名称 | 井草八幡宮 |
---|---|
住所 | 東京都杉並区善福寺1-33-1 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 井草八幡宮HP |
ご利益
- 約1万坪の広さを誇る。
- 創建当初は春日社を祀っていた。
- 落ち着きを取り戻せる氣。
- 新しいことへのエネルギーの注入。
- 勝負運アップ。接戦時に力が倍加。
- 困難や後ろめたさをリセット。
- 再起。
- 出会い。
- 手水舎で、瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)、速開津比咩神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)の四神に祓いの祝詞をあげてから拝殿に進むとよい。
参考文献:『さらにパワーをいただける 神社の謎』 合田道人 祥伝社
- 手水舎のところに祓戸の大神を祀っている。まず、そこで祓戸の大神のご開運を祈るとよい。それから拝殿に行くようにすると、ご神徳をいただきやすくなる。他の神社でも、祓戸の大神を祀っている場合は、最初に参拝するとよい。祓戸の大神とは、セオリツヒメ、ハヤアキツヒメ、イブキドヌシ、ハヤサスラヒメの四神。
参考文献:『神社ヒーリング』 山田雅晴 たま出版
- 黄金色に輝く神様がいらっしゃる。
- 身近な事柄で起きたもめごとを速やかに平和に解決してくれる。
- 失敗した時に再起するチャンスを与えてくれる。
- 意欲を8倍にして接戦の勝負に勝たせてくれる。
参考文献:『全国の開運神社案内』 深見東州 たちばな出版
井草八幡宮に行ってきました
東京都杉並区にある井草八幡宮へ行ってきました。
こちら北側入口にある燈籠です。
なかなか立派なもんです。
入口にあった井草八幡宮の由来書きを以下に記しておきましょう。
木々に覆われた気持ちのいい参道をしばらく歩くと楼門が見えてきます。
正月に行ったので初詣客で賑わっておりました。
私のリサーチによりますと、この神社には黄金色に輝く神様がいるんだとか。
まあ鈍感な私には何も見えませんでしたけど。
勝負運向上のご利益があるらしいですよ。
拝殿の回廊の隅に衝立が置いてあります。
これは源頼朝が植えた松の木だと伝えられているそうです。
昭和48年ころまでは木が残っていたそうですが枯れてしまって現在はこうして衝立となってしまったそうな。
ピンボケ写真ですみません。
井草八幡宮に参拝した後、近くにある善福寺公園に寄ってみました。
静かでいい公園だなと思いました。
水鳥がいっぱいいました。
ベンチに腰掛けて見ているとなんとも癒されますね。
こちらは上池にある市杵嶋神社(弁財天)です。
島に渡ることはできません。
なんかここはいい雰囲気のとこでした。
パワースポットと言っていいんじゃないでしょうか。
鯉がウジャウジャいました。
弁財天の近くに「遅の井の滝」という小さい滝があります。
なんでも昔源頼朝がこの地に軍勢を率いてやってきた時、干ばつで渇きに苦しんだんだそうです。
そこで弁財天に祈り弓で地面を掘りまくったんだとか。
その時兵たちが渇きのあまり水が出るのが遅いと文句をたれて、それで「遅の井(おそのい)」となったらしいです。
天気が良くて気持ちよかったです。
井草八幡宮へ訪れた際はぜひとも善福寺公園にも寄ってみるといいです。
リフレッシュできるパワースポットです。
こちら北側入口にある燈籠です。
なかなか立派なもんです。
入口にあった井草八幡宮の由来書きを以下に記しておきましょう。
<<井草八幡宮略記>>
井草八幡宮の鎮座地は古くは南に清流を望む付近第一の景勝地で、境内及び周辺の地域からは、石器時代の住居址が数多く発見され、種々の土器や石器が発掘されている。このように当社は古代より人々の住んでいた所で善福寺池を中心として宿駅としても栄え、その後も中世初頭頃まで武蔵野台地のまっただ中の交通の要衝として、オアシス的存在となっていた秀麗の地に鎮座し、古地名を冠して遅井(おそのい)八幡宮とも称せられていた。御祭神は八幡大神-応神天皇と申し上げ御神徳あらたかな大神様である。文治5年源頼朝が奥州藤原氏征討の途次、当社に祈請して霊験を得、報賽のために松樹を手植し、奉献したと伝えられ、それが老松「天然記念物-井草八幡の松」であった。残念なことに此の老松は昭和48年枯れてしまったがその樹根の一部が現在当社回廊に飾られている。