名称高熊山(丁塚山)
住所京都府亀岡市曽我部町穴太
タイプ
参考リンク

ご利益

  • 以下、矢野祐太郎(軍人)の大本での歩み。
  • 大正6年、大本に入信した浅野正恭少将の息子を連れ戻すため綾部に行くが、浅野和三郎に教示を受け『大本神諭』にはまる。
  • 大正10年、軍の情報を出口王仁三郎に流し謹慎処分。
  • 大正12年、退役。武器商人に転身。
  • 大正13年の王仁三郎入蒙をプロデュース。王仁三郎日本送還後、彼と距離を置くようになる。
  • 昭和3年、福島久子(ナオの三女)グループなどと「肝川開き」を行う。
  • 昭和4年、福島グループと袂をわかつ。
  • 昭和5年、磯原の天津教を訪れ『竹内文書』に出会う。
  • 参考文献:『ムー』430号 学研

  • 兵庫県高砂市の沖合に神島という小島がある。出口王仁三郎の神霊・坤の金神(豊雲野尊)が幽閉されていた所。
  • 出口ナオの神格は艮の金神(国常立尊)。
  • 1916年、「神島開き」を行う。この後、ナオが主で王仁三郎が従という従来の立場が逆転。
  • 参考文献:『ムー』464号 学研

  • 大正6年、山本英輔(軍人)、綾部の大本で鎮魂帰神を受け神憑り状態になり暴れる。
  • 参考文献:『ムー』428号 学研

  • 出口王仁三郎、26歳の時、松岡芙蓉仙人に連れられて高熊山に籠って修行。神通力を会得。神界の秘奥を知る。山での修行中に見た霊界の有様を述べたのが『霊界物語』。
  • 穴太の産土神、小幡神社の奥宮があった山。王仁三郎の祖父、小幡神社の神に罪業消滅のため博打をするよう夢のお告げで命じられ財産失う。王仁三郎、小幡神社参拝中、なおの所へ行くようお告げを受ける。
  • 第二次大本事件の際、王仁三郎が修行した岩窟や神を祀った宝座が削り取られた。
  • 参考文献:『究極 日本の聖地』 鎌田東二編著 中経出版

  • 大本教の教祖・出口王仁三郎が28歳の時に修行した山。
  • 王仁三郎は松岡と名乗る天狗(芙蓉仙人)にいざなわれ高熊山の岩窟へ着の身着のままやってきたという。修行は7日間にわたり続いた。肉体は岩窟に端座したまま、霊魂のみが神霊界を駆け巡り、過去・現在・未来および神界の秘典をことごとく知悉したという。さらに天眼通、天耳通、自他神通、天言通、宿命通を会得し、救世の使命をはっきり自覚したという。
  • 参考文献:『魂の叡智 日月神示:完全ガイド&ナビゲーション』 中矢伸一 徳間書店

高熊山へ行ってきました

高熊山に行ってみることに。


てきとうに歩いていたら、穴太寺を見つけたので、ちょっと立ち寄ってみました。
西国三十三所観音霊場の二十一番札所で、宗派は天台宗、本尊は聖観音菩薩だそうです。
文武天皇の御代、大伴古麻呂大臣というお方が、薬師如来を本尊として開創したらしいです。
なかなかいい感じのお寺でした。
高熊山



お寺をあとにしてきとうに歩きます。
のどかでいいところです。
出口王仁三郎さんのことはあまり詳しくは知らないですけど、かなりやんちゃな人だったらしいです。
ここらへんの川とかでも遊んでたのかもしれませんね。
川


小幡神社を見つけました。
私のリサーチによると、出口王仁三郎さんの祖父がここの神社の神のお告げを受けて財産を失ったとか。
恐ろしい話です。
また、出口王仁三郎さん自身もなおの所へ行くようにお告げを受けたとか。
小幡神社
由来書には神社の起こりについて次のように書いてありました。
<<小幡神社>>
当社は、崇神天皇の命により派遣された四道将軍のひとり、丹波地域を治めた丹波道主命が、皇祖開化天皇を主神として祀ったことに始まるといわれ、開化天皇の御子の彦坐王(ひこいますのみこと)とその御子小俣王の三代を奉斎しています。
また社伝等によると、和銅元年(708)に、丹波国司大神朝臣狛麻呂(おおみわのあそんこまろ)が霊域に社伝を建立され、延長五年(927)に編纂された『延喜式』「神名帳」にも記載された古社です。



とりあえず参拝。
凡人にはお告げはありませんでした。
脇にあった稲荷神社とおぼしきところにおみくじがあったので、試しにちょっと引いてみたら凶が出て少しへこみました。
小幡神社


小幡神社をあとにし高熊山の方へ歩いていきます。
前方に見えるのがたぶん高熊山です。
高熊山


てきとうに麓を歩いていれば登山口が見つかるかなと思っていたんですが、なかなか見つかりませんでした。
ちょっと考えが甘かったかも。
道


黄色い鬼を発見。
頭が陥没しています。
この他にも緑色と赤色の鬼もいました。
「王仁三郎」だけにな、などとくだらないことを考えながらブラブラ歩き続けました。
鬼



若宮神社というのを見つけたのでちょっと立ち寄ってみました。
若宮神社
由来書には次のように書いてありました。
<<若宮神社>>
当神社の創建は、奈良時代の景雲3年とされ、多気神社として鎮祭されるも、その後社運の消長があり、南北朝の嘉慶元年9月に再建され若宮神社と改称された。祭神は窮乏の民に3年の徴貢を免じた大鷦鷯命(おおさざきのみこと、仁徳天皇)で昔より安産の守護神とされ八幡信仰等で若宮八幡宮と呼ばれた事もある。
左右の小社は地主彌勒尊と六孫王経基公である。
真下を走る旧篠山街道は寿永3年2月1日、一の谷の戦に向う義経が通った腰掛岩がある。
本殿は再建当時の流れ造りで内陣天井裏の桁に約600年前の龍が画がかれている。
例祭は毎年8月と10月で奇祭佐伯灯篭は平安時代より続いている。井出山の地名が知るす如く井泉は若宮さんの御香水と言って薬餌と甘露の水で知られる。



結局登山道は見つからず、どんどん山から離れていってしまったのでした。
高熊山

地図を見てたら「薭田野神社」というのを見つけて興味を覚えました。
古事記の稗田阿礼に関係でもあるのかなと思って。
すでに高熊山はどうでもよくなり、神社の方に吸い寄せられていきました。
薭田野神社
それで、いちおう薭田野神社に参拝してきましたが、古事記の稗田阿礼とは関係ないっぽいです。
由来書によると、和銅2年に丹波国主大神朝臣狛麻呂により佐伯郷の産土神として創建されたそうな。
御祭神は、保食命(うけもちのみこと)、大山祇命(おおやまづみのみこと)、野椎命(のづちのみこと)だそうです。


高熊山には登れませんでしたが、楽しい散歩ができました。