名称 | 諏訪大社(すわたいしゃ) |
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住所 | 上社本宮:長野県諏訪市中洲宮山1 上社前宮:長野県茅野市宮川2030 下社春宮:長野県諏訪郡下諏訪町193 下社秋宮:長野県諏訪郡下諏訪町5828 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 諏訪大社HP |
ご利益
- 秋宮が一番おすすめ。
参考文献:『真説・歴史紀行 日本のパワースポットを往く』 宮崎正弘 海竜社
- 御柱祭の起源は古代イスラエル。
- 御頭祭はアブラハムのイサク奉献を祭化したもの。
参考文献:『ムー』428号 学研
- 諏訪では御柱祭で浮気・借金など全部チャラ。祭り中は家を解放し来る者すべてに振る舞わなければならない。
参考文献:『ムー』426号 学研
- 五穀豊穣。
- 開運長寿。
- 交通安全。
参考文献:『開運! パワースポット「神社」へ行こう』 一条真也監修、造事務所編著 PHP研究所
- 上社本宮は守屋山、下社春宮は杉の木、下社秋宮はイチイの木がご神体。
- 上社本宮がおすすめ。守屋山は古代ユダヤ民族の信仰と関係ありという噂。四脚門から磐座「硯石」を参拝できる。硯石が真のご神体という説あり。
- 下社春宮で妖精の写真が撮れた。
- 信濃国には神無月がない。
参考文献:『眠れないほど面白い日本の「聖地」』 並木伸一郎 三笠書房
- 以下、春宮について。
- 神様は留守だった。
- 二股に分かれた御神木がある。多分野で成功するエッセンス。
- 以上。
- 以下、秋宮について。
- 女性の神様がいた。元人間。八坂刀売神らしい。建御名方神の妻ではない。建御名方神がこの地に来た時に色々教えた。半年ごとに春宮と秋宮を移動するとされるが実際はほとんど秋宮にいる。
- 手水が温泉。
- 土地にパワーがある。
- 以上。
- 以下、本宮について。
- 手水が温泉。
- 男の神様がいた。出雲で負けて逃げてきたのは別人。よそのクニからやって来て諏訪のクニ作りに尽力。クニ作りにあたって八坂刀売神に色々教えてもらう。人間だった時、八坂刀売神はすでに神だった。出雲大社の会議には参加する。
- 以上。
- 以下、前宮について。
- 御柱(おんばしら)は結界。1→2→3→4→1の順番で触って歩くとパワーをもらえる。
- 地域一帯を守る気。
- 以上。
参考文献:『神社仏閣は宝の山』 桜井識子 ハート出版
- 現在、上下社とも建御名方神・八坂刀売神を祀る。本来は上社が建御名方神、下社が八坂刀売神。
- 冬期に諏訪湖で御神渡(おみわたり)が起こる。上社の男神が下社の女神のもとに通う道筋。むかし諏訪湖はもっと広く湖が境内近くまで迫っていた。
- 上下社それぞれに祭祀組織があったが、中世末期に下社は上社の勢力によって灰燼に帰し一度断絶。
- 建御名方神は『古事記』だと敗北神、『諏訪大明神画詞』等だと征服神。もともと出雲の神々とは別系統の神。なんらかの理由で『古事記』編纂時に挿入。
- 前宮に大祝の居館があった。冬期に大祝がミサグチ神やソソウ神と共に御室に籠り諏訪明神の神体としての霊威を更新。神長守矢氏はミサグチ神を降ろしたり憑けたりできた。ミサグチ神は触穢があると祟る。鳥獣の犠牲を好む。
参考文献:『究極 日本の聖地』 鎌田東二編著 中経出版
- 年明け1、2月頃に行くのがおすすめ。神社は年末までに溜まっていたものが正月に浄化される。
- 上社から下社にパワーが流れている。
- 龍道が通っている。
- 上社からのパワーの帰着点は下社の春宮と秋宮とに半年ごとに動く。下社の遷座祭はそれを形にしたもの。
- 自分の中を整理。リセット。
参考文献:『パワースポットの歩き方 スペシャリストに聞く聖地のヒミツ』 伊藤三巳華ほか 朝日新聞出版
- 前宮はいい気が漂っている。方向性はなし。
- 本宮は、上下関係・礼節を意識できるようになり良い人間関係を築けるようになる。卑屈にならずふるまえる。
- 御柱は強いパワースポット。気持ちがくつろぐ。
参考文献:『「カルラ舞う!」式開運巡礼』 永久保貴一著、ほしの監修 秋田書店
- 『諏訪大明神画詞』によると、タケミナカタ神が諏訪に侵入してきた時、先住民モリヤ神の軍勢が天竜川の河口で迎え撃ったが、モリヤ神は敗れ征服された。その後、タケミナカタ神は諏訪明神として諏訪大社(上社)に祀られ、その子孫の神氏(諏訪氏)が大祝(おおほうり)になった。モリヤ神の子孫の守矢氏は神長(じんちょう)になった。先住民守矢氏が祀っていたのはミシャグチ神。
