名称安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)
住所京都府京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70
タイプ神社
参考リンク安井金比羅宮HP

ご利益

  • 元はお寺だった。江戸初期に讃岐の金比羅大権現の分霊をいただき金比羅宮と呼ばれるようになった。
  • 御祭神は、オオモノヌシ、崇徳天皇、源頼政。
  • 崇徳天皇は四国に流されてから亡くなるまで「もの断ち(禁欲生活)」をして抗議の意を示したとされ、禁煙、禁酒などの絶ちもの祈願に霊験あり。
  • 「縁切り縁結びの碑(いし)」で縁切り・縁結び祈願ができる。
  • 裏口から2分ほどの場所に崇徳天皇御廟所がある。崇徳天皇の髪の毛が納められているという小さな石碑がある。悪縁切りの念押しとして訪れるとよい。
  • 本殿左手奥の金比羅宮遥拝所で縁結び祈願するとよい。
  • 参考文献:『温泉風水』 角川いつか、阿部慎也 光文社

  • 御祭神は崇徳院。平安時代末に後白河天皇と崇徳院が戦った保元の乱が起きた。崇徳院は戦いに敗れ讃岐国に流され、最期に天皇家を呪う言葉を残して舌を噛み切って死んだ。
  • 崇徳院の寵妃阿波内侍(あわのないし)が崇徳院を偲び、院の絵姿を納める御影堂を建てたのがはじまり。
  • かつては安井勧勝寺と呼ばれたが、明治の廃仏毀釈で神社になった。
  • 悪縁切りの霊験ある神社として有名。絵馬堂には悪縁切りを願う絵馬がいっぱいある。
  • 安井金比羅宮の北、50メートルほどのところに崇徳院廟がある。古来より崇徳院の墓だといわれている。
  • 参考文献:『日本魔界探検』 火坂雅志 廣済堂出版

  • 縁結びと悪縁切り両方のご利益がある。
  • 崇徳天皇が祀られている。
  • 境内にある「縁切り縁結び碑」は形代(かたしろ)に願い事を書いた後、中央の穴をくぐる。表から裏にくぐると悪縁が断たれる。裏から表にくぐると良縁に恵まれる。
  • 参考文献:『日本の聖地99の謎』 歴史ミステリー研究会編 彩図社

  • 境内にある「縁切り縁結び碑」には参拝者の願い事が書かれた形代(かたしろ)がびっしり貼られていて圧巻。男女の悪縁、タバコ、酒、ギャンブル、病気、貧乏など、切りたい縁を何でも切ってくれる。真ん中の穴から入って悪縁を切り、出てくると良縁が結ばれる。
  • くよくよしていた過去の自分にサヨナラして、新しい自分に生まれ変わることができる霊所。
  • 参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社

安井金比羅宮へ行ってきました

京都市東山区にある安井金比羅宮にやってまいりました。
街中にある神社です。
安井金比羅宮


「縁切り縁結び碑(いし)」を発見。
開いてる穴をくぐって縁切り&縁結びを祈願するのだそうです。
まわりにお札がびっしり貼られていて、なんかすごいです。
縁切り縁結び碑
実際に穴をくぐって祈願している方がいましたね。
はいつくばって穴をくぐる姿は少々滑稽でした。


とりあえず参拝。
こちらの神社の御祭神は崇徳天皇、大物主神、源頼政だそうです。
安井金比羅宮
由来書に書いてあった内容を以下に記しておきます。
<<安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)>>
祭神として崇徳天皇、大物主神、源頼政の三神を祀る。
社伝によれば、保元の乱(1156)に敗れて讃岐(香川県)で崩じた崇徳上皇の霊を慰めるため、建治年間(1275~1277)に大円法師が建立した光明院観勝寺(かんしょうじ)が当社の起こりといわれている。その後、観勝寺は応仁の兵火により荒廃し、元禄8年(1695)太秦(うずまさ)安井(右京区)にあった蓮華光院が当地に移建され、その鎮守として、崇徳天皇に加えて、讃岐金比羅宮より勧請した大物主神と源頼政を祀ったことから、安井の金比羅さんの名で知られるようになった。
本殿東の絵馬館には、当社に奉納された大小様々な絵馬が陳列されており、江戸時代の画家山口素絢(そけん)等の作品も含まれている。
また、境内にある「久志(くし)塚」は、古い櫛の供養のために築かれた塚で、毎年9月の第4月曜日に櫛祭が行われる。



絵馬掛けには絵馬がたくさん奉納されていました。
縁切りの神社として有名ということで、絵馬にも縁切りを願ったものが多かったように思います。
中には相手を呪っているような文言の絵馬も・・・・。
絵馬掛け所


こちらは久志塚。
使い古した櫛を供養するため建立されたものだそうです。
久志塚


神社のすぐ近くに崇徳天皇御廟所があると聞いていたので、境内を出て探しにいきました。
ちなみに神社の近くにあっち系のホテルがたち並んでいるゾーンがあるので注意しましょう。

御廟所はすぐに見つかりました。
塀に囲まれていて扉も閉まっているので中には入れません。
中をのぞくと、石碑が建っていて、後ろに木がはえているのがみえました。
崇徳天皇御廟
扉の前にある由来書によりますと、崇徳上皇の寵愛篤かった阿波内侍が御遺髪を請い受けて、この場所に塚を築いて上皇の霊を慰めたと伝えられているんだとか。