名称 | キリストの墓 |
---|---|
住所 | 青森県三戸郡新郷村大字戸来字野月33-1 |
タイプ | 墓 |
参考リンク |
ご利益
- 以下、キリストの歩み。
- 垂仁天皇の世に京都の天の橋立に上陸。
- 越中で12年修行。
- ナザレに帰る。
- ゴルゴダの丘で磔刑。実は弟のイスキリが身代わりになり死を逃れた。
- 八戸市貝鞍の港に上陸。
- 十来太郎大天空と改名。戸来に移住。
- ミユ子(20歳、農家の娘)と結婚。三女をもうける。
- 景行天皇11年、106歳で没。十来塚に埋葬。
参考文献:『ふるさとの伝説7 寺社・祈願』 伊藤清司監修 ぎょうせい
- 近くに大石神ピラミッドがある。以下、それについて。
- 酒井勝軍がピラミッド認定。
- 「鏡石」がある。1858年の地震で倒れた。地面に伏せられた面に神代文字が刻まれていたかも。
- 「太陽石」がある。太陽光を反射させて礼拝で使っていたかも。
- 「方位石」がある。4つに割れた石がそれぞれ東西南北を示すかも。
- 「星座石」がある。星の位置が刻まれたかも。
- 大石神ピラミッド、黒又山、大湯環状列石は直線で結べる。
参考文献:『日本ミステリー遺産』 オフィスJ.B編 双葉社
- イエス・キリストの本当の渡来地は九州の島原半島。
参考文献:『ムー』424号 学研
- 2世紀初め、垂仁天皇の御代、日本は世界最高の文明を誇った(スメル文明)。この文明に憧れキリスト渡来。以下、キリストの歩み。
- 裏日本の橋立の港に上陸。
- 12年間修行。
- 34歳の時ユダヤへ帰る。
- 十字架に掛けられたが実はそれは弟イスキリ、本人はユダヤを脱出し再び日本へ。
- 十字架事件から4年目の2月26日、八戸市貝鞍の港に上陸。
- 日本名は十来太郎大天空。住居は三戸郡新郷村戸来。ミユ子と結婚。
- 景行天皇11年、106歳で没。
- 以上。
- 十来塚=キリストの墓。
- 十代塚=聖母マリアの遺骨とイスキリの遺髪と耳を葬る。
- キリストが住んでいたという野月館跡からは石器などが発掘された。
- 迷ヶ平=エデンの園。
- 近くに長泉寺がある。ある僧を餓死から救った文殊菩薩の霊験譚がある。
参考文献:『日本の伝説1 北海道・東北』 日本伝説拾遺会監修 教育図書
- 近くに大石神ピラミッドがある。数万年前に造られたと言われる。「鏡石」「方位石」「星座石」「立石」などがある。
- 新郷村西端に十和利山(とわりさん)がある。ピラミッド説あり。麓の迷ヶ平高原は、山根キクによると、聖書に書かれている「エデンの園」。ニニギノミコトによって築かれた都市があったという。
参考文献:『日本の謎と不思議大全 東日本編』 人文社
- キリスト伝説・大石神ピラミッド伝説は、村長の佐々木傳次郎が始めた村おこし。そのために頼ったのが鳥谷幡山と竹内巨麿。昭和9年、鳥谷が村はずれの巨石をピラミッドと認定。昭和10年、竹内がキリストの墓が戸来村にあったと発表。
- ロマンを求める人に対し大いなるインスピレーションを与えてくれる場所。
参考文献:『謎解き古代文明』 ASIOS 彩図社
- 昭和10年、天津教の教祖・竹内巨麿(たけうちきよまろ)が発見した。
- 「キリストの里伝承館」という資料館がある。
- 年に1回「キリスト祭」が行われる。
参考文献:『ホラースポット探訪ナビ』 吉田悠軌 学研パブリッシング
- イエス・キリストの墓である「十来塚」と、弟のイスキリの墓である「十代塚」がある。昭和10年に竹内巨麿(きよまろ)が発見したとされる。巨麿の家に代々伝わる竹内文書に書かれていたという。竹内文書によると、イエスはゴルゴダの丘で処刑されておらず、シベリア経由で日本に渡ってきており、十来太郎大天空と名を改めこの地に住み着いたそうである。そしてミユ子という妻との間に3人の女の子をもうけ106歳まで生きたという。ちなみにゴルゴダの丘で磔にされたのは弟のイスキリの方。
- このあたりは昔「戸来村(へらいむら)」と言ったが、その名の由来は「ヘブライ」が訛ったものだという。
- この地方の盆踊り「ナニャドラヤ」は地元の人なら誰でも知っているが、歌詞の意味は誰も知らない謎の唄。古代ヘブライ語で「主を讃えよ」という意味だという説もある。
- イエス・キリストのエネルギーとつながることができるパワースポット。人々のまじめな信仰に支えられイエスのエネルギーとつながれるようになったようだ。
- イエス・キリストの墓の前に立ち、心の中でイエスに呼びかけてみるとよい。イエスのエネルギーとつながれる。キリストの本名である「サナンダ」で呼びかけるとよりつながりやすい。
- 墓の近くにあるキリストの里伝承館にも立ち寄るとよい。
- 毎年6月の第1日曜日にキリスト祭りを開催している。ナニャドラヤも見学できる。
参考文献:『パワースポットニッポン』 ヴォイス編集部編 ヴォイス
- 勝負運、恋愛運、健康運、厄除けなどのご利益がある。
- ゴルゴダの丘で処刑されたはずのイエス・キリストだが、実は密かに青森県に逃れてきていて、そこで生涯を終えたとの伝説がある。ゴルゴダで処刑されたのはイエスの弟・イスキリなのだそうだ。
参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社
キリストの墓へ行ってきました
青森県の新郷村にあるキリストの墓に行ってきました。
こちら新郷村の田園風景。
完璧に日本です。
本当にこんなところにキリストの墓があるのかって感じです。
