名称 | 北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ) |
---|---|
住所 | 山梨県富士吉田市上吉田5558 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 北口本宮富士浅間神社HP |
ご利益
- 富士山信仰の中心地。
- 1900年以上の歴史の重み。
- スケールが大きい。
- 限界の枠を広げる。
参考文献:『成功している人は、どこの神社に行くのか?』 八木龍平 サンマーク出版
- 美のお守が女性に人気。
- 境内奥に富士吉田口登山道の入口がある。神社参拝で身を浄めてから富士登山に出発できる。
- 境内に「立行石」というのがある。富士講開祖・長谷川角行が酷寒のなか裸で爪立ち富士山を遥拝する荒行を行った場とされる。
- 吉田の火祭りは圧巻。
- 杉と檜の参道、夫婦檜、太郎杉などで木の神々のエネルギーを感じられる。姿勢を正す。迷いを払う。
参考文献:『開運!日本のパワースポット案内』 一個人編集部編 KKベストセラーズ
- 北口本宮冨士浅間神社から200メートルほどの場所に「大塚丘」という小さな丘がある。ヤマトタケルノ命が富士山を遥拝した聖地で、ヤマトタケルノ命を祀った祠がある。
参考文献:『神社ヒーリング』 山田雅晴 たま出版
- 富士山が御神体。
- 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が祀られている。
- 鎮火。
- 安産。
- 美しく素敵な女性になれる。
- ドラマティックな恋ができる。
参考文献:『ご利益別ピンポイント神社』 マガジンハウス編 マガジンハウス
- 強くて太くてまっすぐな気が流れている。
- 勇気と自信がもてる。
- 我欲のない志を持つ人などを応援してくれる。
- 初心に立ち返って決意を新たにできる。
- 人生の大きな目標を絵馬に書くとよい。
参考文献:『幸せを呼び込むパワースポット』 暁玲華 集英社
- 富士山(3776m)を祖山とするパワースポット。
- 富士山の陰の気を受け止めている場所。ちなみに富士山を挟んで対角線上にある富士本宮浅間大社は富士山の陽の気を受け止めている場所。
- 悪運を浄化してくれる。
- 心の迷いが消える。
- 行くべき道が見えるようになる。
- 拝殿の前にある太郎杉や夫婦檜周辺に強いパワーがある。
- 諏訪神社拝殿前にも強いパワーがある。
参考文献:『李家幽竹 最強龍穴パワースポット』 李家幽竹 山と渓谷社
- 内面を磨き精神を鍛えられるように導いてくれる。その導きは時として厳しい形であらわれることもある。それは禊だと受け取り精進を続けることが大事。
- あきらめないように後ろから背中を押してくれる功徳もある。
参考文献:『日本全国このパワースポットがすごい!』 若月佑輝郎 PHP研究所
北口本宮富士浅間神社へ行ってきました
北口本宮富士浅間神社にやってまいりました。
参道を歩きます。
道の両側には大きな木があって厳粛な雰囲気がしました。
参道の途中に「立行石(たちぎょういし)」を発見。
慶長の頃、富士講開祖の角行(かくぎょう)というお方が、酷寒の中、裸身でこの石上に爪立ちして30日の荒行をしたんだとか。
当時69歳だそうです。
全身より血を噴き、里人の勧めで行をやめたとか伝えられているらしいです。
なんとも人騒がせなお方です。
角行さんは、他にも色々な荒行をしたそうで、不眠の大業18800日とか、立行3000日とか、断食300日とか、造字360字とか、富士登頂128回とかをやったと書いてありましたね。
超人です。
106歳まで生きたそうです。
仁王門礎石というのもありました。
昔、神仏混淆していた時代には、仁王門とか三重塔とか鐘楼なんかが境内にあったみたいです。
明治の神仏分離令の際に、それらは撤去されてしまったとか。
大鳥居です。
いただいてきたリーフレットには、日本最大木造鳥居とか書いてありました。
こちらは随神門。
こちらが拝殿です。
御祭神は、木花開耶姫命、天津彦々火瓊々杵命、大山祇命だそうです。
拝殿の前には大きな木がはえています。
こちらは「富士太郎杉」と呼ばれており、樹齢は1000年くらいだそうです。
どっしりとしたパワーを感じましたね。
ちなみに拝殿の裏あたりには次郎杉というのもありました。
こちらは「冨士夫婦檜」と呼ばれている木。
