名称達磨寺
住所奈良県北葛城郡王寺町本町2-1-40
タイプ
参考リンク達磨寺HP

ご利益

  • 613年創建。
  • 片岡山飢人伝説がある。
  • 松永久秀の墓がある。
  • 参考文献:『怨霊神社―怨霊を鎮めた伝説の神社・仏閣』 日本怨霊研究会 竹書房

達磨寺へ行ってきました

達磨寺にやってまいりました。
こちらは本堂ですが、なんと古墳の上に建っているらしいです。
しかもそれは達磨大師の墓という伝承があるそうな。
達磨寺
説明板には次のように書いてありました。
<<達磨寺>>
片岡山(かたおかさん)と号する臨済宗南禅寺派の寺院。境内には、達磨寺古墳群と呼ばれる6世紀末ごろの古墳が3基ある。
『日本書紀』の推古天皇21年(613)条に、聖徳太子が飢人(きじん)を助け、厚く葬ったという片岡飢人伝説が記され、のちの太子信仰によって、その飢人が実は達磨大師の化身であると考えられるようになった。
そして、今も本堂の下にある達磨寺3号墳が達磨大師の墓であるという伝承が成り立ち、鎌倉時代の初めごろに墓の上に堂を建て、寺院として開基された。開基には、解脱房貞慶(げだつぼうじょうけい)や勝月房慶政(しょうげつぼうけいせい)が関わっているとされる。その後、旧仏教勢力の弾圧や松永久秀の兵火によって荒廃を繰り返したが、そのたびに復興を遂げた。とくに室町時代には室町幕府の将軍足利氏の援助を得ながら、住持の南峯祖能(なんぽうそのう)が大規模に復興した。江戸時代には、徳川将軍から30石の朱印地を拝領している。




こちらは雪丸(ゆきまる)の像です。
雪丸は聖徳太子の愛犬で、なんと人の言葉が理解できお経が読めたそうな。
自分を本堂の北東に葬るようにという遺言まで残したらしいです。
鬼門の守りということでしょうか?
現在は本堂の南西あたりに鎮座していました。
雪丸


こちらは片岡八郎と片岡春利のお墓らしいです。
八郎は後醍醐天皇の皇子・護良親王の家来で、忠義の戦死を遂げられた方だそうです。
春利は戦国時代末期にここらへんの城主だった方で、松永久秀と戦ったりしたみたいです。
ちなみに右端にある小さいのが松永久秀のお墓です。
信貴山城で自害した後、首は安土に送られ、それ以外は筒井氏によってこちらに葬られたのだとか。
墓


これは問答石。
聖徳太子と飢者に身をやつした達磨大師が出会い歌を詠み交わした場所なのだとか。
写真は達磨石で、近くに太子石というのもあります。
問答石


こちらは薬師石。
目を閉じて近寄り両手で抱くと病気が治ると言われているとか。
薬師石