名称 | 平泉寺白山神社 |
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住所 | 福井県勝山市平泉寺町平泉寺 |
タイプ | 神社 |
参考リンク |
ご利益
- イザナギノ大神、オオナムチノ神、アメノオシホミミノ命を祀っている。
- 白山を開いた泰澄大師の廟がある。
- 泰澄大師は御手洗(みたらし)池で白山大神の示現を受けた。
参考文献:『神社ヒーリング』 山田雅晴 たま出版
- 白山を祖山とする龍穴スポット。
- 日によってパワーの強さに差がある。これは星の動きと関係がある。
- 本殿、またその脇にある別社のあたりがパワーが強い。
- 海底にいるような静寂なパワーがある。
- 自分の道を探す際のヒントが得られる。
- 新しく生まれ変わる。
- 人生のやり直しができる。
- 転職する際などに訪れるとよい。
参考文献:『心を癒す風水パワースポット45』 御堂龍児 講談社
平泉寺白山神社へ行ってきました
勝山市にある平泉寺白山神社にやってまいりました。
ここは養老元年(717)に泰澄大師(たいちょうだいし)によって創建されたそうです。
中世には四十八社三十六堂六千坊が建ち並び、多くの荘園を抱え強大な勢力を誇っていらしいですが、天正2年(1574)に一向一揆勢が乱入してきて一山ことごとく焼失するという災難に見舞われたんだとか。
10年後くらいに再興されて、その後も色々あって現在に至っているようです。
長い参道を歩きます。
石畳の脇の苔と杉木立がいい感じです。
読んだ本には、海底にいるような静寂なパワーがあるとか書いてあったかと思いますが、たしかにそんな感じかも。
参道の途中、脇の方に御手洗池(みたらしいけ)がありました。
泰澄大師が白山登拝の際にこの泉を発見し、大師の祈念に応じて泉の中の影向石(ようごういわ)に白山の大神が出現されたんだとか。
そして「神明遊止の地なり」というお告げがあったので、当社を創建したらしいです。
平泉寺の名の由来もこの泉にあるそうです。
ちょっと妖しげで神秘的な雰囲気の池でした。
池のそばにある三叉杉は泰澄大師が植えたものと伝えられているとか。
幹が途中から3本に分かれ、白山三社をかたどる形になっているそうな。
こちら拝殿。
シンプルな感じ。
現在の拝殿は安政6年(1859)の造営だそうです。
一向一揆勢の乱入で焼失する以前はもっと大きかったらしく、正面45間もあって我が国最大だったとか。
拝殿の後ろにあった御本社。
御祭神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)です。
さらに、この御本社の左右に越南知社(おおなむちしゃ)と別山社があって、それぞれ大己貴尊(おおなむちのみこと、大国主命)と天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀っていましたね。
これは白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っているんだとか。
中世から近世には金釼社(かなつるぎしゃ)と加宝社(かほうしゃ)というのもあったらしいです。
さらに奥へ続く道を歩いていくと三之宮というお社がありました。
こちらの御祭神は栲幡千々姫尊(たくはたちぢひめのみこと)だそうです。
安産のご利益があるとして信仰されているそうです。
三之宮のそばに、なぜか楠木正成公墓塔がありました。
なんでも正成公の甥恵秀律師は平泉寺衆徒で、三之宮に参籠していた時に夢に正成公が騎馬姿で現われたんだとか。
後にその夢を見た日が正成公が湊川で戦死した日だとわかり、それで石塔を立てて菩提を弔ったと伝えられているそうな。
不思議なこともあるもんです。
なかなかいい神社でした。
とにかく苔が素敵でした。
苔が。
ここは養老元年(717)に泰澄大師(たいちょうだいし)によって創建されたそうです。
中世には四十八社三十六堂六千坊が建ち並び、多くの荘園を抱え強大な勢力を誇っていらしいですが、天正2年(1574)に一向一揆勢が乱入してきて一山ことごとく焼失するという災難に見舞われたんだとか。
10年後くらいに再興されて、その後も色々あって現在に至っているようです。
長い参道を歩きます。
石畳の脇の苔と杉木立がいい感じです。
読んだ本には、海底にいるような静寂なパワーがあるとか書いてあったかと思いますが、たしかにそんな感じかも。
参道の途中、脇の方に御手洗池(みたらしいけ)がありました。
泰澄大師が白山登拝の際にこの泉を発見し、大師の祈念に応じて泉の中の影向石(ようごういわ)に白山の大神が出現されたんだとか。
そして「神明遊止の地なり」というお告げがあったので、当社を創建したらしいです。
平泉寺の名の由来もこの泉にあるそうです。
ちょっと妖しげで神秘的な雰囲気の池でした。
池のそばにある三叉杉は泰澄大師が植えたものと伝えられているとか。
幹が途中から3本に分かれ、白山三社をかたどる形になっているそうな。
こちら拝殿。
シンプルな感じ。
現在の拝殿は安政6年(1859)の造営だそうです。
一向一揆勢の乱入で焼失する以前はもっと大きかったらしく、正面45間もあって我が国最大だったとか。
拝殿の後ろにあった御本社。
御祭神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)です。
さらに、この御本社の左右に越南知社(おおなむちしゃ)と別山社があって、それぞれ大己貴尊(おおなむちのみこと、大国主命)と天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀っていましたね。
これは白山山頂の三山のそれぞれの神を祀っているんだとか。
中世から近世には金釼社(かなつるぎしゃ)と加宝社(かほうしゃ)というのもあったらしいです。
さらに奥へ続く道を歩いていくと三之宮というお社がありました。
こちらの御祭神は栲幡千々姫尊(たくはたちぢひめのみこと)だそうです。
安産のご利益があるとして信仰されているそうです。
三之宮のそばに、なぜか楠木正成公墓塔がありました。
なんでも正成公の甥恵秀律師は平泉寺衆徒で、三之宮に参籠していた時に夢に正成公が騎馬姿で現われたんだとか。
後にその夢を見た日が正成公が湊川で戦死した日だとわかり、それで石塔を立てて菩提を弔ったと伝えられているそうな。
不思議なこともあるもんです。
なかなかいい神社でした。
とにかく苔が素敵でした。
苔が。