名称 | 御上神社(みかみじんじゃ) |
---|---|
住所 | 滋賀県野洲市三上838 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 御上神社HP |
ご利益
- 三上山が御神体。
- 御祭神は天之御影神(あめのみかげのかみ)。刀剣、火の神様。勝運成就、開運招福、災難除け。
- 武人パワー。
参考文献:『神社でヒーリング』 比企理恵 実業之日本社
御上神社へ行ってきました
御上神社にやってまいりました。
大きくて立派な鳥居が迎えてくれました。

参道の脇に樹木が茂っていて鳥の鳴き声とかも聞こえて、歩いていて気持ちがよかったです。


2つ目の鳥居。

そばにあった案内板には、御祭神・由緒・御神徳について次のように書いてありました。
立派な楼門。
これをくぐると拝殿とかがあります。
しっかり拝んできました。

神社のすぐ近くに悠紀斎田(ゆきさいでん)記念碑なるものがありました。
ここらへんは、昭和天皇の大嘗祭に際して悠紀斎田とされたのだとか。

神様が降臨したという三上山はなかなか美しい山でした。
山登りの格好をして三上山の方に行く人を何人か見ましたね。
登山スポットにもなっているのかもしれません。
私もいつか登ってみたいです。

大きくて立派な鳥居が迎えてくれました。

参道の脇に樹木が茂っていて鳥の鳴き声とかも聞こえて、歩いていて気持ちがよかったです。


2つ目の鳥居。

そばにあった案内板には、御祭神・由緒・御神徳について次のように書いてありました。
<<御祭神>>
天之御影神(天照大神の御孫)
<<由緒>>
当神社の社記によると天之御影神は今から二千二百余年前の孝霊天皇六年六月十八日三上山に御降臨になったので神孫の御上祝等は三上山を神体山として鎮祭申上げた。降って養老二年勅命によって現在の地に社殿を造営して遷祀された。爾来朝野の崇敬あつく清和天皇の御代に正一位、醍醐天皇の御代に明神大社、次に圓融天皇の御代には勅願所と定められ四海大平の祈願を行われた。武家政治になっても源頼朝を始め各武将も尊崇深く神領を寄進奉った。明治九年郷社に、大正二年県社に、大正十三年には官幣中社に御列格遊ばされたが昭和二十一年二月宗教法人となり神社本庁所属の別表社となった。
<<御神徳>>
御祭神天之御影神は御神徳高く霊験あらたかで忌火神、金工鍛冶神、産業神、開運悪魔除けの神として信仰され、当地方は昔から神体山三上山を中心に忌火郷、悠紀郷、むかで退治の神話で有名で、山麓からは二十四個の銅鐸が発掘され、五~六世紀の古墳群が現存している。
とても古い歴史のある神社なんですね。天之御影神(天照大神の御孫)
<<由緒>>
当神社の社記によると天之御影神は今から二千二百余年前の孝霊天皇六年六月十八日三上山に御降臨になったので神孫の御上祝等は三上山を神体山として鎮祭申上げた。降って養老二年勅命によって現在の地に社殿を造営して遷祀された。爾来朝野の崇敬あつく清和天皇の御代に正一位、醍醐天皇の御代に明神大社、次に圓融天皇の御代には勅願所と定められ四海大平の祈願を行われた。武家政治になっても源頼朝を始め各武将も尊崇深く神領を寄進奉った。明治九年郷社に、大正二年県社に、大正十三年には官幣中社に御列格遊ばされたが昭和二十一年二月宗教法人となり神社本庁所属の別表社となった。
<<御神徳>>
御祭神天之御影神は御神徳高く霊験あらたかで忌火神、金工鍛冶神、産業神、開運悪魔除けの神として信仰され、当地方は昔から神体山三上山を中心に忌火郷、悠紀郷、むかで退治の神話で有名で、山麓からは二十四個の銅鐸が発掘され、五~六世紀の古墳群が現存している。
立派な楼門。
これをくぐると拝殿とかがあります。
しっかり拝んできました。

神社のすぐ近くに悠紀斎田(ゆきさいでん)記念碑なるものがありました。
ここらへんは、昭和天皇の大嘗祭に際して悠紀斎田とされたのだとか。

神様が降臨したという三上山はなかなか美しい山でした。
山登りの格好をして三上山の方に行く人を何人か見ましたね。
登山スポットにもなっているのかもしれません。
私もいつか登ってみたいです。
