名称皆神山(みなかみやま)
住所長野県長野市松代町豊栄
タイプ
参考リンク

ご利益

  • 地下に巨大空間があったので度重なる地震で頂上部陥没。
  • 火山でなく断層もないのに日本有数の地震スポットだった。1965年の群発地震では2年にわたり7万回超の地震を観測。
  • UFOの目撃が多い。
  • 参考文献:『日本ミステリー遺産』 オフィスJ.B編 双葉社

  • ピラミッド。山田久延彦氏によると未完成。完成していれば高さ350メートル。地下の楕円空間が崩壊し真ん中が窪んだという。
  • 参考文献:『日本の謎と不思議大全 東日本編』 人文社

  • 新日本百景に選ばれている。
  • 世界最大最古のピラミッド、宇宙人が降りた、神様が降りた、夜になると光る、などの話がある。
  • 心のこもった祝詞。
  • 参考文献:『神社でヒーリング』 比企理恵 実業之日本社

  • 標高659メートル。
  • 世界最古のピラミッドという説がある。1979年、山田久延彦氏が著書「新説 古事記」の中で唱えた。山田氏によると、今から2~3万年前に築かれた。山田氏が皆神山をピラミッドだと唱えたのは、氏の奥さんの出身地が松代だから。
  • 1965年から皆神山の直下で群発地震。光った。
  • 大本教の聖地。「地質学上世界の山脈十字形をなす世界の中心地点」とされる。毎年9月に信者により祭典が行われる。
  • 太平洋戦争末期、大日本帝国は国家中枢を東京から皆神山周辺に移転しようと計画した。
  • 皆神龍太郎氏のペンネームのルーツ。
  • 参考文献:『謎解き古代文明』 ASIOS 彩図社

  • 諏訪に勢力拡大したミワ氏によると、三輪山(奈良県)の代わり。
  • 出口王仁三郎によると、世界の中心点。
  • 山根キクによると、キリストの修行地、釈迦の誕生地。ちなみに、皆神山の北西数kmにある川中島古戦場跡「八幡原史跡公園」にある法印塚は釈迦の墓。
  • 太平洋戦争末期、日本政府は東京から皆神山・象山に中枢機能を移転しようとした。
  • 山田久延彦によると、世界最大最古のピラミッド。
  • UFO発着地。
  • 参考文献:『ホラースポット探訪ナビ』 吉田悠軌 学研パブリッシング

  • 皆神山の西北の登山口に大日堂という小さなお堂がある。そこの右脇にある大杉の下から清水が湧き出している。この水は様々な病気に効くといわれており遠くから汲みに来る人もいる。普通の水とは違う霊力が感じられる。この水を飲むだけでデトックスでき癒し効果もある。水をいただけることに感謝すると、よりパワーをいただける。
  • 皆神山は日本ピラミッドや人口ピラミッドなどと噂される不思議スポット。
  • 頂上には皆神神社がある。ぜひ行ってみるとよい。足元から湧き上がってくる強いパワーを感じられる。新しいアイデアや閃きを得られる。
  • 参考文献:『みるみる運命を変える!「タオ」のパワースポット45』 御堂龍児 講談社

皆神山へ行ってきました

長野県松代町にある皆神山にやってきました。
登山口を探して山麓周辺を走っていたら「平林登山口」という立札を見つけたので、ここから登ってみました。
皆神山 平林登山口


途中、岩戸神社なるものを発見したので立ち寄ってみました。
御祭神は天照皇大神だそうです。
なにやら怪しげな洞窟が口を開けています。
「皆神山ピラミッドの入り口ではないかと言われ、その奥は謎とされている」と書いてありました。
はやくもオカルト臭が漂ってきました。
いいですね~、皆神山。
岩戸神社


