名称 | 蔵王(ざおう) |
---|---|
住所 | 山形県、宮城県 |
タイプ | 山 |
参考リンク |
ご利益
- 大地の気が強いので、できれば歩いて登るとよい。
- 天の気も降りてきている。
- 仕事に行き詰ったときや、これまでの方針を変えるときに行くとよい。
- 一発勝負に挑むとき、一発逆転したいときなどにもよい。
参考文献:『心を癒す風水パワースポット45』 御堂龍児 講談社
蔵王へ行ってきました
蔵王にやってまいりました。
蔵王温泉の近くのスキー場のあたりから登りました。
しばらく登ると、蔵王大権現様を祀るお堂があります。
扉は閉まってましたけど。
お堂のそばの案内板には次のように書いてありました。
さらにしばらく歩くとドッコ沼があります。
なんでもむかし覚山法師というお坊さんがこの沼を通りかかった時、突然竜が現れたんだとか。
覚山法師は呪文を唱えながら独鈷(どっこ)を沼に投げ入れると竜は静かに沼に沈み再び現れることはなかったとか。
それ以来ドッコ沼と呼ばれるようになったそうです。
さらに歩いて鳥兜山山頂に。
いい眺めです。
蔵王温泉街が一望できます。
展望台の後ろには大黒天様が鎮座しております。
そばにあった由来碑には次にように書いてありました。
ロープウェイが運行しております。
あれで行けば楽そうですが、パワースポットはなるべく歩いた方がいいと聞いておりますので、私は歩きます。
さらに登ります。
けっこう坂が急で苦しいです。
歩いていると、なにやらピキピキと変な音がするのに気づきました。
何だろうと思っていたんですが、どうやら木の枝の霜が、朝日に照らされて緩んでピキピキなっているっぽかったです。
蔵王地蔵尊のところまできました。
お地蔵さんにもうっすらと霜が降りていました。
冬になると雪に埋没しちゃうんでしょうかね。
説明板には蔵王地蔵尊の由来が次のように書いてありました。
蔵王地蔵尊のところから三宝荒神山へ登れます。
すぐに山頂につきます。
山頂にはこれといって何もないですけど。
三宝荒神山からの眺め。
もうすぐ寒い冬が来そうです。
地蔵山を越えてさらに歩き、熊野岳までもうひと息というところに、ヤマンバ様の像がありました。
このヤマンバ像は首なしの状態で石の下に埋もれていたらしいですけど、最近になって頭部を再生させ、こうして安置したみたいです。
ここらへんは「ワサ小屋跡」と呼ばれているそうで、なんでも昔このあたりに「おワサさん」という老婆がいて山小屋の番をしており、熊野岳山頂の蔵王山神社への参拝者の面倒を見ていたんだとか。
熊野岳山頂を目指します。
山頂に近づくにつれて霜がすごくなってまいります。
もう雪が降ったみたいな感じにも見えます。
岩とかこんな感じになってます。
なんかウロコみたいですね。
棒はこんな感じに。
そして熊野岳山頂にある神社に到着。
鳥居にも霜が。
ここもウロコのようになっちゃってます。
お社もこんなになってます。
なんか神秘的でいい感じかもしれません。
狛犬くんもこの通り。
こちらは仏像かなにかでしょうか。
そして、これがお釜。
これは凄いです。
雄大な風景です。
一見の価値ありかと。
いやはや色々といいものが見れて満足でした。
蔵王温泉の近くのスキー場のあたりから登りました。
しばらく登ると、蔵王大権現様を祀るお堂があります。
扉は閉まってましたけど。
お堂のそばの案内板には次のように書いてありました。
<<蔵王と蔵王権現>>
陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳(そび)えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ
歌聖斎藤茂吉の歌のごとく、奥羽の天地を南から北に大きく二分して聳える雄大な蔵王は、その昔「不忘山(わすれずのやま)」とか「刈田嶺(かったみね)」「よねの山」などとも呼ばれていましたが、修験道が弘通してからは、「蔵王山」と称されるようになり、麓の修験に蔵王権現がまつられるようになりました。
蔵王権現の躍動する勇猛無双な姿と三眼怒髪の大憤怒相は、どんな悪魔をも降伏して平和を招来する象徴とし、また頼もしい農耕用の水の神様として、慕われ崇敬されております。
もともと蔵王権現は、修験道の開祖で後の神変大菩薩の称号を贈られた役ノ行者小角(えんのぎょうじゃおずね)の祈念によって湧出した山岳斗藪の守護神でありましたが、登山の大衆化とともに広く人々から尊崇されるようになりました。
陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳(そび)えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ
