名称 | 三井寺(みいでら) |
---|---|
住所 | 滋賀県大津市園城寺町246 |
タイプ | 寺 |
参考リンク | 三井寺HP |
ご利益
- 寺に残る釣鐘は湖にいる目をなくした大蛇に昼夜の区別を知らせるためのもの。
参考文献:『ふるさとの伝説7 寺社・祈願』 伊藤清司監修 ぎょうせい
- 平安時代、田原藤太秀郷、瀬田の唐橋の下に棲む竜神に頼まれ三上山の大百足を退治。そのお礼にもらった慈尊出世を告げる名鐘を三井寺に奉納。無動寺へ預けられたときに砕け散ったが一夜で再生。
- 華階寺(大津市京町)に秀郷が彫った「矢の根地蔵」がある。悪魔退治。
参考文献:『日本の伝説10 近畿』 日本伝説拾遺会監修 教育図書
- 開基は大友与多王。
- 本尊は弥勒菩薩。
- 日本三不動の1つ。
- 後三条天皇、三井寺の怨みを買い呪殺される。
- 三井寺の阿闍梨・頼豪の怨霊により、白河天皇の皇子と娘・郁芳門院(いくほうもんいん)が死亡。
- 閼伽井屋に左甚五郎作と伝えられる龍の彫刻がある。むかし琵琶湖で暴れまわっていたとされる。
参考文献:『神社仏閣に隠された日本史の謎と闇』 中見利男 宝島社
- 大津京は四神相応の地。
- 『日本書紀』天智天皇5年(666)の条「是冬。京都(みやこ)之鼠向近江移」は近江遷都の予祝。
- 667年3月19日(丁卯年・辰月・己卯日)の近江遷都は子と卯を撰用した呪術。
参考文献:『日本古代呪術』 吉野裕子 大和書房
- むかし、智興内供(ちきょうないぐ)が重病となった際、安倍晴明に延命の祭祀を行うように依頼した。晴明は、身代わりになる者がいれば、泰山府君の神に頼み込み延命可能かもしれないと言った。すると弟子の証空(しょうくう)が身代わりになると申し出た。そこで晴明は泰山府君の祭祀を始めた。証空は死を覚悟し守り本尊の不動の画の前で後生を祈念していた。すると画の不動が証空の態度に感激し、両目から血の涙を流し、証空の身代わりになると声を発した。結局、証空も智興内供も両方助かった。不動の画像は泣不動として三井寺常住院に秘蔵された。
参考文献:『図説 日本呪術全書』 豊島泰国 原書房
- 安定した人生に導いてくれる。
- 閼伽井屋に立ち寄るとよい。運気の吸着率が高まる。
参考文献:『李家幽竹と行く 幸せパワースポット』 李家幽竹 ダイヤモンド社
- 東山の山並を祖山とするパワースポット。琵琶湖が明堂水、音羽山が砂になっている。
- 琵琶湖は金の気を生み出し日本列島に循環させている。日本を繁栄させるには琵琶湖を清浄に保つことが重要。
- 自分に必要な運を与えてくれる。
- 運気を定着させてくれる。
- 安定をもたらす。
- 「三井の霊泉」がある閼伽井屋(あかいや)が一番パワーが強い。中には入れない。左甚五郎の龍の彫刻の下で強いパワーを体感できる。
参考文献:『李家幽竹 最強龍穴パワースポット』 李家幽竹 山と渓谷社
- 天台寺門宗の総本山。山号は長等山、正式名称は園城寺。
- 山門派(比叡山延暦寺)と寺門派(三井寺)の抗争で何度も焼き討ちされた歴史があるが、焼失するたびに時の権力者たちの手で再興され生き延びてきた。そのため「不死鳥の寺」などとも呼ばれる。
- 2つの龍脈により形成されている特殊なパワースポット。「衆龍相會形」という地勢をしており、前方に広がる琵琶湖がさらにエネルギーを高めている。このような場所に墓をつくると子孫は非常な名声を得るとされる。
- 金堂西側の「閼伽井屋」から湧き出ている清水は天智・天武・持統の三天皇の産湯に使われた霊泉といわれており、「御井の寺」ということで三井寺の寺名の由来にもなった。今も湧き続けている。
- 大きな名声を得るための勇気と覚悟の気づきが得られるパワースポット。
- リーダーになりたい人、名声が欲しい人、不屈の精神力や実行力が欲しい人は訪れるとよい。
参考文献:『風水パワースポット紀行』 山道帰一 メディア総合研究所
三井寺へ行ってきました
大津市にある三井寺にやってまいりました。
正式名称は園城寺というらしいです。
かなり広大な敷地を有するお寺でした。
写真は入口にあった仁王門。
宝徳4年(1452)に甲賀の常楽寺に建立されたものらしいですが、のちに伏見城に移され、さらに慶長6年(1601)に徳川家康によってここに移築されたらしいです。

