名称今宮神社
住所京都府京都市北区紫野今宮町21
タイプ神社
参考リンク今宮神社HP

ご利益

  • 徳川3代将軍家光の側室で5代将軍綱吉の生母でもあるお玉(桂昌院)とゆかりが深い神社。お玉はもともと八百屋の娘だったが将軍の生母として従一位の位まで上り詰めた。出世したお玉だったが故郷のことを忘れず、荒廃していたここ今宮神社に寄進を行うなどし復興整備に尽力した。
  • 玉の輿のご利益があるとされる。
  • 参考文献:『日本の聖地99の謎』 歴史ミステリー研究会編 彩図社

  • 別名「玉の輿神社」と言われており、参拝すると玉の輿に乗れると女性に大人気の神社。
  • この神社には「阿保賢(あほかし)さん」という不思議な石がある。この石をまず3回持ち上げる。その後願い事を心の中で念じながら石を三度なでる。そしてもう一度持ち上げて最初より軽く感じたら願い事が叶う。重かったらダメ。むやみに叩くと石が怒って重くて持ち上がらなくなるという言い伝えもある。
  • 参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社

今宮神社へ行ってきました

京都市北区にある今宮神社にやってまいりました。
入口には朱塗りの立派な楼門がありました。
楼門


落ち着いた感じの境内。
境内


女性のお顔が彫られたレリーフがありました。
徳川3代将軍家光の側室にして5代将軍綱吉の母、桂昌院を顕彰するものみたいです。
桂昌院のレリーフ
下の説明には次のように書いてありました。
<<桂昌院(お玉の方>>
桂昌院は、寛永5年(1628)、西陣で八百屋の次女に生れ、名を玉(たま)といった。その後公家二条家に出入りの本庄宗利の娘となり、関白家の鷹司孝子に仕えたが、やがて孝子が将軍家光に入嫁するのに伴われて江戸城に入り大奥で仕えているうち、春日の局に認められて家光の側室となり、後に5代将軍となる綱吉を生んでその生母となり、晩年には従一位に叙せられ、世に畏敬されつつ、至福のうちに、宝永2年(1705)79才で没した。
見事な玉の輿人生です。
続きの文章では桂昌院は神仏を敬う心厚く、色々と神社に寄進したり祭礼を復興させたりしたとか書いてありました。
立派な心根の持ち主だったからこそ玉の輿に乗れたのかもしれませんね。


とりあえず本社に参拝。
こちらの神社の御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の3柱です。
もともとここには素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る疫神社が鎮座していたらしいです。
今も疫神社は本社の西にあります。
今宮神社という名称は、この古くからある疫神社に対して、「新しい宮」ということで付けられたんだとか。
今宮神社


願い事が叶うかどうかを占えるという石「阿保賢(あほかし)さん」を発見。
阿保賢さん
石のそばにあった説明には、
先づ軽く手の平で3度石を打ち、持ちあげるに、たいそう重く成り、再度願い事を込めて3度手の平で撫でて持ち上げる。軽く成れば願いが成就すると言い伝えられて居ります。
というふうに書いてありました。
本に書いてあった内容とは微妙に違うような気もしますが、まあ細かいことは気にせず、お賽銭を納めて自分もチャレンジしてみました。
うーむ、重さの変化はよくわかりませんでした。
また、この石には病気平癒のご利益があるともいわれているそうです。
祈願してからこの石で身体の悪いところを摩れば回復が早まるのだとか。