- 上社前宮は、タケミナカタ神が最初に諏訪で居を構えた所と伝えられる。本殿奥にタケミナカタ神の神陵と伝えられる聖地がある。
- 前宮本殿は南西の守屋山を拝む方向に建てられている。守屋山は守矢氏の祖神が鎮まる聖地。
- 神長守矢史料館に力強い縄文エネルギーに満ちた神饌の復元が展示されている。
参考文献:『日本「異界」発見』 内藤正敏 JTB
- 上社の祭神は、本宮がタケミナカタ、前宮がヤサカトメ。下社の祭神は、春宮も秋宮もタケミナカタ・ヤサカトメ両神。一般的には上社にタケミナカタ、下社にヤサカトメがいると考えられている。
- ときおり真冬の諏訪湖で御神(おみ)渡りという現象がある。タケミナカタがヤサカトメに会いに諏訪湖を渡るとされる。御神渡りがあると上社摂社の八剱(やつるぎ)神社の神官と氏子らによって御渡神事が執行される。
- タケミナカタ、タケミカヅチに力比べを挑むも手を握りつぶされ逃亡。諏訪の地で捕らえられ殺されそうになるが、もう逃げないと約束して許され、以後諏訪に鎮座。
- 以下、大祝(おおほうり)について。
- 上社の大祝は神氏(のちの諏訪氏)、下社は金刺氏。
- 現人神。神が宿る。
- 幼児・少年が一般的。
- 諏訪郡から出れなかった。出ると死ぬ。
- 以上。
- 武田信玄は諏訪大社を篤く崇敬。戦のたびに願文をささげた。「南無諏訪南宮法性上下大明神」などと書いた軍旗を使用。諏訪大社に保管されてきた諏訪法性兜をかぶって戦った。神事を復活させたりした。
参考文献:『「神社」で読み解く日本史の謎』 河合敦 PHP研究所
- 建御名方神、その妻神・八坂刀売神を祀る。
- 世界一の金運神社。金運を願うなら下社がおすすめ。
- 諏訪湖は糸魚川静岡構造線の真上にある。
- 上社はユーラシアプレート、下社は北米プレートに乗っている。
- 世界中から気が集まる。
- もともとは上社に夫神、下社に妻神を祀っていた。
参考文献:『開運!最上のご利益がある神社』 辰宮太一 KKベストセラーズ
- 本宮に建御名方神(たけみなかたのかみ)を祀る。
- 前宮に八坂刀売神(やさかとめのかみ)を祀る。
- 坂上田村麻呂が奥州討伐に向う際に戦勝祈願。見事敵を打ち破った。
- 武田信玄が熱心に信仰していた。
- 勝負運アップ。
- 御柱にもお参りするとよい。動的なパワー。チャレンジエネルギー。
参考文献:『全国・最強ご利益パワースポット巡り』 金谷俊一郎 宝島社
- 主祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)。大国主神(おおくにぬしのかみ)の子。国譲りに反対した。武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)に負けた。出雲から追われてきた。
- 4ヶ所の鎮座地は、いずれも本殿がなく、上社は神体山を、下社は神木を祀る。
- 御柱(おんばしら)の意味については、依代説、社殿の見立て説、咒具説、聖地の指標説、土俵柱説など色々ある。
- 風雨の神。
- 龍神・蛇身の神。
- 農耕神。
- 肉食を許す神。
- 殺生する者を救う神。
参考文献:『神社と神々―知れば知るほど』 井上順孝監修 実業之日本社
- 正月元旦に蛙狩神事が行われた。冬眠中の蛙を掘り出し、弓矢で射て、串に刺し、神に供える神事。蛙は水気・冬の象徴。蛙(水気・冬)を串刺しにして殺し続けることで、春を迎えるための呪術。蛙は土気ともされ、蛙を串刺しにする柳は木気で、木剋土の理による迎春呪術とも考えられる。
- 風祝(かぜのはふり)を春に100日間閉じ込める行事があった。風祝は諏訪明神の依代。諏訪明神は蛇神、風神、木気。木気の盛んな春に風祝を閉じ込めるのは風鎮静のため。持統5年8月の諏訪神に対する奉幣の日取りは酉月辛酉日。この日取りは金気であり、この奉幣は金剋木の理による風神折伏。
参考文献:『陰陽五行と日本の民俗』 吉野裕子 人文書院
- 信濃国一之宮。
- 御祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)。
- 農業・産業・航海守護。
- 縁結び、子授け。
- 人生の柱を建てる。
参考文献:『開運!日本のパワースポット案内』 一個人編集部編 KKベストセラーズ
- 御祭神はタケミナカタと、その妃であるヤサカトメ。
- 勝運、出世運アップ。
- 全国に5000社ある諏訪神社の総元締め。
- 7年に1度取り替えられる御柱は、聖域を守る結界とも神様が降臨する神籬(ひもろぎ)ともいわれる。
