名称安達ヶ原
住所福島県二本松市安達ケ原
タイプ
参考リンク

ご利益

  • 観世寺の近くに黒塚がある。祐慶が鬼婆(岩手)を葬った地。
  • 鬼婆の頭蓋骨は祐慶の子孫の家に今も伝えられているらしい。
  • 観世寺の近くに恋衣地蔵がある。鬼婆に殺された娘を祀ったもの。
  • 観世寺境内には鬼婆が住んだ岩屋や包丁を洗った出刃洗の池などがある。
  • 参考文献:『怨霊神社―怨霊を鎮めた伝説の神社・仏閣』 日本怨霊研究会 竹書房

  • 観世寺境内に、鬼婆の住み処であった岩屋「笠石」、鬼婆が包丁を洗った「血の池」がある。宝物資料館に岩屋から出土した包丁や鍋などがある。
  • 観世寺の近くに鬼婆の亡骸を埋めた「黒塚」がある。そばに平兼盛の歌碑もある。
  • お堂に行基作の如意輪観世音菩薩がある。胎内に祐慶が鬼婆退治に使ったとされる如意輪観音が埋め込まれている。60年に1度開帳。
  • 参考文献:『日本の謎と不思議大全 東日本編』 人文社

  • 鬼婆(おにばば)伝説のある地。この地に住みついていた鬼婆は、街道をゆく人を自分の家に泊め、寝静まったら包丁で切り刻んで食べていた。鬼婆は東光坊という旅の行者に退治された。
  • 東光坊が鬼婆の死骸を埋めたという「黒塚(くろづか)」がある。
  • 東光坊が建てた真弓山観世寺という寺がある。東光坊はここで鬼婆の亡魂を供養したという。境内に鬼婆が住んでいたという岩屋がある。宝物館には鬼婆伝説の絵図や、鬼婆が使っていたという茶碗や壺や出刃包丁などが展示されている。
  • 安達ヶ原は古代東国の民の蝦夷の聖地だったのではないか。観世寺にある巨大な岩屋は鬼婆の家ではなく、古代宗教儀式の行われた岩座(いわくら)。宝物館にある出刃包丁は蕨手刀(わらびてとう)であり、蕨手刀とは古代東国の民・蝦夷の首長が持っていたもの。蝦夷の女首長が大和朝廷と血みどろの戦いを繰り広げた古代の記憶が鬼婆伝説に姿を変えたのではないか。
  • 参考文献:『日本魔界探検』 火坂雅志 廣済堂出版

安達ヶ原へ行ってきました

安達ヶ原にやってまいりました。
ここはパワースポットとはちょっと違うんですが、鬼婆が旅人を惨殺して食べていたというグロテスクな伝説のある地でありまして、怖いもの見たさといいますか、なんか興味を覚えたので見物しにきました。
橋のすぐ近くに大きな木がポツンと1本だけ立っていて半分だけ塀に囲まれているところがありました。
これが鬼婆の死骸を埋めたと伝わる「黒塚」です。
黒塚


黒塚のそばにあった説明板によりますと、神亀3年(726)に紀州熊野の僧・東光坊阿闍梨祐慶が弓矢で鬼婆を退治し、ここに埋葬したそうです。
人気もあまりなく寂しい感じの場所でした。
黒塚


黒塚のすぐ近くに、真弓山観世寺(まゆみざんかんぜじ)というお寺があります。
鬼婆を倒した東光坊上人が開基した寺だそうです。
鬼婆が棲んでいた岩屋もあるとか。
しかし閉まっていて入れませんでした。
観世寺


川の土手の方からお寺の境内を覗いたら、鬼婆の岩屋らしき巨岩がゴロゴロしているのが見れました。
今回はこれで満足としましょう。
観世寺