名称鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)
住所本宮本殿:鳥海山山頂
吹浦口の宮:山形県飽海郡遊佐町大字吹浦字布倉1
蕨岡口の宮:山形県飽海郡遊佐町上蕨岡松ヶ丘43
タイプ神社
参考リンク鳥海山大物忌神社HP

ご利益

  • 840年、朝廷、大物忌神に従四位下を授ける。前年に遣唐使船が賊を撃退できたのは、大物忌神が助けてくれたからだと考えた。
  • 871年、鳥海山噴火。朝廷、神の祟りと考え、大物忌神に正三位を授ける。
  • 変事が起こるたびに神階昇叙し出羽国一宮に昇りつめる。
  • 参考文献:『あなたの知らない山形県の歴史』 山本博文監修 洋泉社

  • 「大物忌」とは不浄を嫌うという意味。強い浄化力がある。
  • やる気アップ。
  • 眠れる才能の開花。
  • 生半可な気持ちの人は受け入れてもらえない。
  • 参考文献:『李家幽竹と行く 幸せパワースポット』 李家幽竹 ダイヤモンド社

  • 鳥海山(2236m)を祖山とするパワースポット。鳥海山の龍脈のひとつが吹浦口之宮付近にも来ているが龍脈からは多少外れている。
  • 若さ、発展、生命力などを与えてくれる。
  • 自分や周囲の間違いを正してくれる。
  • 鳥海山はブルーのオーラを放っている。すぐには人を寄せ付けない気高い山。不浄を嫌い強い浄化力をもっている。しっかりとした志を持って向き合うことが大事。
  • 吹浦口宮の拝殿の前にパワーが集まっている。
  • 参考文献:『李家幽竹 最強龍穴パワースポット』 李家幽竹 山と渓谷社

  • 鳥海山大物忌神社は、本宮本殿、吹浦口の宮、蕨岡口の宮の三社からなる。
  • 大物忌神は金色に輝く爽やかな感じのナマハゲの姿をしている。正体は彦火火出見之尊。
  • 外敵の侵入を防ぐ。
  • 民を守る。
  • 邪気を払う。
  • 邪に歪んだ心を正す。
  • 参考文献:『全国の開運神社案内』 深見東州 たちばな出版

鳥海山大物忌神社へ行ってきました

鳥海山の麓にある鳥海山大物忌神社(吹浦口の宮)にやってまいりました。
この神社を訪れる前に鳥海山の登山にチャレンジしたんですが、濃霧が発生したので途中で下山した次第です。
気高い鳥海山は、私のような不浄な人間は受け入れてくれなかったんでしょうか・・・。
まあ山の天気はコロコロ変わりますからね。
ガス発生で撤退なんてよくあることなので気にはしてませんが。
こちらの神社は静かで落ち着いた雰囲気の神社でした。
鳥海山大物忌神社


入口のところにあった由来書きの内容を記しておきます。
<<出羽國一之宮 鳥海山大物忌神社 由緒>>

御祭神
大物忌神社(倉稲魂命・豊受姫神と同神)
月山神(月読命)

由緒
社伝によれば、第12代景行天皇の御代当国に現れ、神社の創祀は第29代欽明天皇25年(564)の御代と伝えられている。鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行われた。本殿は山頂に鎮座し、麓に「口ノ宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ケ所に鎮座する。
大物忌神社は貞観4年(862)11月官社に列し、延喜式神名帳には名神大社として、吹浦鎮座の月山神社と共に収載されている。後に出羽国一之宮となり、朝野の崇敬を集めた。特に歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の武将にも篤く崇敬されてきた。
中世、神仏混淆以来、鳥海山大権現として社僧の奉仕するところとなったが、明治3年(1870)神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり、明治4年(1871)5月吹浦口ノ宮が国弊中社に列したが、同13年(1880)7月に山頂本殿を国弊中社に改め、同14年(1881)に吹浦・蕨岡の社殿を口ノ宮と称えて、隔年の官祭執行の制を定めた。昭和30年(1955)に三社を総称して現社号となる。山頂の御本殿は、伊勢の神宮と同じく20年毎に建て替える式年造営の制となっている。現在の御本殿は平成9年(1997)に造営された。
平成20年(2008)には、山頂本殿から口ノ宮にいたる広範な境内が国の史跡に指定された。



参道の階段を登ります。
参道

こちらが拝殿です。
私のリサーチによると、この拝殿前にパワーが集まっているとか。
拝殿前にある大木に手をついたりしてパワーをチャージしてきました。
拝殿
拝殿


続いて蕨岡口ノ宮にやってまいりました。
鳥海山はむかし修験道の霊場とされたそうで、山のまわりには修験衆徒の活動拠点が設けられていたそうです。
その中でも特にここ蕨岡(わらびおか)の衆徒は強大な勢力を誇っていたそうな。
今はけっこう静かな所という印象でしたけど。
蕨岡口の宮


こちらが社殿。
堂々とした豪壮な社殿でした。
写真だとわかりにくいかもしれませんが、けっこう大きくて、目の前に立つと圧迫感がありましたね。
社殿


山の方へ行ける階段があったので登ってみました。
最初の方がちょっと草で覆われていましたが、強行突破しました。
階段


ひーひー言いながら長い階段を登っていくと、木立に囲まれた小さい広場みたいな所があって、なにやら石碑が建っていました。
この石碑は「峯中碑伝(ぶちゅうひで)」というそうで、山伏の峯入り修行の記念碑だそうです。
石碑には梵字のようなものが刻まれていました。
不動明王の種字らしいです。
峯中碑伝
私はここで引き返してしまったのですが、後から境内案内図を見ると、ここからもう少し上に行けるみたいで、そこには蔵王権現碑や拝殿跡などがあるらしいです。