名称 | 獅子窟寺(ししくつじ) |
---|---|
住所 | 大阪府交野市 |
タイプ | 寺 |
参考リンク |
ご利益
- 大阪郊外とは思えない絶景の地。
- 奈良時代、聖武天皇の勅願により行基が建てた。
- 平安時代、弘法大師が獅子窟で修行した。
- 国宝の薬師如来がある。
- 巨石群がある。
参考文献:『日本の聖地ベスト100』 植島啓司 集英社
獅子窟寺へ行ってきました
獅子窟寺に行ってみることに。
けっこう急な坂道をヒーヒーいいながら登っていきました。
しばらく登ると展望台を発見。
絶景を拝めるかなと思って展望台にあがってみましたが、木が茂っていて景色はあまりよく見えませんでした。
展望台のところから少し行くと「お大師さんの水」と書かれた標識があったので、ちょっと寄ってみました。
岩の間からパイプを伝って水が湧き出ています。
少しいただいてきました。
ちょっと濁っていたように見えたので大丈夫かな?と思いましたが、今のところなんともないです。
水場からさらに奥の方に行くと、二基の石塔がありました。
「王の墓」と呼ばれているらしいです。
亀山上皇と同皇后の分骨を葬る陵と伝えられているとか。
獅子窟寺に到着しました。
周囲には緑がいっぱいあって巨石もゴロゴロあってなかなかいいところでした。
国宝の薬師如来様も拝んできましたよ。
由来書には次のように書いてありました。
境内に市街地を見渡せる場所が。
まあまあいい眺めでした。
これは天福岩。
災い転じて福となす御利益があるらしいです。
お願い事があるときは、岩を抱いて願いをひとつだけ3回唱えるといいとか。
けっこう急な坂道をヒーヒーいいながら登っていきました。
しばらく登ると展望台を発見。
絶景を拝めるかなと思って展望台にあがってみましたが、木が茂っていて景色はあまりよく見えませんでした。
展望台のところから少し行くと「お大師さんの水」と書かれた標識があったので、ちょっと寄ってみました。
岩の間からパイプを伝って水が湧き出ています。
少しいただいてきました。
ちょっと濁っていたように見えたので大丈夫かな?と思いましたが、今のところなんともないです。
水場からさらに奥の方に行くと、二基の石塔がありました。
「王の墓」と呼ばれているらしいです。
亀山上皇と同皇后の分骨を葬る陵と伝えられているとか。
獅子窟寺に到着しました。
周囲には緑がいっぱいあって巨石もゴロゴロあってなかなかいいところでした。
国宝の薬師如来様も拝んできましたよ。
由来書には次のように書いてありました。
<<獅子窟寺とその周辺>>
この寺は普見山獅子窟寺(ふみざんししくつじ)といい真言宗高野山派に属する。開基は役小角と伝えられ本尊薬師如来座像は弘仁期の榧(かや)材の一木造りで国宝である。
聖武天皇の勅願を受けた僧行基(668~746)が堂塔を建て金剛般若窟(こんごうはんにゃくつ)といった。その後に空海もこの山で修行した。
亀山上皇(1249~1305)はこの薬師仏に病気平癒を祈られ、全快された喜びに荒廃していた寺を立派に再建された。嘉元三年(1305)上皇崩御の時、その徳をしのんで王の墓が建てられた。
元和元年(1615)兵火のために全山十二院が焼失し、中興光影和尚によって再建されたが以前の十分の一にもおよばなかった。現在の寺はその当時のものである。
百重原の地名が示す地形の優秀さと国宝薬師仏がこの寺のよさを教えている。
この寺は普見山獅子窟寺(ふみざんししくつじ)といい真言宗高野山派に属する。開基は役小角と伝えられ本尊薬師如来座像は弘仁期の榧(かや)材の一木造りで国宝である。
聖武天皇の勅願を受けた僧行基(668~746)が堂塔を建て金剛般若窟(こんごうはんにゃくつ)といった。その後に空海もこの山で修行した。
亀山上皇(1249~1305)はこの薬師仏に病気平癒を祈られ、全快された喜びに荒廃していた寺を立派に再建された。嘉元三年(1305)上皇崩御の時、その徳をしのんで王の墓が建てられた。
元和元年(1615)兵火のために全山十二院が焼失し、中興光影和尚によって再建されたが以前の十分の一にもおよばなかった。現在の寺はその当時のものである。
百重原の地名が示す地形の優秀さと国宝薬師仏がこの寺のよさを教えている。
境内に市街地を見渡せる場所が。
まあまあいい眺めでした。
これは天福岩。
災い転じて福となす御利益があるらしいです。
お願い事があるときは、岩を抱いて願いをひとつだけ3回唱えるといいとか。