洞窟の中に入ってみると、すぐに行き止まりです。
小さい祭壇が設けられていて、ちゃんと榊がいけてありました。
岩戸神社


洞窟の上には小さな石の社が2つありました。
岩戸神社


そして山頂に到着。
山頂まで車で行けます。
駐車場看板
皆神神社の駐車場にあった看板に何やら文章が書いてありました。
神社の由来でも書いてあるのかなと思って読んでみると、かなりオカルト臭のする話が書いてありました。
以下に記しておきます。
<<世界最大で最古の皆神山ピラミッド>>
皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動の抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最後のウルム氷期の終末期で東・南信の氷解水による。)となっておりその岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ空間移動させるといったダイナミックな方法でした(従って現在でも皆神山山塊だけが非常に軽くて負の重力異常塊となっています。)。
この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮=ねじれ摩擦現象=起電=電流発生といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じこの磁力と重力制御(反重力)により物体(電磁反発飛昇体)が垂直に離着陸するようになったのです。古文書に出てくる「天の羅摩船(アマノカガミブネ)」等がこの飛行体です。

<<謎の皆神山ピラミッド物語>>
皆神山は、古い古墳時代や弥生時代更に遡って縄文時代やエジプト・インダス・黄河・シュメール各文明よりずっと古い、今から約2~3万年前(浅間山、焼岳ができたころ。飯綱・妙高・富士は約九万年前)の超太古ともいうべき遠い旧石器の時代に造られました(人口造山=ピラミッド、ピラミッドはギリシャ語源で三角型のパンの意。)。
この皆神山を造った人間は、古事記に出てくる須佐之男命(自然主義的な科学技術者の集団の総称)で現代科学とは全く異質ではるかに優れた高い知的能力をもつ人類でした(旧人ネアンデルタール人系)。
では、何のために造ったかというと、墳墓ではなく地球上の各地や、宇宙空間への航行基地として造られたのです。

<<皆神山ピラミッドの祭神は知力・体力の神>>
超太古の宇宙航行基地である皆神山の祭神は従って高度の知的能力集団でみんな宇宙航行や宇宙基地に関係する次の四神です。

・熊野出速雄命(クマノイズハヤオノミコト)
宇宙船「天の羅摩船」等の航行の技術・管理を引き継いだ最後の集団で、北信地方の開拓祖神

・少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)
宇宙船で皆神山航行基地を離着した大国主命(オオクニヌシノミコト)の参謀集団

・泉津事解男神(ヨモツコトサカオノカミ)
皆神山航行基地をはじめ全宇宙基地を管理した集団

・速玉男神(ハヤタマオノカミ)
地球周回軌道の人工衛星(宇宙航行の中継基地)の技術者の集団

このように皆神山は、神々が活躍した基地であり、宇宙船で現れたり姿を消したりしたので自然人たちは神聖な山=高天ガ原(タカマガハラ)として崇め、後世に伝えたものです。
オカルト全開という感じの文章です。
この文章は誰が書いたんでしょう?
雑誌「ム○」の人かな?

他にも下記のような内容の案内板もありました。
<<皆神山に伝わる民話>>
昔から神の宿る山、あるいは霊山として信仰の拠点でありました皆神山には、たくさんのふしぎなはなしが語り伝えられております。古代神話として天の岩戸ものがたりをはじめ、慶長3年(1598)の田丸の殿様の鷹狩りに大天狗が現れ、皆神山での殺生は許さないと殿様を叱ったはなし、侍従坊(じじゅうぼう)の着物を無理に借用したので、城下の大火をひきおこしたというはなし、修行僧たちの野荒らしをキツネのしわざにしてしまい、キツネの詫証文をとったはなしなどがあります。

