名称瓜生山
住所京都府京都市左京区北白川清沢口
タイプ
参考リンク

ご利益

  • 山の中腹に白隠(はくいん)禅師を禅病から救った仙人・白幽子の籠っていた岩窟がある。白隠は江戸時代の臨済宗中興の祖。白隠は若い頃、禅修行のやり過ぎで心身を病み、白幽子に助けを求めた。白幽子は白隠に軟酥観(なんそかん)を行うことを勧る。軟酥観を毎日実践することで白隠の病は回復した。軟酥観というのはイメージ療法のようなもの。
  • 瓜生山は京の青龍。
  • 参考文献:『体感パワースポット』 出口衆太郎 BABジャパン

瓜生山へ行ってきました

瓜生山のあたりをブラブラしてみることに。
てきとうに山の方に登っていったら、狸谷山不動院というお寺がありました。
清水寺みたいなつくりですね。
狸谷山不動院


本堂の方にあがっていく階段の前に小さな滝があって不動明王がお祀りされていました。
手前に錫杖(しゃくじょう)が置いてあります。
これをを鳴らすと禽獣や毒蛇の害から身を守り、煩悩を祓い、智慧が得られるご利益があるとか。
滝
ここの滝は、あの有名な剣豪、宮本武蔵が修行したといわれているらしいです。
一乗寺下り松で吉岡一門と決闘する前、この滝にうたれ、ついに不動尊の右手に持する降魔の利剣の極意を感得したんだとか。
そういえば、ここに登ってくる途中に一乗寺下り松とか、八大神社とか武蔵ゆかりのスポットがありましたね。
八大神社の境内に決闘を見下ろしたという松の古株が保存されているとか、とどこかの説明板に書いてあったような気がします。
宮本武蔵ファンは訪れておいて損はないスポットかもしれません。


狸谷山不動院からさらに奥の院へと続く道があったので行ってみることに。
ここからは山道になります。
山道


道の途中には、なにやら仏像が。
奥の院への道には三十六童子をお祀りしているようです。
仏像


しばらく登っていくと、奥の院とおぼしきお堂のある広場に出ました。
ここが瓜生山の山頂らしいです。
山頂にあった説明板に「この瓜生山山頂には、室町時代になると再々城郭が築かれ、南の如意ヶ岳城と共に足利将軍家、細川管領、三好長慶、松永久秀らが攻防をくり返した」とか書いてありましたね。
瓜生山山頂
お堂の後ろには石室がありました。
近江の戦国大名六角定頼がここに勝軍地蔵を安置したそうですが、宝暦12年(1762)に勝軍地蔵山に石像を移したらしいです。
勝軍地蔵山というのは現在のバブテスト病院の西山だそうな。
現在の石室の中にも小さい新しい感じのお地蔵さんが鎮座していましたけどね。


山頂を後にし、本に書いてあった白幽子の籠っていた岩窟とやらを捜しにいきます。
どこらへんにあるのかまったく知らなかったんですけど、途中にあった道標に白幽子旧跡と書いてあったので、そっちの方
向へどんどん下りていきました。
山道


そして、しばらく下りていったら、見つけましたよ、白幽子巌居之跡。
洞窟みたいなものかなとイメージしていたんですが、岩の壁に囲まれているみたいな感じのとこでした。
白幽子巌居之跡
説明板には白幽子と白隠の出会いが次のように書いてありました。
白隠は26才頃打ちつづく寝食を忘れる猛修行で心身の調和が破れ、肺金焦枯の病を患った。今の肺病である。旅で美濃に在った白隠は人口から、京都比叡山麓白川に白幽子と名乗る一仙人があって稀代の医方により肺金を救うと聞き、直ちに白川に来て山中を尋ねこの巌窟に到った。巌窟の奥深く白髪は長く膝に垂れ、軟かい草のしとねに坐る白幽子に相見を許された。一見して白隠の偉相を観た白幽子は初めて白隠に内観気海丹田の法・・・人身長寿の秘訣を余すことなく伝授した。時に宝永7年(1710年)正月半ばのことである、白隠はこの秘法によって起死回生して明和5年(1768年)84才まで長生した。


白幽子が使った井戸とかいうのもありましたけど、葉に埋もれていてよくわかりませんでした。
井戸


白幽子巌居之跡を後にし下山再開。
途中から地面が湿っぽくなってきて、だんだん沢道みたいになってきて、本当にこの道でいいのかとちょっと不安に。
沢道


しばらく歩くと建物が見えてきて、ちょっとホッとしました。
神社でしたね。
地龍大明神という山の神様をお祀りしているようでした。
大山祇神社
この神社からもう少し歩くと市街地の方へ無事出ることができました。
白幽子巌居之跡も見物できましたし、なかなか楽しい山歩きができました。