名称金峯神社(きんぽうじんじゃ)
住所山形県鶴岡市大字青龍寺字金峯1
タイプ神社
参考リンク金峯神社HP

ご利益

  • 月山龍脈に包み込まれた金峰山霊脈にある霊脈温泉・湯田川温泉郷に位置する。
  • パワーに満ち溢れている。やる気のない人でもやる気がアップする。
  • 峻厳な気があり人の上に立つ人にもおすすめ。統率力がアップする。
  • 奈良にある金峰山と同じパワーがある。
  • 清水から湧き出る水をぜひ飲むとよい。
  • 温泉に入る前に湯田川にある湯豆佐売神社(ゆずさめじんじゃ)にある樹齢300年以上とされる「乳イチョウ」に10分間ほど抱きついておくとよい。それから温泉に入ればより多くの気をもらえる。
  • 参考文献:『開運風水!最強パワースポット入門』 龍山白虎 高橋書店

金峯神社へ行ってきました

鶴岡市にある金峯神社に行ってきました。


とりあえず金峯山の北西側の麓にある湯田川温泉にやってきました。
本に書いてあった湯豆佐売神社がこの温泉郷にあるそうなので。
湯田川温泉


神社を探して温泉街をウロウロ。
鯉がいる池とかありました。
池


しばらくウロウロして由豆佐売神社というのを発見しました。
最初の字が「由」で字が違いますけど、たぶんこの神社で間違いないでしょう。
鳥居の前の碑文によると、この神社は映画「たそがれ清兵衛」のロケ地としても使われたんだとか。
由豆佐売神社


参道の脇には大きな杉の木があって歴史を感じさせます。
参道
参道
参道の途中にあった由来書きには次のように書いてありました。
<<式内社 由豆佐売神社>>
由豆佐売神社は、白雉元年(650)の創建と云われ、古書「三代実録」や、延喜5年(905)に起草の延喜式神名帳にも登載された格式の高い神社である。
祭神は、溝樴姫命、大己貴神、少彦名神の三神で、代々の領主をはじめ近郷庶民の崇敬厚く、最上義光は黒印155石を、又酒井家による社殿造営など、数々の寄進があった。
現在の拝殿は、安永年間(1775年頃)の造営で、昔は観音堂と称し十一面観音を祀り、又社名も滝蔵権現と称し、神仏習合時代の密教寺院に多く見られる平面構造(松田良助氏説)で五間堂、円柱、向拝屋根、唐破風、内部は外陣、内陣、内々陣、格子(結界)、脇陣、周り縁、床が高く貴重な遺構である。
本殿の造営は、明治15年時の庄内の名棟梁「高橋兼吉」の建築である。
ずいぶんと歴史の深い神社なのですね。


「乳イチョウ」を発見しました。
なるほど、だらりと乳のようなのが垂れ下がっております。
私のリサーチによると温泉に入る前にこの乳イチョウに10分ほど抱きついているといいらしいのですが、周りに柵が設けられており入っちゃいけないような気がしたので、抱きつくのはやめておきました。
それに10分間というのはかなり長いと思います。
他の参拝客に変な人と思われそうです。
乳イチョウ
乳イチョウ


こちらが社殿になります。
立派なもんです。
由豆佐売神社
由豆佐売神社


由豆佐売神社を参拝後、金峯山に登るために登山口を探しました。
標識に従って山の方にいったら赤い鳥居のある登山口を発見しました。
金峯山登山口


1時間くらいで山頂にある金峯神社に到着。
なかなかよい雰囲気の神社でした。
金峯神社
金峯神社


神社の近くに視界の開けた場所があって、鶴岡市街を一望できます。
素晴らしい眺めでした。
開けた場所
鶴岡市街


金峯山から下山してきて、今度は金峯山の東側の麓の方にある「中の宮」の方へ行ってみました。
写真は社務所です。
ここまでは車でこれます。
でも途中にも色々と神社などがあるので、時間のある人は歩いて登ってもいいと思います。
金峯神社 社務所


社務所の向い側に「閼伽井(あかい)の清水」なる湧水がありました。
本に書いてあった湧き水というのはこれのことでしょうか。
タンクで大量に詰めて持って帰っている人もいましたよ。
私も少しいただきました。
冷たくて美味しい水でした。
閼伽井の清水


こちらが金峯神社中の宮の社殿です。
階段の両脇には大黒様と恵比寿様が鎮座しておりました。
社殿の脇の方に登山口があって、こっちの方から金峯山に登ることもできるみたいでした。
金峯神社中の宮
大黒様
恵比寿様


こちらは「無想の滝」。
神社のさらに奥の方にありました。
別名「禊の滝」とも言われているとか。
無想の滝


最後に金峯神社に関しての由緒を記しておきます。
<<金峯神社>>

御祭神
大国主命、少名彦命、安閑天皇、事代主命

由緒
第38代天智天皇の10年(670)役の小角の開基といわれ、金剛蔵王権現を祀る。大同年間に山頂に本殿を創建、蓮華峯(八葉山)と称し、修験道の霊地として多くの崇敬厚く、延暦20年坂上田村磨呂東征の時戦勝を祈願し、度々の奇瑞があり、勝利を得たと伝えられる。第72代白河天皇の承暦年間に大和国宇多の城主丹波の守盛宗がこの地に移り、自分の氏神であった吉野の金峯山から分霊を勧請し、金峯蔵王権現を祀り山名を金峯山と改む。大国次郎秀衡の代になって久安6年(1150)飛騨の工匠を招き、金峯山本殿を造営する。応永年間楠正成の子正儀の長子楠正勝傑堂能勝と号し、当地金峯山麓(高坂)に洞春院を建立し、奉持せる後醍醐天皇の御宸筆蔵王大権現の尊軸を奉安する。更に慶長13年最上義光は志村伊豆守光安、下對馬守秀久に命じ本殿を大修復し、社領寄進する。降って歴代酒井藩主も社殿を修理し祈願所とした。明治9年県社に列し、昭和16年に国の名勝地に指定、昭和27年別表社となり現在に至る。