名称久能山東照宮
住所静岡県静岡市駿河区根古屋390
タイプ神社
参考リンク久能山東照宮HP

ご利益

  • 富士山からの地龍が日本平でうねって駿河湾に走り抜けている。
  • 家康の墓所のある辺りが穴。今は生気が弱くなっている。活動を休んでいる。
  • 駿河湾が穴の生気を養っている。強すぎる地龍を抑える働きもする。
  • 素晴らしい地龍。このような場所に点穴し墓所などを建てれば、子々孫々繁栄し、また英雄豪傑が出る。しかし地龍が強すぎるので、野心の強すぎる子孫が出るかもしれない。それは、徳川幕府および国内の安定を第一に考える家康の望むところではなかったので、日光山に改葬された。
  • 家康の墓所が西を向いているのは、強すぎる地龍の気をそぐため。
  • 参考文献:『地理風水―聖なる大地の霊力』 御堂龍児 光人社

  • 久能山には富士山からの地龍が入っている。「蒼龍入海形」という吉相。駿河湾が強すぎる地龍の気をうまく流し陰陽のバランスを保っている。
  • 久能山東照宮は穴に建てられている。
  • この地にうまく点穴し墓所を建てれば英雄が現われる。しかし強すぎる地勢のために野心の強い子孫が出る可能性がある。そうならないように徳川家康の遺体は日光山に改葬された。
  • 参考文献:『「風水」で読み解く日本史の謎』 李家幽竹 PHP研究所

  • 日本平パークウェイ沿いに今は使われていない歩道橋がある。女の子の幽霊が出るという噂がある。女子小学生が交通事故死した現場とされる。
  • 2010年、2ちゃんねらーが深夜の日本平で失踪(?)
  • 参考文献:『ホラースポット探訪ナビ』 吉田悠軌 学研パブリッシング

  • 昇竜型の風水地形をしている。
  • 徳川家康が自らの墓所に指定した場所。
  • 勝負運アップ。
  • 立身出世運アップ。
  • 地位向上運アップ。
  • 表参道石段が気の通り道になっている。駿河湾を眺めるとよい。
  • 御廟所がパワーが強い。
  • 日本平にも寄るとよい。自分のベースに変化を引き起こすご利益がある。
  • 参考文献:『李家幽竹と行く 幸せパワースポット』 李家幽竹 ダイヤモンド社

  • 本殿の背後にある神廟(墓所)は西向きに建てられている。「(徳川家康が)死後も西国の大名を睨んでいる」と昔から説明されてきたが、本当の理由は別にある。久能山の西の直線上には鳳来寺(家康の生母が子授けの祈願をした)と岡崎(家康生誕地)がある。これは「太陽の道」を意識したもの。一度死んだ家康が、太陽が再び東から昇るが如く、神として蘇るための秘儀。
  • 拝殿・本殿・神廟を結ぶ軸線を北北東に延長すると富士山を越えて日光に至る。久能山と日光は「富士(不死)の道」によって結ばれている。東照宮の日光への遷座は、東照大権現が富士(不死)の山を越えて永遠の存在になる秘儀。
  • 参考文献:『日本の秘地・魔界と聖域』 小松和彦、荒俣宏、他 KKベストセラーズ

  • 竜爪山を祖山とするパワースポット。竜爪山の龍脈が駿河湾にはじき返されて逆流し山の間を走り回っており、昇龍形または回龍形と呼ばれる地形をしている。このような場所は好戦的で常に変化を求める気を持つ。
  • 徳川家康は遺言でこの地を墓所に指定したが、この地は「繰り返し」のパワーもあるため、再び戦乱をもたらさないように遺体は日光に改葬された。
  • 英雄を生む。
  • 出世運アップ。
  • やる気アップ。
  • 1159段ある石段をのぼり駿河湾を眺めるとよい。気を効率よく吸収できる。
  • 参考文献:『李家幽竹 最強龍穴パワースポット』 李家幽竹 山と渓谷社

久能山東照宮へ行ってきました

静岡市にある久能山東照宮にやってまいりました。
目の前に海がある風光明媚なところでしたよ。
社殿は山の上にあって参拝するには長い石段を登る必要があります。
久能山東照宮
入口のところにあった案内板に久能山の由来が書いてありました。
以下に記しておきます。
<<久能山東照宮>>
久能山には、推古朝のころ(592~628年)、久能忠仁(ただひと)が建立したと伝えられた久能寺があった。静岡茶の始祖といわれる聖一(しょういち)国師がここで修行し、また、多くの名僧が往来し隆盛をきわめた。
下って永禄11年(1568年)、駿府へ進出した武田信玄は、久能寺を現在の鉄舟(てっしゅう)寺に移し、この要害の地に久能城を築いたが、武田氏の滅亡とともに徳川氏の領有するところとなった。
徳川家康は、大御所として駿府に在城当時「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。
薨去(こうきょ)後、その遺言によりここに葬られた。二代将軍秀忠によって社殿が造営された、我が国最初の東照宮である。
権現作造り総漆塗り極彩色の社殿は、江戸時代を代表する大工棟梁、中井大和守正清(なかいやまとのかみまさきよ)の手によって造営され、本殿・石の間・拝殿が国宝に指定されている。
彫刻、模様組物等は桃山時代の文化の面影を残しながら、江戸初期の特徴を伝えている。
そのほか、神庫(しんこ)、神楽殿、鼓楼(ころう)等の建物も重要文化財に指定されている。
推古朝の頃にすでにお寺が建っていたということで、かなり歴史のあるところなんですね。
ある本には、ここは変化を求める気を持つとか書いてありましたが、お寺→お城→神社と、時代によってあり方が変わっているのは、その気のせいでしょうかね?


参道途中にあったお稲荷さん。
久能山目代(代官)だった杉江家の屋敷内に祀っていたものを、昭和57年にここに移したものだそうです。
2月の初午(はつうま)、二の午の日に参拝すると霊験あらたからしいです。
駿河稲荷社


つづら折りの長い参道が続きます。
参道


だいぶ上の方まで登ってから海の方を見やると、雄大な駿河湾を拝めます。
これはなかなか素晴らしい眺め。
この景色を見れただけでも来た甲斐がありました。
駿河湾
駿河湾


南国を思わせるような木。
南国を思わせる木


御社殿も見物してきました。
参拝料500円かかります。
日光の東照宮ほどではないですけど、なかなか煌びやかな社殿です。
拝殿


家康公の御手形がありました。
38歳のころの手相らしいです。
ばっちりマスカケ線が入ってますね。
さすが天下人。
うしろにあった板に「身長155cm、体重60kg」と書いてありましたけど、家康さんってけっこう小柄だったんですね。
家康公御手形