- 下社秋宮では一の柱背後の神木のそばが一番パワーが強い。駐車場の脇の八幡山の中にある八幡神社にも参拝するとよい。
- 下社春宮は四社の中で風水力が一番高い。本殿正面、若宮社が祈願ポイント。
- 上社本宮の拝殿の内側向かって右手に「硯石(すずりいし)」という巨石がある。諏訪の神が降臨したという言い伝えがある。強いパワーを放っている。
- 上社前宮は四社のうち神社周辺のパワーが最強。龍神を味方につけたい人は御室社(おむろしゃ)で祈願するとよい。
参考文献:『温泉風水』 角川いつか、阿部慎也 光文社
- 全国に2万社以上ある諏訪神社の総本社。
- 御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)。
- お諏訪様の御母神・高志沼河姫命(こしのぬなかわひめのみこと)が子安社に祀られている。安産などのご利益がある。底の抜けた柄杓(ひしゃく)をお供えして祈願する。
参考文献:『全国パワースポットPERFECT BOOK』 イースト・プレス
- 上社前宮は、行動力・活性運アップのご利益がある。
- 上社本宮は、安定・平穏の運気がある。
- 下社秋宮は、成長運・発展運・財運アップのご利益がある。
- 下社春宮は、安定運・安泰運アップのご利益がある。
- 春宮の近くに「万治の石仏」というのがある。やわらかい光にあふれたパワースポット。浄化の運気がある。
- 温泉に入ったり、諏訪湖畔を散策するとよい。
参考文献:『李家幽竹と行く 幸せパワースポット』 李家幽竹 ダイヤモンド社
- 諏訪大社周辺は出雲以外で旧暦10月が「神在月」とされる唯一の地域。一説には諏訪明神があまりに巨体なので、神々が諏訪明神を案じて特別に出雲まで来なくてもいいことにしてくれたからという。
- 1月1日に行われる「蛙狩(かわずがり)神事」では、近くの川で神前にお供えする蛙を捕まえる。どんな厳冬でも必ず蛙が捕まえられる。
- 本宮の宝殿は御柱祭の時に建て替えられるが、どんなに日照りの年でも宝殿の屋根からは水滴が落ちる。
参考文献:『日本の聖地99の謎』 歴史ミステリー研究会編 彩図社
- 霧ヶ峰山系の長く走ってきた強い龍脈が後ろから入っている。
- 秋宮(下社)が「穴」になっておりパワーが強い。
- 龍脈が長く走ってきて休んだところにあるため気がなかなか枯れない。
- この神社は鬼門(北東)の方角に向かって建てられているが、この方位を上手く使うことで地龍のパワーと神様のパワーをアップさせている。2004~2023年にもっとも力の強い方位となる。
参考文献:『「風水」の秘密』 御堂龍児 ごま書房
- 健御名方神(たけみなかたのかみ)を祀っている。
- 上社(前宮・本宮)、下社(春宮・秋宮)の四社からなる。それぞれ異なるパワーがある。
- 上社本宮は男性的野心をよい方向へ導いてくれる。やる気がアップ。些細な事にこだわらなくなる。
参考文献:『幸せを呼び込むパワースポット』 暁玲華 集英社
- 上社(前宮・本宮)、下社(春宮、秋宮)の二社四宮からなる神社。
- 全国にある諏訪神社の総本社。
- 本殿がないのが特徴。上社は神体山(宮山)、下社は御神木(春宮は杉、秋宮は一位の木)が御神体。
- ご祭神は建御名方神、八坂刀売神、八重事代主神。
- 古くは風、水の守護神。
- 五穀豊穣。
- 生命の根源、生活の源を守る。
- 縁結び、子授け、安産。
- 7年に1度、天下の奇祭「御柱祭」が行われる。御柱祭の時期のみ授与される御柱の御神木のお守りがある。
参考文献:『風水パワースポットBOOK』 内川あ也 新星出版社
- 上社前宮はすでに形骸化して力を抜かれている。荒らしつくされた無惨な感じのところ。パワーがバラバラになっていて方向性がなく剥き出しになっている。大祝(おおほうり)である諏訪氏はこの土地の力をまとめる役割りを担っていた。しかし戦国時代に諏訪頼重が武田信玄に滅ぼされたことによって、力をまとめるものがいなくなり力が抜けてしまった。大祝とは超自然的存在と交流できるシャーマンのようなものだった。武田信玄もかなりの呪術者で、この諏訪の領土だけでなく霊力も奪いに来た。頼重は恨みのかたまりになっている。頼重の娘は信玄の側室になり、のちに勝頼を生んだが、勝頼は織田に滅ぼされた。これは頼重の恨み、もっと言えば諏訪の神の怒りである。
- 上社本宮は品のあるいい神社。聖域といってよい。
- 下社春宮もちゃんと生きている。神威ある聖域。上空に菊の形をした光がある。下社では祭神は2月~7月までは春宮におり、8月~1月までは秋宮にいるといわれているので、その神の霊力が菊の形になってあらわれているのかもしれない。
