名称 | 大吉備津彦命御陵 |
---|---|
住所 | 岡山県岡山市北区吉備津 |
タイプ | 墓 |
参考リンク |
ご利益
- 大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)の墓とされる場所。
- 二人の霊がいる。大吉備津彦命と、その弟の若日子建吉備津彦命(わかひこたけるきびつひこのみこと)だと思われる。
- あまり長居しない方がよい。護衛の兵士が何人かいる。このへんは軍事施設だったようだ。
参考文献:『闇の検証 第四巻』 「HONKOWA」編集部編 朝日新聞出版
大吉備津彦命御陵へ行ってきました
大吉備津彦命御陵にやってまいりました。
吉備津神社の廻廊を抜けたら山の方に登っていく道を見つけたので、そのまま登っていきました。
途中から車道に出て、少し歩いたら岡山県古代吉備文化財センターというのがありました。
無料で入館することができます。
中には埴輪とかの文化財が展示されていました。
中山茶臼山古墳へと続く道を発見したので、ここから突撃しました。
なにやら石像が。
三十三観音像と書いてあります。
こういうのいっぱい建ってましたね。
広場みたいなことろに出ました。
広場から奥に進んでいくと、ありました、大吉備津彦命御陵。
宮内庁が管理していて立ち入り禁止で、天皇陵みたいな感じになってました。
なかなか静かでいいところでしたよ。
国境石なんてありましたね。
備前国と備中国を分けているらしいです。
御陵の脇を通ってさらに奥の方へ。
途中、下になにやら建物を発見。
歩いていると、穴観音なるものを見つけました。
案内には次のように書いてありました。
穴観音さんにも参拝してきました。
赤い布がかぶせてあるただの石みたいな感じでしたけど。
「観音様の声が聞こえる」「潮騒の声が聞こえる」という言い伝えがある穴に耳を近づけてみました。
べつに何も聞こえませんでしたけど。
でも、潮騒が聞こえるという言い伝えは、この辺まで海が迫っていたことと関係ありそうで、なにか歴史ロマンを感じさせますね。
途中で見かけた建物のところに降りてきました。
これは八徳寺というお寺らしいです。
ここのお寺のある場所、自分的にはなかなか良かったです。
とても静かで、写真では分かりにくいですが桜吹雪が舞っていて、なんというか、幽玄の美って感じでした。
ウグイスもいい感じで啼いてました。
お寺のそばにあった謎の釜。
山中をウロウロしてたら鏡岩なんてのも見つけました。
吉備津神社の廻廊を抜けたら山の方に登っていく道を見つけたので、そのまま登っていきました。
途中から車道に出て、少し歩いたら岡山県古代吉備文化財センターというのがありました。
無料で入館することができます。
中には埴輪とかの文化財が展示されていました。
中山茶臼山古墳へと続く道を発見したので、ここから突撃しました。
なにやら石像が。
三十三観音像と書いてあります。
こういうのいっぱい建ってましたね。
広場みたいなことろに出ました。
広場から奥に進んでいくと、ありました、大吉備津彦命御陵。
宮内庁が管理していて立ち入り禁止で、天皇陵みたいな感じになってました。
なかなか静かでいいところでしたよ。
国境石なんてありましたね。
備前国と備中国を分けているらしいです。
御陵の脇を通ってさらに奥の方へ。
途中、下になにやら建物を発見。
歩いていると、穴観音なるものを見つけました。
案内には次のように書いてありました。
<<中山茶臼山古墳(御陵)と穴観音>>
吉備の中山のほぼ中央にある古墳時代前期(約西暦300年頃)の前方後円墳です。全長約120メートル、後円部の径は約80メートルの大型古墳です。
四道将軍として大和から吉備国に派遣され、吉備を治めたとされる「大吉備津彦命の墓」と伝えられ、地域の人は御陵と呼んでいます。しかし吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子であるため、天皇・皇后・皇太后・太皇太后を葬る所をいう「御陵」という名称は適切ではありません。
