就任された。
当社は遠く奈良時代元正天皇の御代高麗郡を統治した高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)をお祀りした社で、創建より1300年を数える関東有数の古社である。古来、霊験あらたかをもって知られ、高麗郡総鎮守として郡民の崇敬を受けてきた当社は、近代に入り水野練太郎氏・若槻禮次郎氏・浜口雄幸氏・斎藤実氏・鳩山一郎氏等の著名な政治家が参拝し、その後相次いで総理大臣に就任したことから、出世開運の神として信仰されるようになった。近年では、政界・官界・財界をはじめ、各界人士の参拝が相次ぎ、特に法曹界では石田和外氏が最高裁判所長官、吉永祐介・北島敬介両氏が検事総長に就任された。
ついでに高麗神社の由来も書いておきます。
<<高麗神社>>
高麗神社は、高句麗国の王族高麗王若光を祀る社である。
高句麗人は中国大陸の松花江流域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約700年君臨していた。その後、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい668年に滅亡した。この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが霊亀2年(716)そのうちの1799人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。
高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で没した。郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで高麗王若光の直系によって社が護られており、今でも多勢の参拝客が訪れている。
古代の歴史ロマンを感じさせる神社ですね。高麗神社は、高句麗国の王族高麗王若光を祀る社である。
高句麗人は中国大陸の松花江流域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約700年君臨していた。その後、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい668年に滅亡した。この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが霊亀2年(716)そのうちの1799人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。
高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で没した。郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで高麗王若光の直系によって社が護られており、今でも多勢の参拝客が訪れている。
入口付近にあったトーテムポールみたいな柱。
これ見てチョット普通の日本の神社とは違うなと思いました。
参道脇には木々が繁りいい雰囲気です。
境内もきれいに掃き清められていて清々しい神社でした。
これがパワーを放っているとかいう彼岸桜。
うん、そう言われればパワーを放っているような気もする。
境内の奥の方に高麗家住宅があります。
高麗神社の神職を代々勤めてきた高麗氏の住宅跡だそうです。
隣には大きなシダレ桜があります。
たしかにこの空間には優しい感じのエネルギーがあるように感じました。