名称一条戻橋(いちじょうもどりばし)
住所京都府京都市上京区堀川下之町
タイプ
参考リンク

ご利益

  • 「出来斎京土産(できさいきょうみやげ)」という近世の地誌に戻橋の名前の由来が記されている。平安期、浄蔵(じょうぞう)という天台僧が大峰山で修行していた際、浄蔵の父で漢学者であった三善清行(みよしきよゆき)が死んだ。大峰山から帰宅する途中の浄蔵はたまたま一条戻橋のところで父の葬式に遭遇。浄蔵が悲しみつつ父の棺に向かい祈念すると、父は息を吹き返し、自分の家へ戻っていったという。以来、この橋は「一条戻橋」と名付けられた。
  • 安倍晴明はこの橋の下に式神を隠していた。
  • 「平家物語」に渡辺綱がこの橋で女に化けた鬼と遭遇した話がある。
  • この橋の付近で某女性歌手の父親Kが変死した。事件は迷宮入りし真相は闇に埋もれたまま。
  • 京都の旧家の娘が嫁入りするときは、決してこの橋は通らないという風習が現在も続いている。
  • 参考文献:『日本魔界ゾーン―京都・鎌倉』 吉田憲右著、三木孝祐監修 泉書房

  • ある修行僧の父親が死んで葬儀が行われ、その葬列がこの橋の上に来た時に棺に入っていた死人が息を吹き返し、家に戻ることが出来たという。これが「戻橋」の名前の由来。
  • 御所の鬼門にあたる一条戻橋は奇怪な出来事が多く起こった。
  • 橋占いが多くなされた。
  • 安倍晴明ははじめ式神を邸に置いていたが、妻が怖がったので、一条戻橋の下に置くようにした。
  • 渡辺綱という侍が、この橋の上で美女に化けた鬼に出会い、正体を現した鬼の片腕を切り落とした。
  • 参考文献:『[図説]日本の魔界地図』 志村有弘監修 PHP研究所

  • 陰陽師安倍晴明が、この橋の下に式神を飼っていた。
  • 源頼光(らいこう)四天王のひとり渡辺綱(つな)が、この橋のたもとで鬼の腕を斬った。
  • 今でも花嫁を乗せた婚礼のハイヤーは、この橋の上を絶対に走らない。
  • 某女性歌手の父親が、この橋のすぐそばで変死した。
  • 参考文献:『日本魔界探検』 火坂雅志 廣済堂出版

一条戻橋へ行ってきました

京都市上京区にある一条戻橋にやってまいりました。
死んだ人が生き返った、鬼女に遭遇した、安倍晴明が式神を隠していた、等々の伝説満載のスポットです。
でも実際に来てみると、どこにでもあるような小さい普通の橋でした。
一条戻橋


橋の下の方におりていくこともできます。
小さい川が流れております。
川


橋の下はこんな感じ。
コンクリートでガチガチに固めてあって、なんの風情もないという感じです。
安倍晴明が橋の下に式神を隠していたという話ですけど、物の怪が潜んでいそうな雰囲気は皆無です。
一条戻橋
そばにあった案内板には次のように書いてありました。
<<伝説の橋「一条戻橋」>>
延喜18年(918)、文章(もんじょう)博士・三善清行(みよしきよつら)が亡くなった時、父の死を聞いた熊野の僧「浄蔵」が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていました。浄蔵は柩(ひつぎ)にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠を込めて祈願したところ、不思議にも清行は一時蘇生して父子物語を交したという伝説から戻橋と名付けられたと言われています。
太平記、剣の巻によれば、その頃、源頼光の四天王の1人であった渡辺綱(わたなべのつな)が深夜この橋の東詰で容貌美しい女子に「夜更けが怖いから送って欲しい」と頼まれたので、馬に乗せたら女はたちまち鬼と化し、渡辺綱が腕を切り落とした、と記されています。
また、一条戻橋は「あの世」と「この世」をつなぐ橋とも言われていました。伝説では、平安時代の天才陰陽師として名高い安倍晴明の父である保名が殺害された場所であり、晴明が呪法を駆使して保名を蘇生させた場所とも言われています。
以上のような歴史を持つ一条戻橋ですが、現在の橋は平成7年に新築されたものです。



川に沿ってずっと遊歩道が続いております。
どこまで続いているのかわかりませんが、散歩するのによさそうです。
遊歩道


ハトが川に入って涼んでました。
ハト