<<皆神山>>
皆神山は豊栄のシンボルであり、豊栄に住む人々の心のよりどころとなって、地域の発展を祈り、守り続けてきた山である。
標高は679メートル、まわりが8キロにおよぶ皆神山は今から35万年前に、堆積作用が信仰していた長野盆地の一隅に噴出した輝石安山岩の火山である。この溶岩は粘り気が強く、流れにくいマグマが地表に上がってきて、冷えて固まって丸みを帯びた山頂と急傾斜の斜面をもつ溶岩円頂丘(溶岩ドーム)となった。中央部のくぼみは噴出した溶岩が地下に逆戻りしたことを示している。この山の安山岩は見た目で鉄分の多い赤石と少ない青石の二種があって、豊栄や松代町内の石仏、墓石に多用され、松代城の石垣にも使用されている。
山頂には3つの峰があって、西の峰、中の峰、東の峰と呼ばれている。かつては各峰にお宮があって(熊野三社権現)、600年前に中の峰に合祀され、現在に至っている。8合目より上の土地は江戸時代まで朱印200石の和合院領であった。かつての呼び名は「群神山」あるいは「水上山」で、慶長年間からは皆神山になった。



山頂にある皆神神社に参拝してきました。
皆神神社
神社の御由緒を以下に記しておきます。
<<熊野出速雄神社>>

御祭神
出速雄命(いずはやおのみこと)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
豫母都事解男命(よもつことさかのおのみこと)
脇座に舒明天皇(じょめいてんのう)・古人大兄皇子(ふるひとおおえのおうじ)

御由緒
奈良時代養老2年(718)出速雄神社を奉祀と伝えられる。
中世以降修験道が盛んとなり、熊野権現を勧請、大日如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三仏を各峰に安置し熊野三社大権現と称した。
境内社の侍従神社に鎮まる侍従大神(じじゅうおおかみ)は、佐久の内山城主内山美濃守満久の三男下野守三郎満顕であり、13歳にして鞍馬山に入り密教を厳修、その後各霊山を巡り、内山氏滅亡のとき皆神山に入山、大日寺和合院宥賢と称した。後に侍従天狗坊と名乗り、皆神山の修験を完成させた。
弘治2年(1556)7月14日入定、在りし御影を木像に写して侍従坊大天狗明王と祀った。正親町天皇永禄・元亀の間(約440年前)と伝わる。
北は戸隠、南は皆神山と修験道で長い間栄え、先達和合院は皆神山八合目からうえを領し、聖護院(京都・本山派山伏の本山)より川中島四郡(埴科・更科・水内・高井)の年行事職を命ぜられ、更にはほぼ信濃全域の本山派山伏の支配権を得ていた。
明治初期の神仏分離令・廃藩置県により山伏は全部が還俗、一切を上知し和合院も廃するにいたり、出速雄命と熊野の神を熊野出速雄神社、侍従坊は侍従大神と奉斎した。

御神徳・御社殿
主祭神である出速雄命は、当地方開拓の祖神として天下の泰平と五穀豊穣をもたらす神として崇敬される。現在の御社殿は慶応元年(1389)の再建と伝えられ旧埴科郡中最古の建造物といわれる。撞木造とする古い修験道の建築に認められる特徴が残っている。
侍従大神は「児育て・寿命・火防の神」として信仰され、この地方では子供を侍従坊の弟子にすれば無病息災に育つといわれ、子供が生まれれば一度は参拝している。また、相殿には食物をつかさどり養蚕を守護する女神大宜都比売命(おおげつひめのみこと)を配祀する。御社殿は、江戸時代後期の天保14年(1843)起工、弘化3年(1846)に竣工した。

神社名
今から約1300年前に御神明を奉祀、祈りと信仰の山として、霊験あらたかなりといわれる皆神山に鎮座する熊野出速雄神社は、「皆神神社」と尊称され、広く崇敬されている。
こっちには宇宙基地の話は出てきませんね。