2本のヒノキが根元で1本になり、地上約12メートルのあたりで再び合着しているので、この名前で呼ばれているそうです。
縁結びのご利益とかありそうですね。
神社の裏の方から出て、日本武尊が富士山を遥拝したという大塚丘を探しにいきました。
少し歩くと大塚丘を発見。
少し土が盛り上がっていてたしかに丘みたいになっています。
入口の鳥居の所にはクモの巣がはっていたりして、あまり人が訪れなような感じがしました。
案内板には次のように書いてありました。
丘の上には小さな祠がありました。
ここから日本武尊が富士山を遥拝したのでしょうか。
でも今は木が繁っていて富士山は見えませんでしたけど。
こちらは神社から富士山の方へ5キロくらい行ったところにあった中ノ茶屋(なかのちゃや)。
吉田口登山道を登り始めて最初にある茶屋だそうで、江戸時代の文書にも出てくる歴史あるとこみたいです。
ここから富士山に登っていけるみたいですね。
いつかチャレンジしたいと思います。
参道を歩きます。
道の両側には大きな木があって厳粛な雰囲気がしました。
参道の途中に「立行石(たちぎょういし)」を発見。
慶長の頃、富士講開祖の角行(かくぎょう)というお方が、酷寒の中、裸身でこの石上に爪立ちして30日の荒行をしたんだとか。
当時69歳だそうです。
全身より血を噴き、里人の勧めで行をやめたとか伝えられているらしいです。
なんとも人騒がせなお方です。
角行さんは、他にも色々な荒行をしたそうで、不眠の大業18800日とか、立行3000日とか、断食300日とか、造字360字とか、富士登頂128回とかをやったと書いてありましたね。
超人です。
106歳まで生きたそうです。
仁王門礎石というのもありました。
昔、神仏混淆していた時代には、仁王門とか三重塔とか鐘楼なんかが境内にあったみたいです。
明治の神仏分離令の際に、それらは撤去されてしまったとか。
大鳥居です。
いただいてきたリーフレットには、日本最大木造鳥居とか書いてありました。
こちらは随神門。
こちらが拝殿です。
御祭神は、木花開耶姫命、天津彦々火瓊々杵命、大山祇命だそうです。
拝殿の前には大きな木がはえています。
こちらは「富士太郎杉」と呼ばれており、樹齢は1000年くらいだそうです。
どっしりとしたパワーを感じましたね。
ちなみに拝殿の裏あたりには次郎杉というのもありました。
こちらは「冨士夫婦檜」と呼ばれている木。
2本のヒノキが根元で1本になり、地上約12メートルのあたりで再び合着しているので、この名前で呼ばれているそうです。
縁結びのご利益とかありそうですね。
神社の裏の方から出て、日本武尊が富士山を遥拝したという大塚丘を探しにいきました。
少し歩くと大塚丘を発見。
少し土が盛り上がっていてたしかに丘みたいになっています。
入口の鳥居の所にはクモの巣がはっていたりして、あまり人が訪れなような感じがしました。
案内板には次のように書いてありました。
<<大塚丘(おおつかおか)>>
北口本宮冨士浅間神社の社記によると人皇12代景行天皇の皇子日本武尊東征のおり、相模の国(神奈川県)足柄坂本から越えて甲斐の国(山梨県)に入り酒折の宮に行かれる途中この丘に登り富士の霊峯を遥拝したところと伝えられている。
このことを知る里人は丘上に社殿を建て浅間大神を祀り日本武尊を合祀した。
その後延暦7年(788)甲斐守紀豊が丘の北東に社殿を創立し浅間大神を遷座させたのが今の北口本宮冨士浅間神社のはじめであり、丘上には日本武尊が祀られている。
北口本宮冨士浅間神社の社記によると人皇12代景行天皇の皇子日本武尊東征のおり、相模の国(神奈川県)足柄坂本から越えて甲斐の国(山梨県)に入り酒折の宮に行かれる途中この丘に登り富士の霊峯を遥拝したところと伝えられている。
このことを知る里人は丘上に社殿を建て浅間大神を祀り日本武尊を合祀した。
その後延暦7年(788)甲斐守紀豊が丘の北東に社殿を創立し浅間大神を遷座させたのが今の北口本宮冨士浅間神社のはじめであり、丘上には日本武尊が祀られている。
丘の上には小さな祠がありました。
ここから日本武尊が富士山を遥拝したのでしょうか。
でも今は木が繁っていて富士山は見えませんでしたけど。
こちらは神社から富士山の方へ5キロくらい行ったところにあった中ノ茶屋(なかのちゃや)。
吉田口登山道を登り始めて最初にある茶屋だそうで、江戸時代の文書にも出てくる歴史あるとこみたいです。
ここから富士山に登っていけるみたいですね。
いつかチャレンジしたいと思います。