名称 | 小網神社(こあみじんじゃ) |
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住所 | 東京都中央区日本橋小網町16-23 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 小網神社HP |
ご利益
- この神社のお守を身につけて戦地に赴いた者すべてが無事帰国した。
- 東京大空襲でも被害に遭わなかった。
- 弁天井でお金を洗い財布に入れておくと金運アップ。
参考文献:『全国パワースポットPERFECT BOOK』 イースト・プレス
- この場所にはもともと僧侶が住む質素な庵があった。1466年、この地域に悪疫が流行した際、この庵で過ごして姿を消した網師を稲荷大神として崇めよというお告げがあった。村を挙げて神社を建立し祈願したところ平穏が訪れたという。
- 強運厄除けパワーがある。
- 1923年、関東大震災で社殿は倒壊したが、御神体を抱えて避難した宮司とともに行動した人々は命を落とさず助かった。
- 昭和時代、戦地に出征する氏子に「強運厄除守」を授けたら全員生還した。
- 東京大空襲の際も境内の建物は火災をまぬがれた。
参考文献:『日本の聖地99の謎』 歴史ミステリー研究会編 彩図社
- 小さい神社だがナメてはいけない。関東大震災や東京大空襲でも生き残った不死身の神社。
- またこの神社でお祓いを受けた兵士はみんな生還したという伝説もある。
- とにかく強運になりたいという人は参拝するとよい。
参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社
小網神社へ行ってきました
中央区にある小網神社にやってまいりました。
狭い敷地に窮屈そうに建ってました。
大都会東京らしい神社です。
小さいですけど、ちゃんと社務所があって巫女さんがいましたよ。
社殿が木造というのが気に入りました。
東京の神社は鉄筋コンクリート造みたいなのが多い気がしますが、やっぱり神社は木造が風情があっていいですよ。
こちらの神社は東京大空襲でも燃えなかったとか。
御利益ありそう。
また関東大震災でも人々の命を守ったとか。
近い将来、東京に高い確率で地震が来るとか言われていますから、助かりたい人はこの神社にお参りしておくといいかもしれませんね。
小さい神社ですけど、参拝客はポツポツ来てましたよ。
最期に案内板に書いてあった由緒を記しておきます。
狭い敷地に窮屈そうに建ってました。
大都会東京らしい神社です。
小さいですけど、ちゃんと社務所があって巫女さんがいましたよ。
社殿が木造というのが気に入りました。
東京の神社は鉄筋コンクリート造みたいなのが多い気がしますが、やっぱり神社は木造が風情があっていいですよ。
こちらの神社は東京大空襲でも燃えなかったとか。
御利益ありそう。
また関東大震災でも人々の命を守ったとか。
近い将来、東京に高い確率で地震が来るとか言われていますから、助かりたい人はこの神社にお参りしておくといいかもしれませんね。
小さい神社ですけど、参拝客はポツポツ来てましたよ。
最期に案内板に書いてあった由緒を記しておきます。
<<小網神社>>
社伝によれば、当社は小網万福寺を別当寺として、室町時代中期、当地に祀られた稲荷社に起源するという。稲荷社は明治時代初めの神仏分離令により、小網神社と称し、東堀留川の河岸地の一画であった現在地を社地と定めた。そして現在、小網町及び人形町の一部の氏神として、また東京下町に広く信仰を集めている。
境内には、昭和4年(1929)の造営による社殿及び神楽殿が残っている。社殿は伝統的な神社建築の形式を備え、向拝には優れた技法による昇り龍・降り龍・獅子・ばく・鳳凰等の彫刻がほどこされている。また道路際に建つ神楽殿は、五角形という特殊な平面形態を持つ。この社殿及び神楽殿は、中央区に現存する数少ない木造の神社建築として、棟札等の造営に関係する資料とともに中央区民文化財に登録されている。
社伝によれば、当社は小網万福寺を別当寺として、室町時代中期、当地に祀られた稲荷社に起源するという。稲荷社は明治時代初めの神仏分離令により、小網神社と称し、東堀留川の河岸地の一画であった現在地を社地と定めた。そして現在、小網町及び人形町の一部の氏神として、また東京下町に広く信仰を集めている。
境内には、昭和4年(1929)の造営による社殿及び神楽殿が残っている。社殿は伝統的な神社建築の形式を備え、向拝には優れた技法による昇り龍・降り龍・獅子・ばく・鳳凰等の彫刻がほどこされている。また道路際に建つ神楽殿は、五角形という特殊な平面形態を持つ。この社殿及び神楽殿は、中央区に現存する数少ない木造の神社建築として、棟札等の造営に関係する資料とともに中央区民文化財に登録されている。