名称北野天満宮(きたのてんまんぐう)
住所京都府京都市上京区馬喰町
タイプ神社
参考リンク北野天満宮HP

ご利益

  • 887年7月30日、仁和地震発生。当時道真は讃岐国守で、この時の経験が延喜の国政改革に活かされた。
  • 参考文献:『今こそ知っておきたい「災害の日本史」』 岳真也 PHP研究所

  • 北野は天満宮創建以前から「雷公」が祀られていた。
  • 参考文献:『神社に秘められた日本史の謎』 新谷尚紀監修 洋泉社

  • 御祭神は、菅原道真。中将殿、吉祥女。
  • 学業成就。
  • 家内安全。
  • 交通安全。
  • 参考文献:『開運! パワースポット「神社」へ行こう』 一条真也監修、造事務所編著 PHP研究所

  • あたたかいオーラ。
  • 境内にたくさん梅がある。実は収穫され梅干しになり12月25日に大福梅として配られる。受験合格。
  • 牛の像の頭をなでるとよい。頭脳明晰。
  • 参考文献:『神社でヒーリング』 比企理恵 実業之日本社

  • 『北野天神縁起絵巻』によると、大宰府に左遷された菅原道真は天拝山(てんぱいざん)に登り、七日七夜、天に無罪を訴えた。訴えは梵天宮にいたり道真は天満大自在天神になった。
  • 以下、道真の祟り。
  • 延喜8年(908)、藤原菅根、雷に打たれ死亡。
  • 翌年、藤原時平、39歳で急死。
  • 疫病、洪水、長雨、干ばつなどの天変地異頻発。
  • 延長元年(923)、保明親王、21歳で死亡。
  • 2年後、慶頼(よしより)王、5歳で死亡。
  • 延長8年(930)、藤原清貫(きよつら)と平希世(まれよ)、清涼殿で雷に打たれ死亡。紫宸殿にも落雷、2人の貴族が犠牲に。醍醐天皇、体調を崩し退位、崩御。
  • 以上。
  • 天正15年(1587)、豊臣秀吉、北野天満宮で北野大茶湯を開催。開催理由として、九州平定・聚楽第落成を祝すため、権力誇示のため、京都の人々が自分を受けいれるかを試すため、などの説がある。当初、茶会は10日を予定していたが1日で終了。その理由として、秀吉の気まぐれ、多くの人を接待して嫌になった、失敗回避のため、などの説がある。
  • 参考文献:『「神社」で読み解く日本史の謎』 河合敦 PHP研究所

  • 以下、道真の祟り。
  • 疫病。
  • 雷雨。
  • 延喜8年、藤原菅根(すがね)病死。
  • 翌年、藤原時平死亡。
  • 延喜12年、紀長谷雄(きのはせお)死亡。
  • 翌年、源光(みなもとのひかる)死亡。
  • 翌年、皇太子14歳で死亡。
  • 延長8年(930)6月、紫宸殿に落雷、藤原清貫(きよつら)ら死亡。9月、醍醐天皇死亡。
  • 藤原純友・平将門の反乱起こる(承平・天慶の乱)。
  • 『道賢上人冥途記』によると、道真は太政威徳天(いとくてん)という、あらゆる疾病・災厄を司る魔王になっていた。地獄では醍醐天皇と3人の廷臣が業火の責め苦を受けていた。
  • 以上。
  • 学問、詩歌、芸能の神。
  • 参考文献:『神社と神々―知れば知るほど』 井上順孝監修 実業之日本社

  • 以下、北野天満宮の七不思議。
  • 一ノ鳥居をぐぐるとすぐ右側に松の木がある。毎年初冬から晩冬までの間に初雪が降ると、ここに道真の霊が降りて雪見の歌を詠むという。
  • 南門をくぐると正面にあるのが地主神社。道真を祀る本殿はやや西側にずれている。
  • 本殿前の中門は、日、月、星の彫刻があるため「三光門」と呼ばれる。しかし星は彫刻されていないといわれている。
  • 三光門のやや東南に石灯籠があり、その台座のところに大黒天像が刻まれている。この大黒天の口か頬に乗せて落ちなかった小石を財布に入れて祈ると金運アップ。
  • 拝殿の欄間の彫刻の牛は、なぜか一頭だけ立っている。
  • なぜか本殿裏にも神様が祀られている。裏の社には、天穂日命(あめのほひのみこと)、菅原清公(きよきみ)卿、菅原是善(これよし)卿の3柱が祀られている。
  • 北野天満宮の西北に天狗山という小山がある。むかし天狗が出没したといわれている。
  • 参考文献:『神社仏閣に隠された日本史の謎と闇』 中見利男 宝島社

  • 以下、菅原道真の祟り。
  • 道真の死後、都では長雨、水害、旱魃、疫病などが頻繁に起こった。
  • 延喜8年(908)、道真左遷に力を貸した藤原菅根(すがね)病没。
  • 延喜9年(909)、道真左遷の首謀者、藤原時平が39歳で死去。
  • 延喜13年(913)、道真のあとを継いで右大臣になった源光(みなもとのひかる)溺死。
  • 延喜23年(923)、皇太子保明親王21歳で死去。
  • 延長8年(930)、清涼殿に落雷。藤原清貫(きよつら)、平希世(まれよ)が死亡。紫宸殿にも落雷。美努忠包(みぬのただかね)、紀蔭連(きのかげつる)、安曇宗仁(あずみのむねひと)が死亡。醍醐天皇病に倒れまもなく死亡。
  • 参考文献:『日本史 怖くて不思議な出来事』 中江克己 PHP研究所