歌聖斎藤茂吉の歌のごとく、奥羽の天地を南から北に大きく二分して聳える雄大な蔵王は、その昔「不忘山(わすれずのやま)」とか「刈田嶺(かったみね)」「よねの山」などとも呼ばれていましたが、修験道が弘通してからは、「蔵王山」と称されるようになり、麓の修験に蔵王権現がまつられるようになりました。
蔵王権現の躍動する勇猛無双な姿と三眼怒髪の大憤怒相は、どんな悪魔をも降伏して平和を招来する象徴とし、また頼もしい農耕用の水の神様として、慕われ崇敬されております。
もともと蔵王権現は、修験道の開祖で後の神変大菩薩の称号を贈られた役ノ行者小角(えんのぎょうじゃおずね)の祈念によって湧出した山岳斗藪の守護神でありましたが、登山の大衆化とともに広く人々から尊崇されるようになりました。
さらにしばらく歩くとドッコ沼があります。
なんでもむかし覚山法師というお坊さんがこの沼を通りかかった時、突然竜が現れたんだとか。
覚山法師は呪文を唱えながら独鈷(どっこ)を沼に投げ入れると竜は静かに沼に沈み再び現れることはなかったとか。
それ以来ドッコ沼と呼ばれるようになったそうです。
さらに歩いて鳥兜山山頂に。
いい眺めです。
蔵王温泉街が一望できます。
展望台の後ろには大黒天様が鎮座しております。
そばにあった由来碑には次にように書いてありました。
時は第12代景行天皇の世、西暦110年の頃、日本武尊の東征に従った吉備多賀由が矢の毒を癒やしているうち温泉をみつけて入浴したところ、たちまち全快したので日頃信仰している大国主命のおかげと蔵王山頂にこれを祀ったと伝えられており、仏教の大黒天が後に日本神話の大国主命と同一視され、七福神の一神として信仰されて来たもので、蔵王温泉は発見者の名をとって多賀由温泉から高湯温泉に変り、今に至っている。
ロープウェイが運行しております。
あれで行けば楽そうですが、パワースポットはなるべく歩いた方がいいと聞いておりますので、私は歩きます。
さらに登ります。
けっこう坂が急で苦しいです。
歩いていると、なにやらピキピキと変な音がするのに気づきました。
何だろうと思っていたんですが、どうやら木の枝の霜が、朝日に照らされて緩んでピキピキなっているっぽかったです。
蔵王地蔵尊のところまできました。
お地蔵さんにもうっすらと霜が降りていました。
冬になると雪に埋没しちゃうんでしょうかね。
説明板には蔵王地蔵尊の由来が次のように書いてありました。
<<蔵王地蔵尊>>
このお地蔵さまは、今から約200余年の昔安永4年8月(1775)に建てられたものであります。
その昔、麓の東沢村の庄屋に、跡継ぎが幼くして没し育たなかったことから男子の長命を祈願して建てられたものと伝えられております。
もともと、この蔵王山は、けわしい山で遭難者が絶えなかったのが、ここにお地蔵さまがまつられてから、ふしぎと遭難者が少なくなり、またこのお地蔵さまにお参りすれば、願いごとがかなえられ、不慮の災難からものがれられるところから災難よけ地蔵尊とか、諸願成就の地蔵尊とよばれ、年ごとに信仰者がふえ、いつとはなしに、右手の丸い山まで地蔵岳とよばれるようになりました。
このお地蔵さまは、今から約200余年の昔安永4年8月(1775)に建てられたものであります。
その昔、麓の東沢村の庄屋に、跡継ぎが幼くして没し育たなかったことから男子の長命を祈願して建てられたものと伝えられております。
もともと、この蔵王山は、けわしい山で遭難者が絶えなかったのが、ここにお地蔵さまがまつられてから、ふしぎと遭難者が少なくなり、またこのお地蔵さまにお参りすれば、願いごとがかなえられ、不慮の災難からものがれられるところから災難よけ地蔵尊とか、諸願成就の地蔵尊とよばれ、年ごとに信仰者がふえ、いつとはなしに、右手の丸い山まで地蔵岳とよばれるようになりました。
蔵王地蔵尊のところから三宝荒神山へ登れます。
すぐに山頂につきます。
山頂にはこれといって何もないですけど。
三宝荒神山からの眺め。
もうすぐ寒い冬が来そうです。
地蔵山を越えてさらに歩き、熊野岳までもうひと息というところに、ヤマンバ様の像がありました。
このヤマンバ像は首なしの状態で石の下に埋もれていたらしいですけど、最近になって頭部を再生させ、こうして安置したみたいです。
ここらへんは「ワサ小屋跡」と呼ばれているそうで、なんでも昔このあたりに「おワサさん」という老婆がいて山小屋の番をしており、熊野岳山頂の蔵王山神社への参拝者の面倒を見ていたんだとか。
熊野岳山頂を目指します。
山頂に近づくにつれて霜がすごくなってまいります。
もう雪が降ったみたいな感じにも見えます。
岩とかこんな感じになってます。
なんかウロコみたいですね。
棒はこんな感じに。
そして熊野岳山頂にある神社に到着。
鳥居にも霜が。
ここもウロコのようになっちゃってます。
お社もこんなになってます。
なんか神秘的でいい感じかもしれません。
狛犬くんもこの通り。
こちらは仏像かなにかでしょうか。
そして、これがお釜。
これは凄いです。
雄大な風景です。
一見の価値ありかと。
いやはや色々といいものが見れて満足でした。