境内にある池。
クロサンショウウオの産卵地らしいです。
池


こちらが社殿です。
皆神神社


境内に天地カゴメ之宮という小さいお社がありました。
台座のところには六芒星マークがあり、またもやオカルト臭が。
天地カゴメ之宮
このお社のわきに石碑が立っていて、そこには次のように書いてありました。
<<天地カゴメ之宮建立由来>>
昭和49年1月23日、旧暦1月元旦、国常立大神お立ち上がりの神示あり。
諏訪大神より、2月5日節分から信州神業に発てと神示を受け、2月6日大雪の聖山神社へと向かう。
「皆神山へ行け。元の元の大元の大神様のお立ち上りと成りた。コトの大事の秘められし、その頂上なる神の御出現じゃ。」と神示あり、ついで戸隠中社に於いて「この信洲、神の洲と書いて、神洲と読むことを知っているか、皆神山へ参れよ。」と神示を受けて、翌2月7日積雪の皆神山に初登山をする。
皆神神社神前にて午前10時入神状態となる。大勢の神々参集されたなか、神業は新しい大神様地上神界天降りを出産の型で示され、戴冠式の形となり全ての神儀終了は正午、この皆神山は古代より地球上において、神界で選ばれた唯一の聖地であり、宮も又同じなり。
天地カゴメ之宮は、上に元津御祖大神、また、ヒマラヤから国常立大神の元津神霊を宮の御大将と迎え、日之出大神はじめ天地八百万の神々、龍神眷属、モーゼ、キリスト、ギリシャ神話の神々に至るまで参集され、現在は伊都能売神業にあり、此度神々より皆神山守護のため宮の建立を許され、ここに謹んでお受け致した次第を印す。
うーむ、なんだかよくわかりませんが、皆神山はなんかすごい所みたいですね。
「宇宙基地」だったり「神界で選ばれた唯一の聖地」だったりと。


こちらが出速雄神社みたいです。
額にそう書いてありました。
ということは最初に参拝した社殿はどの神様を祀っていたんでしょう?
まあ、あまり深く考えないことにします。
提灯の明かりがいいですね。
出速雄神社


御神木のヒムロビャクシン。
樹齢約1200年にもなるそうです。
ヒムロビャクシン


大本教の教祖出口王仁三郎氏の歌碑が建ってました。
「地質学上 世界の中心山脈の 十字形せる 珍の神山 天霊の 聖地に些しも 違はざる 尊き神山 皆神の山」と書いてあります。
歌碑


さらに奥の方へいくと冨士浅間神社がありました。
安産、火伏のご利益があるそうです。
冨士浅間神社


浅間神社の裏から見える景色。
浅間神社の裏からの景色


天満宮にも参拝しておきました。
頭が良くなりますように。
天満宮


少しオカルト臭もしましたが、神社自体は清々しい感じがしました。
皆神神社


皆神山から下りてきて、北西山麓にあるという大日堂も訪れてみました。
なんでもここの水がご利益あると聞いたもので。
大日堂
立札には次のように書いてあります。
<<大日堂>>
皆神山の北西山麓にあって、江戸時代初期に開山され、かつて山頂の和合院に祀られていた大日如来を安置したことから大日堂と呼ばれた。山火事によって焼失し、慶応4年(1868)に再建された。かつて、ここは松代藩主の野遊び場となり、能舞台もあったといわれている。現在は無住のために荒廃し、雨漏りもあって仏具などは始末されているが、牛を描いた絵馬が掛けられている。



立札に書いてある通りボロボロの荒れ寺です。
心霊スポットなのでは・・・・。
屋根の瓦とか落ちてきそうなので、あまり近寄らない方がいいかもしれません。
荒れ寺


本に書いてあった湧水を探して境内をしばらくウロウロしましたが、見つからなかったのでいったん入口のところに戻りました。
そしたら、脇の方で近所の方とおぼしき人がポリタンクに水を汲んでいるのを発見。
「ああ、この水場のことか」と思った次第です。
人工のパイプから流れ出しているのでイマイチ有り難味がないように感じましたが、きれいな水ではあります。
ペットボトルに詰めていただいてまいりました。
湧水


皆神山、なかなか面白い山でしたよ。
皆神山