皇族の墓である可能性があるため宮内庁の管理下にあり、一般の人は立ち入ることができず、考古学的調査や発掘は行われていません。しかしこの古墳からは、都月型の特殊器台型埴輪が採取されており、古い時代のものとされています。
吉備津彦命が実在したかどうかはわかりませんが、この古墳の南側には「吉備の穴海」と呼ばれる海が広がり、大陸ともつながる海運の要所でもあったことから、被葬者はこの地域で大きな勢力を持った大首長であることは間違いありません。
古墳の東半分は備前分、西半分は備中分と備前国と備中国で仲良く半分ずつになるよう国境を決めています。
<<穴観音>
中山茶臼山古墳の後円部の東側に、穴観音と呼ばれる数個の自然石があります。中央の石には観音像が彫ってあり側面には口径20cm深さ16cmの穴があいており、名前の由来になっています。この穴に耳を当てると「観音様の声が聞こえる」「潮騒(潮が満ちているときの波の音)が聞こえる」という古い言い伝えが残されています。
観音様を拝む正面に立つと、その前方には中山茶臼山古墳後円部の頂部があります。このことから穴観音は、中山茶臼山古墳の埋葬者を拝む時の磐座であることがわかります。
穴観音の管理は、八徳寺を管理している尾上天台講中の方がされています。入口の扉を開き、是非お詣りください。
この古墳の近くに海が広がっていたなんて意外ですね。吉備の中山のほぼ中央にある古墳時代前期(約西暦300年頃)の前方後円墳です。全長約120メートル、後円部の径は約80メートルの大型古墳です。
四道将軍として大和から吉備国に派遣され、吉備を治めたとされる「大吉備津彦命の墓」と伝えられ、地域の人は御陵と呼んでいます。しかし吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子であるため、天皇・皇后・皇太后・太皇太后を葬る所をいう「御陵」という名称は適切ではありません。
皇族の墓である可能性があるため宮内庁の管理下にあり、一般の人は立ち入ることができず、考古学的調査や発掘は行われていません。しかしこの古墳からは、都月型の特殊器台型埴輪が採取されており、古い時代のものとされています。
吉備津彦命が実在したかどうかはわかりませんが、この古墳の南側には「吉備の穴海」と呼ばれる海が広がり、大陸ともつながる海運の要所でもあったことから、被葬者はこの地域で大きな勢力を持った大首長であることは間違いありません。
古墳の東半分は備前分、西半分は備中分と備前国と備中国で仲良く半分ずつになるよう国境を決めています。
<<穴観音>
中山茶臼山古墳の後円部の東側に、穴観音と呼ばれる数個の自然石があります。中央の石には観音像が彫ってあり側面には口径20cm深さ16cmの穴があいており、名前の由来になっています。この穴に耳を当てると「観音様の声が聞こえる」「潮騒(潮が満ちているときの波の音)が聞こえる」という古い言い伝えが残されています。
観音様を拝む正面に立つと、その前方には中山茶臼山古墳後円部の頂部があります。このことから穴観音は、中山茶臼山古墳の埋葬者を拝む時の磐座であることがわかります。
穴観音の管理は、八徳寺を管理している尾上天台講中の方がされています。入口の扉を開き、是非お詣りください。
穴観音さんにも参拝してきました。
赤い布がかぶせてあるただの石みたいな感じでしたけど。
「観音様の声が聞こえる」「潮騒の声が聞こえる」という言い伝えがある穴に耳を近づけてみました。
べつに何も聞こえませんでしたけど。
でも、潮騒が聞こえるという言い伝えは、この辺まで海が迫っていたことと関係ありそうで、なにか歴史ロマンを感じさせますね。
途中で見かけた建物のところに降りてきました。
これは八徳寺というお寺らしいです。
ここのお寺のある場所、自分的にはなかなか良かったです。
とても静かで、写真では分かりにくいですが桜吹雪が舞っていて、なんというか、幽玄の美って感じでした。
ウグイスもいい感じで啼いてました。
お寺のそばにあった謎の釜。
山中をウロウロしてたら鏡岩なんてのも見つけました。