- 下社秋宮もなかなかいいところ。人の息吹があり、人がたくさん入ることによって守られている聖域。
- 7年に1度行なわれる御柱祭では四隅に柱を立てる。これは結界という意味もあるし、パワースポットのチューニングという意味もあるようだ。
参考文献:『闇の検証 第四巻』 「HONKOWA」編集部編 朝日新聞出版
- 勝負運、健康運、厄除けなどのご利益がある。
- 風水的に見てもすごいエネルギーのあるスポット。
参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社
- 日本の一大事に備える神様がいる。
- 創造発展の功徳がある。これから新たに事業を興す際や、新しい分野に進出する人は参拝するとよい。
参考文献:『全国の開運神社案内』 深見東州 たちばな出版
- 人生に新たな柱を建てる。世の中に頭角をあらわす力を授ける。
- 諏訪大社には4つのお社があるが、まず上社本宮へ参ると良い。本宮の後は、下社の春宮か秋宮のどちらか一つをお参りすると良い。これから新しく何かをスタートさせる場合は春宮へ。すでに何かを始めていて、これからどんどん発展させていきたい人は秋宮へ行くと良い。冬至から夏至までは春宮へ、夏至から冬至までは秋宮へ、という風に時期で選んでも良い。
- 言いにくかったことを言えるようになる。
- 多くの人の意見をとりまとめる議長のような存在になれる。
参考文献:『日本全国このパワースポットがすごい!』 若月佑輝郎 PHP研究所
諏訪大社へ行ってきました
諏訪大社は4つの社があるんですが、とりあえず上社前宮から参拝することに。
これは二の鳥居でしょうか。
鳥居の前には立派な狛犬が。
鳥居の横にあった末社の若御子社です。
諏訪明神こと建御名方命の御子達を合祀してあるそうです。
こちらは十間廊(じっけんろう)という建物。
古くは「神原廊(ごうばらろう)」とも呼ばれたそうで、中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場だそうです。
昔このあたりには諏訪大社の神職である大祝(おおほうり)の居館があったらしいです。
その居館を神殿(ごうどの)といい、その神殿のあった地域を神原(ごうばら)というのだそうな。
説明板に、毎年4月15日の「酉(とり)の祭」には、鹿の頭を75供えたとか書いてありました。
ちょっと残酷。
その鹿の頭の中には必ず耳の裂けた鹿が入っているそうで、諏訪の七不思議の1つに数えられたとか。
こちらが上社前宮の本殿になります。
説明板には次のように書いてありました。
前宮とは上社本宮に対し、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。前宮の祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)と、その妃八坂刀売命(やさかとめのみこと)と古くから信じられ、ここ前宮の奥に静まるところが墳墓と伝えられる。古来より立入ることが固く禁じられ侵すときは神罰があるといわれた。四方には千数百年の歴史を有する御柱が7年目毎に建てられ、現在の拝殿は昭和7年に伊勢神宮から下賜された材で造営されたものである。
まあ確かに塀とかで囲まれていないので、剥き出しになっている感じではあります。
でも個人的にはそんなに悪い雰囲気の場所とは思いませんでした。
悪く言えば剥き出し、良く言えば開放的といった感じでしょうか。
本殿の脇には小川が流れています。
「水眼(すいが)」というらしいです。
後ろにある山から流れてきているようです。
本殿の四隅には御柱が立てられています。
これがあの有名な御柱祭で引っ張ってくるやつなんですね。
勇壮な祭りのパワーがこもってそう。
続いて上社本宮にやってまいりました。
前宮からけっこう近い場所にあります。
写真は東参道入口です。
鳥居をくぐってすぐ神馬舎(しんめしゃ)なる建物が目にとまりました。
古くより諏訪大神の神馬の屋形とされてきたのだとか。
明治27年に倒木で建物が倒壊したそうですが、安置されていた神馬は前方に飛んで被害を受けなかったそうです。
その災害があったのは日清戦争が勃発したころで、人々は諏訪明神が神馬にのって戦場に向かったと噂しあったそうな。
樹齢約1000年という大欅の木です。
むかし贄(にえ)・御狩の獲物を掛けて祈願をした木だそうな。
鹿でもぶら下げたんでしょうか?