行く途中に地元の人に「キリストの墓はどちらでしょうか?」と真顔でたずねてしまいました。
ちょっと恥ずかしかったです。
そんでもってこちらが「キリストの里伝承館」。
キリスト伝説が湧きあがった背景を写真パネルなどで紹介しているそうです。
今回は入らなかったですけど。
この階段をのぼったところにイエスキリストと弟イスキリを祀ってある塚があります。
案内板に書いてあった内容を以下に記しておきます。
また以下のような説明もありました。
これがキリストの墓である「十来塚」です。
しっかり手入れされていて、わりと新しい感じがします。
こちらは弟のイスキリの墓である「十代墓」。
公園の敷地内にはなぜか日本の普通のお墓もあったりします。
キリスト伝説が本当なら、ここ新郷村に住んでいる人々はキリストの子孫なのでは・・・などと考えてしまいました。
伝承館の入口前にあった謎のピラミッド。
なんでしょうかこれは?
金網のところにはたくさんの南京錠が。
何かのおまじないでしょうか?
プチトマトが置いてあって「ご自由にお召し上がり下さい」と書いてあったので食べました。
美味しかったです。
伝承館の前の花壇でバーベインという植物が栽培されておりました。
バーベインはキリストがはりつけにされた十字架の下にあったとかキリストの出血を止めた薬草ともいわれているんだとか。
こちら新郷村の田園風景。
完璧に日本です。
本当にこんなところにキリストの墓があるのかって感じです。
行く途中に地元の人に「キリストの墓はどちらでしょうか?」と真顔でたずねてしまいました。
ちょっと恥ずかしかったです。
そんでもってこちらが「キリストの里伝承館」。
キリスト伝説が湧きあがった背景を写真パネルなどで紹介しているそうです。
今回は入らなかったですけど。
この階段をのぼったところにイエスキリストと弟イスキリを祀ってある塚があります。
案内板に書いてあった内容を以下に記しておきます。
<<キリストの墓>>
イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年間の間神学について修行を重ね33才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。
しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、106才長寿を以って、この地に没しました。この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に弟イスキリを祀っております。以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。
ものすごい衝撃的な話です。イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年間の間神学について修行を重ね33才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。
しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、106才長寿を以って、この地に没しました。この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に弟イスキリを祀っております。以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。
また以下のような説明もありました。
<<キリストの墓>>
昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨城市)から訪れた武内巨麿氏により、武内家の古文書をもとに発見されました。
古文書によると、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。向かって右側がキリストの墓「十来塚」、向かって左側が弟イスキリの墓「十代墓」と言われており、毎年キリスト祭では慰霊祭が行われ、ナニャドラヤの唄と踊りが奉納されます。
昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨城市)から訪れた武内巨麿氏により、武内家の古文書をもとに発見されました。
古文書によると、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。向かって右側がキリストの墓「十来塚」、向かって左側が弟イスキリの墓「十代墓」と言われており、毎年キリスト祭では慰霊祭が行われ、ナニャドラヤの唄と踊りが奉納されます。
これがキリストの墓である「十来塚」です。
しっかり手入れされていて、わりと新しい感じがします。
こちらは弟のイスキリの墓である「十代墓」。
公園の敷地内にはなぜか日本の普通のお墓もあったりします。
キリスト伝説が本当なら、ここ新郷村に住んでいる人々はキリストの子孫なのでは・・・などと考えてしまいました。
伝承館の入口前にあった謎のピラミッド。
なんでしょうかこれは?
金網のところにはたくさんの南京錠が。
何かのおまじないでしょうか?
プチトマトが置いてあって「ご自由にお召し上がり下さい」と書いてあったので食べました。
美味しかったです。
伝承館の前の花壇でバーベインという植物が栽培されておりました。
バーベインはキリストがはりつけにされた十字架の下にあったとかキリストの出血を止めた薬草ともいわれているんだとか。