名称 | 龍口寺(りゅうこうじ) |
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住所 | 神奈川県藤沢市片瀬3-13-37 |
タイプ | 寺 |
参考リンク | 龍口寺HP |
ご利益
- 昔この辺りにいた五頭竜が山になったのが片瀬の竜口山だという。山の中腹に竜の形をした岩があり江ノ島の天女を見つめているようだという。
参考文献:『日本の謎と不思議大全 東日本編』 人文社
- むかし処刑場があった。
- 1272年、僧日蓮が鎌倉幕府により龍ノ口刑場で処刑されそうになった。処刑が行われようとした瞬間、江の島の方から強い光が飛んできて首切り役人の目をくらませ処刑執行が中止になった。
参考文献:『日本の聖地99の謎』 歴史ミステリー研究会編 彩図社
龍口寺へ行ってきました
龍口寺にやってまいりました。
なんでも鎌倉時代にここは刑場があったらしいです。
あの日蓮もここで処刑されそうになったとか。
延元2年(1337)に日蓮の直弟子・日法というお方が刑場跡に一堂を建てて、自作の祖師像を安置したのが始まりらしいです。
刑場跡だったことを示す石碑とかがありました。
そばにあった説明板には次のように書いてありました。
それから「国に背く悪人が出来した時は首を斬り社頭に掛けよ」という神託をくだした龍口明神って、なんか生贄を求めているみたいな感じで怖いですね。
大本堂です。
奥の方には五重塔も見えます。
境内に御霊窟なるものがありました。
日蓮が龍口法難の際に一晩幽閉されていた洞窟だそうです。
なんでも鎌倉時代にここは刑場があったらしいです。
あの日蓮もここで処刑されそうになったとか。
延元2年(1337)に日蓮の直弟子・日法というお方が刑場跡に一堂を建てて、自作の祖師像を安置したのが始まりらしいです。
刑場跡だったことを示す石碑とかがありました。
そばにあった説明板には次のように書いてありました。
当地は鎌倉幕府時代の刑場跡である。幕府の公式記録である『吾妻鏡』には腰越、龍の口に於いて斬首との記載が多く見られる。
奈良時代の僧・泰澄、一説には鎌倉時代の僧・文覚が龍口明神に法味を供養したところ、国に背く悪人が出来した時は首を斬り社頭に掛けよ、との神託を受けた。これによって龍の口が処刑場になったと旧記にある。
文永8年(1271)9月13日子丑の刻(午前2時)、日蓮大聖人は『立正安国論』の諫言により、幕府に捕らえられ、この刑場・敷皮石(首の座)にすえられた。
しかし処刑の瞬間、時あたかも江の島の方より満月の如き光りものが飛び来りて、執行人共は眼がくらみ、この奇瑞の為、ついに大聖人の首を斬ることが出来なかった。
かくして此処は日蓮大聖人龍口法難の霊場であり、世の安寧の為に身命を賭けられた寂光土と称される所以である。
日蓮を救った光りものって何なんでしょうね?奈良時代の僧・泰澄、一説には鎌倉時代の僧・文覚が龍口明神に法味を供養したところ、国に背く悪人が出来した時は首を斬り社頭に掛けよ、との神託を受けた。これによって龍の口が処刑場になったと旧記にある。
文永8年(1271)9月13日子丑の刻(午前2時)、日蓮大聖人は『立正安国論』の諫言により、幕府に捕らえられ、この刑場・敷皮石(首の座)にすえられた。
しかし処刑の瞬間、時あたかも江の島の方より満月の如き光りものが飛び来りて、執行人共は眼がくらみ、この奇瑞の為、ついに大聖人の首を斬ることが出来なかった。
かくして此処は日蓮大聖人龍口法難の霊場であり、世の安寧の為に身命を賭けられた寂光土と称される所以である。
それから「国に背く悪人が出来した時は首を斬り社頭に掛けよ」という神託をくだした龍口明神って、なんか生贄を求めているみたいな感じで怖いですね。
大本堂です。
奥の方には五重塔も見えます。
境内に御霊窟なるものがありました。
日蓮が龍口法難の際に一晩幽閉されていた洞窟だそうです。