名称 | 雄山神社・中宮祈願殿 |
---|---|
住所 | 富山県中新川郡立山町芦峅寺2 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 雄山神社HP |
ご利益
- 明治時代、剱岳山頂で平安時代の作とみられる錫杖の頭部発見。未登頂の山とされていたが古代すでに登頂済。
- 立山は中世まで「たちやま」と読んだ。神が立ち現われる霊山。
- 明治の神仏分離まで中宮は芦峅寺(あしくらじ)、前立社壇は岩峅寺(いわくらじ)。
- 大宝元年(701)、佐伯有頼が白鷹を追って山に入る。熊を見て矢を射る。傷ついた熊が阿弥陀如来に変身。有頼は発心し慈興と名乗る僧になり立山開山。
- みどりが池は修行僧が滅罪写経のための墨をする水を得たところ。
- 芦峅寺にむかし姥堂(女人堂)があった。女性が参拝できるのはここまで。秋の彼岸に布橋灌頂が行われた。参加した女性は雄山神に導かれ極楽往生できるとされた。明治の神仏分離で姥堂破却。
参考文献:『究極 日本の聖地』 鎌田東二編著 中経出版
- 立山連峰の気を受けている。
- 自分の可能性がどんどん広がっていく。
- 身体機能アップ。
参考文献:『李家幽竹と行く 幸せパワースポット』 李家幽竹 ダイヤモンド社
- 立山連峰を祖山とするパワースポット。立山連峰の龍脈は弥陀ヶ原を経て雄山神社の中宮祈願殿と前立社壇に流れてきている。ミクリガ池にも気がたまっている。
- 境内全体にパワーが満ちている。
- 自分の可能性が広がる。
- 滞っていたことがスムーズに流れる。
- 頭がクリアになる。
- 身体機能が高まる。
- 祈願殿の前に強いパワーがある。
参考文献:『李家幽竹 最強龍穴パワースポット』 李家幽竹 山と渓谷社
雄山神社・中宮祈願殿へ行ってきました
雄山神社・中宮祈願殿にやってまいりました。
立山に行く途中にあるみたいな感じの神社です。
手水舎です。
「此の水は1キロ山奥の水神社境内に湧き出る岩清水です」とか書いてありました。
そこから引っぱってきているんでしょうか。
神明社がありました。
右が豊受大神宮、真ん中が皇大神宮、左が麻続御祖社だそうです。
とりあえず拝んでおきました。
神明社の隣にもう1つ小さなお社がありました。
治国社または宝童社というらしいです。
御祭神は新川姫命だとか。
耳だれ地蔵さまと称すとも書いてあったと思います。
首から上の病気、子育てなどにご利益があるとか。
とりあえず拝んでおきました。
謎の石壇。
この上で舞でも披露するんでしょうかね。
境内には大きな木がいっぱいはえていて、なかなか厳粛な感じがします。
こちらが祈願殿です。
明治維新までは芦峅大講堂と称していたらしいです。
本殿には雄山の大神をはじめ、立山山中36社の神々を合祀しているそうな。
こちらは祈願殿の近くにあったお社。
天地創造三神と大山祇神をお祀りしているらしいです。
さらに奥の方にもなにやらお社がありました。
立山大宮というらしいです。
御祭神は立山権現伊邪那伎大神だそうです。
相殿として文武天皇と佐伯宿祢有若公も祀っているみたいです。
明治初年に落石で破壊されたとか書いてあったので、昔はもっと立派な社殿だったのかもしれません。
子供が熊に乗っている石像がありました。
熊はなにやら亀を踏んづけているようです。
ある説明板に、文武天皇の大宝元年(701)、越中国司佐伯宿祢有若卿の嫡男有頼少年が、白鷹と熊に導かれて霊峰立山を開いたとか書いてあったので、その話にちなんで作られた像なのかもしれません。
熊の上に乗っているのは有頼少年でしょうかね。
金太郎みたいですね。
開山御廟もありましたよ。
ここに有頼公が眠っているんでしょうか。
こちらは若宮。
苔むした岩の上に社殿が建てられていました。
御祭神は刀尾天神(天手力雄神)と、佐伯氏の祖稲背入彦命、佐伯宿祢有頼命だそうです。
大願成就、必勝不敗、災難除けの神として信仰されておるそうです。
また立山に登る人は必ず参拝するのが例だったとか。
なかなかいい感じの神社でした。
立山に行く途中にあるみたいな感じの神社です。
手水舎です。
「此の水は1キロ山奥の水神社境内に湧き出る岩清水です」とか書いてありました。
そこから引っぱってきているんでしょうか。
神明社がありました。
右が豊受大神宮、真ん中が皇大神宮、左が麻続御祖社だそうです。
とりあえず拝んでおきました。
神明社の隣にもう1つ小さなお社がありました。
治国社または宝童社というらしいです。
御祭神は新川姫命だとか。
耳だれ地蔵さまと称すとも書いてあったと思います。
首から上の病気、子育てなどにご利益があるとか。
とりあえず拝んでおきました。
謎の石壇。
この上で舞でも披露するんでしょうかね。
境内には大きな木がいっぱいはえていて、なかなか厳粛な感じがします。
こちらが祈願殿です。
明治維新までは芦峅大講堂と称していたらしいです。
本殿には雄山の大神をはじめ、立山山中36社の神々を合祀しているそうな。
こちらは祈願殿の近くにあったお社。
天地創造三神と大山祇神をお祀りしているらしいです。
さらに奥の方にもなにやらお社がありました。
立山大宮というらしいです。
御祭神は立山権現伊邪那伎大神だそうです。
相殿として文武天皇と佐伯宿祢有若公も祀っているみたいです。
明治初年に落石で破壊されたとか書いてあったので、昔はもっと立派な社殿だったのかもしれません。
子供が熊に乗っている石像がありました。
熊はなにやら亀を踏んづけているようです。
ある説明板に、文武天皇の大宝元年(701)、越中国司佐伯宿祢有若卿の嫡男有頼少年が、白鷹と熊に導かれて霊峰立山を開いたとか書いてあったので、その話にちなんで作られた像なのかもしれません。
熊の上に乗っているのは有頼少年でしょうかね。
金太郎みたいですね。
開山御廟もありましたよ。
ここに有頼公が眠っているんでしょうか。
こちらは若宮。
苔むした岩の上に社殿が建てられていました。
御祭神は刀尾天神(天手力雄神)と、佐伯氏の祖稲背入彦命、佐伯宿祢有頼命だそうです。
大願成就、必勝不敗、災難除けの神として信仰されておるそうです。
また立山に登る人は必ず参拝するのが例だったとか。
なかなかいい感じの神社でした。