名称藤原京跡
住所奈良県橿原市
タイプ史跡
参考リンク

ご利益

  • 以下、高松塚古墳の呪いについて。
  • 1972年発掘調査。
  • 発見された人骨には頭蓋骨がなかった。
  • 発掘予算獲得に尽力した明日香村観光課課長、肺ガンで死亡。
  • 古墳の近くに住む女性、原因不明の病で急逝。
  • 発掘を支援していた自治会長、交通事故死。
  • 上記3人、いずれも21日に死亡。これは装飾壁画が発見された日付。
  • 発掘で最初に鍬を入れた人、服毒自殺。
  • 壁画修復の模写をしていた画家、交通事故死。
  • 参考文献:『ムー』441号 学研

  • 日本初の中国の都城をモデルにした本格的な都。
  • 16年で廃都。
  • 参考文献:『地図でわかる天皇家の謎』 歴史謎学倶楽部 宝島社

  • 朱鳥改元、飛鳥浄御原宮命名、天武天皇崩御の日取り、南方営陵等は死者新生のための呪術。
  • 天武天皇の本当の崩御日は686年7月22日。
  • 文武天皇陵が最初の大内陵。
  • 高松塚古墳の西壁女性群像は五行相生を、東壁女性群像は五行相克を象徴。
  • 参考文献:『日本古代呪術』 吉野裕子 大和書房

  • 耳成山が主山。
  • 天香久山が青龍砂。
  • 畝傍山、神武天皇墓陵が白虎砂。
  • 飛鳥川、剣の池、和田池が水龍。
  • 天武・持統天皇の墓陵が案山、朝山。
  • 「鬼の俎」「鬼の雪隠(せっちん)」は文昌塔。
  • 天皇の権威強大化。
  • 参考文献:『「風水」で読み解く日本史の謎』 李家幽竹 PHP研究所

藤原京跡へ行ってきました

藤原宮跡にやってまいりました。
藤原京の中心部だったところです。
藤原京は持統天皇8年(694)~和銅3年(710)まで、持統、文武、元明天皇3代にわたる都だったことろだそうです。
藤原宮跡


北側の方にあった池。
醍醐池というらしいです。
向こうに見える山は大和三山の1つ耳成山だと思います。
醍醐池


木で囲まれているエリアが。
近くにあった説明板の地図を見た感じでは、ここらへんに大極殿があったっぽいです。
木で囲まれているエリアの中には、木が1本あるくらいで、これといって何もなかったです。
木に囲まれたエリア


なんか柱みたいなものが建ってました。
柱


原っぱで何もない所でしたが、昔ここに都があったのかと思うと、感慨深いものがありました。
世の無常をひしひしと感じました。