名称諏訪神社
住所山梨県甲州市大和町初鹿野
タイプ神社
参考リンク

ご利益

  • 以下、ホウの木の祟り。
  • 1905年、木の葉で柏餅を作った集落12戸の人々が病と水害でほぼ全滅。
  • 1953年、枝払いをした2人事故死。お祓いをした司祭溺死。作業を手伝った2人の国鉄職員、1人病死、1人事故死。
  • 1968年、大和中学校の修学旅行バス、国道20号でトラックと衝突。死者6人、重軽傷者21人。
  • 参考文献:『ムー』442号 学研

  • 近くを流れる日川は「三日血川(みっかちがわ)」とも呼ばれた。武田勝頼の側近・土屋惣蔵が主君を守るために迫り来る敵を次々と斬り倒し、そのために川は3日間朱に染まったという。勝頼自刃の地には景徳院が建立されている。
  • 参考文献:『日本の謎と不思議大全 東日本編』 人文社

  • 御神木のホオの木は「祟りの木」といわれている。
  • 1953年にこの御神木の枝を切った作業員6人が相次いで不審死した。
  • 線路拡張工事を行ってから、ほどなくして御神木の近くでバス事故が起こり学生6人が死亡した。
  • 御神木はJRの線路に覆いかぶさるようにして立っているが、JRは木を切るわけにはいかないので、信号の位置を変えたりフェンスを立てたりと様々な工夫でしのいでいる。
  • 参考文献:『日本の聖地99の謎』 歴史ミステリー研究会編 彩図社

諏訪神社へ行ってきました

諏訪神社にやってまいりました。
甲斐大和駅のほんの少し西あたりにあります。
祟る木があるとかで、パワースポットとはちょっと違うんですが、興味がわいたので来てみました。
諏訪神社


こちらが拝殿。
拝殿
神社の起こりに関しては説明板に次のように書いてありました。
祭神は建御名方命、起源は詳かではないが、古書に曰く「建御名方命諏訪よりこの地に巡狩せられし折、供奉の臣足痛をなして困苦甚だし。里人蘆茅を以って日向に一宇を結び治療を奨めしに、日を経て茅屋の傍に温泉湧出せり。よって供奉の臣浴し見たるに足痛たちどころに癒え、附近の野にて狩をし初めて鹿を射たれば「初鹿野」の名を賜えりと。里人此処に一宇を建てて祀れり」と。



本殿の裏を覗いてみました。
本殿の裏には木が何本かはえてますけど、しめ縄をしてあったのが祟るという噂のある御神木の朴(ほう)の木っぽかったです。
そばには小さな社もあったかと思います。
木の後ろにはフェンスがあり、その向こうはすぐ線路になっています。
祟りを恐れ木が切れないJRが色々と工夫してしのいでいるんだとか。
本殿の上にも格子状の屋根みたいなものがついてますね。
神社側でも気を使っているんでしょうか?
御神木
見た感じ、そんなに古い木には見えませんでしたけど、説明板には次のように書いてありました。
本殿の裏にある神木の朴(ほう)の木は、二千数百年を経たといわれており、幹は幾度か枯れては根本から発芽し、現在に到っている。
この朴(ほう)の木は、日本武尊がこの地に憩(いこ)った折り、杖にしたものが発芽したものと伝承されている。古来からこの神木を疎(おろそ)かにすると、不祥の事件が起きると信じられているので、神意に逆らわないようにしている。
かなり昔からある木みたいですね。
祟るという噂も本当にあるみたいです。
祟られるとヤバイので、これ以上は近づかないでおきました。


こちら神社には、祟る木の他に大杉跡というのもありました。
この大杉は甲州街道の三本杉の1つといわれたほどの巨木だったそうですが、明治時代に鉄道が開通した頃から樹勢が衰えはじめ、色々保護にも努めたようですが、結局、枯死して伐られたらしいです。
初鹿野の大杉跡

これが大杉の切り株。
大きいです。
こっちの木は祟ったりしなかったんでしょうかね?
切り株