だとしたらちょっと怖い。
大欅の横には御柱もたってます。
こちらは摂社の出早社(いづはやしゃ)。
御祭神は出早雄命(いづはやをのみこと)。
諏訪大神の御子神で、お諏訪様の門番神として崇められているそうです。
イボ石神としても敬われており、小石を捧げてイボの全快を祈る風習があるとか。
これは入口御門です。
文政12年(1829)建立だそうです。
摂末社遥拝所です。
現在諏訪大社の摂末社は約100社もあるそうな。
こちらは四脚門なんですが、工事しているらしく見えませんでした。
案内板にあった説明を記しておきます。
四脚門は天正10年(1582)の兵変によって焼失したものを慶長13年徳川家康が時の勘定奉行大久保長安(佐渡金山奉行を兼ねる)に命じて建立させたものである。
この門はかつては大祝(祭神の子孫であり神を顕現する者)だけが最上段の硯石と呼ばれる磐座へ登って行った門である。
硯石とは前方脇片拝殿の屋根の上に見える石のことでこの石の凹面は常に水を湛えているところからその名が来ている。
鎌倉時代の大社の神楽歌に、
「明神は 石の御座所に おりたまふ みすふきあげの 風のすすみに」
とある如く明神の天降り給う場所であり神降しをする古代宗教の最高至極の位置であったと云われている。
工事していて見えませんでした。
こちらが参拝所です。
この奥に弊拝殿があるんですが工事していて見えません。
奥に社殿があるようにも見えますが、近づいてみると単なる写真だとわかります。
こちらは勅願殿。
個人私事の御祈祷を行う場所らしいです。
北参道の入口鳥居です。
私は東参道から入ってしまいましたけど、こっちの方が正式な入口っぽいです。
神社に参拝する際は正式な入口から入った方が御利益があるとか何かの本に書いてあったんで、御利益を最大限に受けたい人はここから入った方がいいかもしれません。
ここにも御柱が。
境内に力士の像がたってました。
信州小県郡大石村が生んだ名力士・雷電為右衛門さんだそうです。
神楽殿にあった大きな太鼓。
龍が描かれております。
元旦の朝にのみ打たれるそうですよ。
土俵なんかもあったりします。
上社本宮なかなかいい神社でした。
工事中だったのが残念ですけど。
続いて下社秋宮にやってきました。
しっかりと整備されている神社という感じで、参拝者もけっこう多かったです。
こちらは神楽殿。
1835年に造られたものらしいです。
ぶっとい注連縄は重さ約1トンもあるそうで、御柱祭毎につくりなおされるみたいです。
神楽殿の前にある狛犬。
日本一の大きさらしいです。
そしてこちらが弊拝殿です。
左右にそれぞれ片拝殿があります。
1781年に造営されたものだそうです。
よく写真とかで見る諏訪大社の社殿はこれだなと思いました。
立派なもんですね。
ここにもやはり御柱が立てられていました。
続いて下社春宮にやってきました。
こちらは秋宮にくらべると静かな印象でした。
秋宮と同じく弊拝殿の前に神楽殿があります。
そしてこちらが弊拝殿と片拝殿です。
秋宮のと同じような社殿ですね。
秋宮より1年早い1780年に落成したそうです。
当時は春宮と秋宮で社殿造営の技術を競っていたんだとか。
境内にあった「結びの杉」。
木の先が二又に分かれていますが根元で一つになっているので縁結びの御利益があるとか。