名称大石神社
住所兵庫県赤穂市上仮屋旧城内
タイプ神社
参考リンク大石神社HP

ご利益

  • 明治33年(1900)、政府が大石神社を建てることを許可。
  • 大正元年(1912)、社殿完成。
  • 大石良雄ら47人、萱野重実を祀る。
  • 森蘭丸も祀る。浅野家改易後、森氏が赤穂入りしたから。
  • 参考文献:『怨霊神社―怨霊を鎮めた伝説の神社・仏閣』 日本怨霊研究会 竹書房

大石神社へ行ってきました

大石神社に行ってみることに。
赤穂城の大手門を入って少し歩いたら大石邸長屋門なるものがありました。
浅野家筆頭家老大石内蔵助さんが住んでいた屋敷の門だそうです。
ここは内蔵助さんが朝夕出入りしていたそうですし、主君の悲報を伝える早打ちが叩いたのもここだとか。
かなりきれいに残ってますけど、何回か修理されているみたいです。
大石邸長屋門


大石邸長屋門から少し行くと大石神社がありました。
神門の前には四十七義士の石像がずらっと並んでいます。
四十七義士石像


境内に大石内蔵助さんの銅像が建っていました。
主君の凶報がもたらされた直後に急いで登城するときの姿らしいです。
大石内蔵助良雄銅像


神社に参拝。
大願成就のご利益があるらしいですよ。
仇討ちは現代ではダメでしょうけど。
大石神社
案内板には当社の御祭神と由緒について次のように書いてありました。
<<ご祭神>>
義士の統領大石内蔵助良雄命を始め、四十七義士命、中折の烈士萱野三平命
播州赤穂城主浅野内匠頭長直・釆女正長友・内匠頭長矩の三侯
浅野家断絶後の藩主森家の可成・長可・忠政・可隆・蘭丸・坊丸・力丸の七武将

<<由緒>>
大石神社は明治元年、明治天皇の東京行幸に際し、泉岳寺の義士墓前に宣旨並びに金幣を賜ったのを契機に神社奉斎の議が起こり明治三十三年神社創立が公許され、大正元年十一月三日義士を崇敬追慕する方々の奉賛により御鎮座となった。
ご祭神四十七義士が一年十ヶ月の永い間艱難辛苦の末見事主君の仇を討った事により大願成就、願望成就の神として全国よりお参りを頂いている。
境内地は大石内蔵助、同じく家老の藤井又左衛門そして義士片岡源五右衛門、大石瀬左衛門の邸跡一帯である。
尚、ご社殿を始めとする境内各施設は平成十四年の義士討入り満三百年を記念した境内整備事業により一新された。
例大祭日は吉良邸に討入り見事主君の仇を討った十二月十四日。
思っていたよりもたくさんの方がお祀りされているんですね。


参拝したあと赤穂城をブラブラ散策。
ここはたしか厩口門(うまやぐちもん)だったと思います。
厩口門
城内から狼煙があがっております。
嘘です。
工場かなにかの煙突から出ている煙でしょう。


城内はきれいに整備されていて散歩していて気持ちよかったです。
赤穂城
赤穂城
赤穂城


南の水手門のことろに黒鳥がいました。
見ていたら近づいてきて、けっこう睨まれましたよ。
堀の中に専用の小屋みたいなのも建っていて、ここに棲みついているみたいです。
黒鳥