  • 京都随一の梅の名所。境内には約2000本の梅の木がある。
  • 菅原道真、その夫人である吉祥女、息子の中将殿を祀る。
  • 大宰府に流刑にされた菅原道真は、死後怨霊となり猛威を振るった。異常気象による農作物の不作、疫病の流行、道真を陥れた人々の怪死など。
  • 道真の怨霊が猛威を振るうなか、多治比文子(たじひのあやこ)という女性に、菅原道真より「北野の右近の馬場に祠を建て、祀れ」というお告げがあった。また、その13年後に太郎丸という子供にも同じお告げがあった。それを知った太郎丸の父は、朝日寺の僧最鎮と多治比文子らと協力して北野天満宮を創建した。
  • 早良親王などの怨霊を祀る末社12社がある。
  • 参考文献:『日本魔界ゾーン―京都・鎌倉』 吉田憲右著、三木孝祐監修 泉書房

  • 903年、大宰府に左遷された菅原道真、おのれの不運を嘆きながら死去。59歳。以下、道真の祟りを列挙。
  • 908年、道真の左遷に加担した藤原菅根(すがね)が事故死。
  • 909年、道真の左遷を画策した藤原時平(ときひら)が病没(39歳)。
  • 923年、醍醐天皇の皇太子保明(やすあきら)親王、21歳の若さで没する。
  • 925年、醍醐天皇の皇太子慶頼(よしより)親王、5歳で夭逝。
  • 930年、清涼殿に落雷。大納言藤原清貫(きよつら)、右中弁平希世(たいらのまれよ)ら道真の左遷に賛同した人々が焼死。助かった者たちは黒い雷雲に乗った道真の姿を見たと証言。道真の祟りに衝撃を受けた醍醐天皇は病の床につき、まもなく崩御。
  • 947年、太郎丸という少年へ神託があり、北野天満宮が創建された。
  • 参考文献:『[図説]日本の魔界地図』 志村有弘監修 PHP研究所

  • 菅原道真公を祀っている。
  • 学問、研究、文学、芸術などの才能を伸ばしてくれる。
  • 梅の花の季節に訪れるとよい。
  • 境内にある火之御子社にも参拝するとよい。スケールの大きいインスピレーションがいただける。
  • 参考文献:『幸せを呼び込むパワースポット』 暁玲華 集英社

北野天満宮へ行ってきました

北野天満宮にやってまいりました。
北野天満宮


鳥居をくぐったすぐのところに「影向松」を発見。
これが本に書いてあった北野天満宮の七不思議の1つである木だと思います。
初雪の日に御祭神がこの松に降臨して歌をよみ給うんだとか。
とりあえず拝んでおきました。
影向松


天満宮なので境内には牛の像がいくつか置いてありましたね。
なでてきました。
牛の像


南にある楼門をくぐると、目の前に道が続いています。
天満宮本殿は正面になく、西の方へずれています。
これも七不思議の1つなんだとか。
境内
この道を歩いていくと、その先に鎮座しているのが朱塗りの地主(じぬし)神社。
こちらの御祭神は天神地祇(てんじんちぎ)だそうです。
日本国内のすべての神様のことらしいです。
あと敦実親王(あつみしんのう)、斎世親王(ときよしんのう)、源英明朝臣(みなもとひであきらあそん)も相殿として祀ってあるようです。
『続日本後紀』に「承和3年(836)に遣唐使のために天神地祇を北野に祭る」みたいなことが書いてあるそうで、天満宮創建以前より鎮座していた神社らしいです。
招福、交通安全、諸願成就のご利益があるそうな。
とりあえず拝んでおきました。
地主神社


本殿の裏にも賽銭箱が置いてあり拝めるようになっていました。
これも七不思議の1つらしいです。
こちらには天穂日命(あめのほひのみこと)、菅原清公(きよきみ)卿、菅原是善(これよし)卿の三柱をお祀りしているそうです。
天穂日命は菅原道真公の祖先神、清公卿は祖父、是善卿は父だそうです。
学徳成就のご利益があるそうな。
本殿の裏


こちらは三光門。
日・月・星の3つの光の彫刻があるので三光門と呼ばれるとか。
しかし星はないとかで、これも七不思議の1つなんだとか。
三光門
門のところに貼ってあった説明には、星欠けの理由が次のように書いてありましたね。
平安京当初、大極殿が天満宮の南方位に位置、帝が当宮を遥拝される際三光門の真上に北極星が瞬いていたので星は刻まれていないと伝えられている。
日と月の彫刻探してみましたけど、どこにあるのかよく分かりませんでした。


三光門の近くにあった石灯籠の台座に大黒天の彫刻が。
これも七不思議の1つらしいです。
大黒天の口か頬に乗せて落ちなかった石を財布に入れると金運アップするとか。
頬に石を乗せるのはかなり難しいように思えます。
口の中なら、けっこう窪んでますからいけそうな気がします。
実際すでに口の中に小石が詰め込まれていましたし。
大黒天の彫刻


三光門をくぐると、なにやらまた石灯籠がありました。
渡辺綱が寄進したとされるらしいです。
渡辺さんは鬼に捕らえられて愛宕山に連れ去られそうになったらしいですが、北野天満宮上空で鬼の腕を刀で切り落として難を逃れたのだそうです。
天満宮の大神のおかげと感謝して灯籠を寄進したとか。
渡辺綱の灯籠


こちらが拝殿です。
頭がよくなるように拝んできました。
拝殿