文明9年には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻むるに当たり当社に戦勝を祈願したと云い伝えられている。江戸時代に至って三代将軍家光は、寺社奉行井上正利をして社殿を造営せしめ、又歴代の将軍は何れも朱印地を寄進し江戸末期の萬延元年に及んでいる。地頭今川氏も深く当社を尊崇して或は社殿を改築し、諸調度を奉献する等その興隆を図り毎年例祭には幣物を奉るのを恒例としていた。井草八幡宮の祭礼は古くから提灯祭と称せされ氏子中で毎戸提灯一箇を奉納し社頭にかかげたので、これに灯火をつけると実に綺麗であったので近郊にその名が知られていた。明治以降氏子崇敬者また良く社殿の修造、境内の整備等に務め、昭和3年郷社に列せられたが、その後更に社殿等を増築し、文華殿(宝物殿)・幼稚園・民族資料館等を設置した。例大祭日は10月1日で、3年毎に神輿の渡御、5年毎に鎌倉の昔をしのぶ珍しい流鏑馬の神事が行われている。昭和41年には旧官国弊社に準ずる別表神社に列せられ今日に至っている。
井草八幡宮の鎮座地は古くは南に清流を望む付近第一の景勝地で、境内及び周辺の地域からは、石器時代の住居址が数多く発見され、種々の土器や石器が発掘されている。このように当社は古代より人々の住んでいた所で善福寺池を中心として宿駅としても栄え、その後も中世初頭頃まで武蔵野台地のまっただ中の交通の要衝として、オアシス的存在となっていた秀麗の地に鎮座し、古地名を冠して遅井(おそのい)八幡宮とも称せられていた。御祭神は八幡大神-応神天皇と申し上げ御神徳あらたかな大神様である。文治5年源頼朝が奥州藤原氏征討の途次、当社に祈請して霊験を得、報賽のために松樹を手植し、奉献したと伝えられ、それが老松「天然記念物-井草八幡の松」であった。残念なことに此の老松は昭和48年枯れてしまったがその樹根の一部が現在当社回廊に飾られている。文明9年には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻むるに当たり当社に戦勝を祈願したと云い伝えられている。江戸時代に至って三代将軍家光は、寺社奉行井上正利をして社殿を造営せしめ、又歴代の将軍は何れも朱印地を寄進し江戸末期の萬延元年に及んでいる。地頭今川氏も深く当社を尊崇して或は社殿を改築し、諸調度を奉献する等その興隆を図り毎年例祭には幣物を奉るのを恒例としていた。井草八幡宮の祭礼は古くから提灯祭と称せされ氏子中で毎戸提灯一箇を奉納し社頭にかかげたので、これに灯火をつけると実に綺麗であったので近郊にその名が知られていた。明治以降氏子崇敬者また良く社殿の修造、境内の整備等に務め、昭和3年郷社に列せられたが、その後更に社殿等を増築し、文華殿(宝物殿)・幼稚園・民族資料館等を設置した。例大祭日は10月1日で、3年毎に神輿の渡御、5年毎に鎌倉の昔をしのぶ珍しい流鏑馬の神事が行われている。昭和41年には旧官国弊社に準ずる別表神社に列せられ今日に至っている。
木々に覆われた気持ちのいい参道をしばらく歩くと楼門が見えてきます。
正月に行ったので初詣客で賑わっておりました。
私のリサーチによりますと、この神社には黄金色に輝く神様がいるんだとか。
まあ鈍感な私には何も見えませんでしたけど。
勝負運向上のご利益があるらしいですよ。
拝殿の回廊の隅に衝立が置いてあります。
これは源頼朝が植えた松の木だと伝えられているそうです。
昭和48年ころまでは木が残っていたそうですが枯れてしまって現在はこうして衝立となってしまったそうな。
ピンボケ写真ですみません。
井草八幡宮に参拝した後、近くにある善福寺公園に寄ってみました。
静かでいい公園だなと思いました。
水鳥がいっぱいいました。
ベンチに腰掛けて見ているとなんとも癒されますね。
こちらは上池にある市杵嶋神社(弁財天)です。
島に渡ることはできません。
なんかここはいい雰囲気のとこでした。
パワースポットと言っていいんじゃないでしょうか。
鯉がウジャウジャいました。
弁財天の近くに「遅の井の滝」という小さい滝があります。
なんでも昔源頼朝がこの地に軍勢を率いてやってきた時、干ばつで渇きに苦しんだんだそうです。
そこで弁財天に祈り弓で地面を掘りまくったんだとか。
その時兵たちが渇きのあまり水が出るのが遅いと文句をたれて、それで「遅の井(おそのい)」となったらしいです。
天気が良くて気持ちよかったです。
井草八幡宮へ訪れた際はぜひとも善福寺公園にも寄ってみるといいです。
リフレッシュできるパワースポットです。