名称吉田神社(よしだじんじゃ)
住所京都府京都市左京区吉田神楽岡町
タイプ神社
参考リンク吉田神社HP

ご利益

  • 江戸時代、吉田神社の社家吉田家は神社界を支配していた。
  • 参考文献:『神道に秘められた日本史の謎』 三橋健監修 洋泉社

  • 以下、大元宮斎場所について。
  • 1484年、吉田兼倶が日野富子の援助で造営。
  • 国常立尊(大元尊神)を中心に日本のあらゆる神々を祀る。
  • 兼倶が創唱した元本宗源神道(唯一神道、吉田神道)のシンボル。
  • 兼倶によると、神武天皇初の神マツリの斎場を遷座したもの。
  • 兼倶によると、伊勢神宮の神器が吉田山に降臨。
  • 江戸時代、神祇官祭祀の一部がここで再興された。
  • 参考文献:『神社に秘められた日本史の謎』 新谷尚紀監修 洋泉社

  • 以下、おすすめ散歩コース。
  • 真如堂。紅葉がきれい。
  • 宗忠神社。
  • 竹中稲荷社。
  • 齋場所大元宮。全国の神様を祀る。
  • 山蔭神社。料理の神様。
  • 吉田神社。
  • 参考文献:『神社が教えてくれた人生の一番大切なこと』 和田裕美 マガジンハウス

  • 厄年の人におすすめ。
  • 大元宮に参拝すれば日本中の神様をお参りしたことになる。
  • 参考文献:『神社でヒーリング』 比企理恵 実業之日本社

  • 中世後期、アマテラスは各地によく飛んだ。
  • 延徳元年(1489)、吉田山の大元宮の庭に天空から光輝く物体が降臨。それを吉田兼倶が後土御門天皇に密奏。天皇の検分により、物体は伊勢神宮のアマテラス、トヨウケの御神体の鏡であるとされた。兼倶はアマテラスが吉田山の地に遷座したと宣伝。伊勢神宮からクレームがついた。
  • 参考文献:『日本のまつろわぬ神々』 新人物往来社編 新人物往来社

  • 吉田兼倶(かねとも)が創始した吉田神道の本社。
  • 憑物を落とす特殊祈祷である障害解除の祈祷が伝わっている。以下、その説明。
  • 大元宮(たいげんぐう)で行われる。ちなみに、この大元宮には日本全国の神々を祀ってあり、参拝すれば日本の全神社を拝したことになるという。
  • 大元宮の後部に接した後房と呼ばれる六角の建物の中に、神職1人と被憑者だけが入る。
  • 神職は、被憑者に背を向け祈祷座に座り、神が自分を守ることを確信しつつ祈祷文を唱える。
  • 祈祷文を唱え続けていると、憑物が正体を現し、奇妙な行動をとったりするが、神職は絶対に後ろを見てはいけない。見てしまうと自分が憑かれて死んでしまうこともあるという。
  • なおも一心不乱に祈祷を続け、ここぞというところで振り向いて弊串(へいぐし)で相手の急所(詳しい部位は秘伝だという)を押さえる。しばらく押さえていると相手の憑物のエネルギーが弱まっていき、やがて憑物が落ちる。
  • 参考文献:『図説 日本呪術全書』 豊島泰国 原書房

吉田神社へ行ってきました

京都市左京区にある吉田神社にやってまいりました。
大元宮という日本全国の神々を祀ってある有難いお宮に参拝するために。
吉田神社


とりあえず表参道の階段をのぼって左手にあった本宮へ参拝。
御祭神は、健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)の四神だそうです。
貞観元年(859)に中納言藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)卿が平安京の鎮守神として春日の四神を勧請したのが始まりらしいです。
本宮


大元宮へ向かう途中、山蔭神社がありました。
御祭神は吉田神社を創建した藤原山蔭卿で、いっしょに恵比寿神も祀られているようです。
由来書によりますと、山蔭さんは「あらゆる食物を調理調味づけられた始祖であり古来包丁の祖料理飲食の祖神」なのだそうです。
海原雄山のような味にうるさい人だったのでしょうか。
山蔭神社


そして、こちらが日本全国の神々を祀るという大元宮。
門のところに柵が立てられていて、そこから先は入れませんでた。
でも階段の脇にあった立札に「毎月一日 内院参拝 門内諸神社巡拝出来ます」と書かれていたので、一日に来れば門の中に入ってもっと近くで参拝できるのかもしれません。
大元宮
説明板に書いてあった内容を以下に記しておきます。
<<斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)>>
天神地祇八百万神(あまつかみくにつかみやおよろずのかみ)を祀る大元宮を中心とし、周囲に伊勢二宮をはじめ、全国の延喜式内社3132座を奉祀する。
もとは、神職の卜部(吉田)家邸内にあったものを文明16年(1484)に、吉田神道を創始した吉田兼倶(かねとも)がここに移建したもので、吉田神道の根本殿堂とした。
天正18年(1590)には天皇守護のため宮中の神祇官(じんぎかん)に祀られていた八神殿(はっしんでん)が社内後方に遷され、慶長14年(1609)から明治4年(1871)まで、神祇官代としてその儀式を執行した。

門のところから大元宮の姿を拝むことができました。
普通の神社とは少し形が違いますね。
密教、儒教、陰陽道、道教などの諸宗教・思想を統合しようとした吉田神道の理想を形に現したものなんだとか。
読んだ本によりますと、この大元宮で憑物を落とす特殊祈祷が行われるらしいんですが、今でもやっているんでしょうか?
エクソシストみたいな修羅場が展開されたりするのでしょうか?
ちょっと見てみたい気もします。
大元宮


大元宮を見た後ブラブラ歩いていたら宗忠神社を見つけたので参拝しました。
天照大御神と宗忠大明神(黒住宗忠)を祀っているそうです。
宗忠神社


菓祖神社にも参拝。
田道間守命(たじまもりのみこと)と林淨因命(はやしじょういんのみこと)を祀っています。
田道間守命は常世の国から非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を日本にもたらし、林淨因命は餡入りの饅頭を作り広めたとかで、お菓子の神として崇敬を集めているそうです。
藤原山蔭卿といいここはグルメ系の神様が多いですね。
菓祖神社


菓祖神社の近くにある神龍社にも参拝。
卜部兼倶(うらべかねとも)さんを祀っています。
神龍社