お寺の中を見学するには拝観料が必要です。
たしか600円くらいだったと思います。
仁王門をくぐるとすぐに受付があるので、そこで拝観料を納めました。
こちらは金堂。
天智天皇が信仰していたとされる弥勒仏を秘仏として祀っているらしいです。
現在の建物は北政所により慶長4年(1599)に再建されたものだとか。
金堂の中に入ることもできました。
古そうな仏像がいっぱい置いてありましたよ。

金堂の前に灯籠があります。
この灯籠の台座下に天智天皇の薬指が納められていると伝えられているとか。
天智天皇は大化の改新で蘇我氏を誅し、その罪障消滅のために自らの左薬指を切り納めたのだとか。
本当なんでしょうか。
金堂の近くにあった鐘楼。
有名なものらしいです。
撞くには受付に300円払って申し込みする必要があるらしいです。

そして、これが閼伽井屋。
私のリサーチによると、ここが一番パワーが強いとか。
また運気の吸着率が高まるという情報も。

建物に近づくと、中からボコッボコッと音がしましたね。
水が湧いている音のようです。
なんでもここに湧く泉は天智・天武・持統の三天皇の産湯に使われたものなんだとか。
千数百年経った今も水が湧いているなんてスゴイですね。
上の方に左甚五郎作とされる龍の彫刻がありました。
この龍は夜な夜な琵琶湖に出て暴れまわっていたそうな。
困った甚五郎は龍の目玉に五寸釘を打ち込んで鎮めたと伝えられているとか。

弁慶の引き摺り鐘なんてものもありましたよ。
この鐘は俵藤太秀郷が竜宮から持ち帰って三井寺に寄進したものと伝えられているそうです。
その後、弁慶がかっぱらっていって撞いてみたら、「イノー・イノー(関西弁で帰りたい)」と響いたので、怒って谷底に投げ捨てたんだとか。

少し高いところにある観音堂にも参拝。
西国三十三所観音霊場の第14番札所だそうです。

この観音堂のあるところから琵琶湖を拝むことができました。

正式名称は園城寺というらしいです。
かなり広大な敷地を有するお寺でした。
写真は入口にあった仁王門。
宝徳4年(1452)に甲賀の常楽寺に建立されたものらしいですが、のちに伏見城に移され、さらに慶長6年(1601)に徳川家康によってここに移築されたらしいです。

お寺の中を見学するには拝観料が必要です。
たしか600円くらいだったと思います。
仁王門をくぐるとすぐに受付があるので、そこで拝観料を納めました。
こちらは金堂。
天智天皇が信仰していたとされる弥勒仏を秘仏として祀っているらしいです。
現在の建物は北政所により慶長4年(1599)に再建されたものだとか。
金堂の中に入ることもできました。
古そうな仏像がいっぱい置いてありましたよ。

金堂の前に灯籠があります。
この灯籠の台座下に天智天皇の薬指が納められていると伝えられているとか。
天智天皇は大化の改新で蘇我氏を誅し、その罪障消滅のために自らの左薬指を切り納めたのだとか。
本当なんでしょうか。
金堂の近くにあった鐘楼。
有名なものらしいです。
撞くには受付に300円払って申し込みする必要があるらしいです。

そして、これが閼伽井屋。
私のリサーチによると、ここが一番パワーが強いとか。
また運気の吸着率が高まるという情報も。

建物に近づくと、中からボコッボコッと音がしましたね。
水が湧いている音のようです。
なんでもここに湧く泉は天智・天武・持統の三天皇の産湯に使われたものなんだとか。
千数百年経った今も水が湧いているなんてスゴイですね。
上の方に左甚五郎作とされる龍の彫刻がありました。
この龍は夜な夜な琵琶湖に出て暴れまわっていたそうな。
困った甚五郎は龍の目玉に五寸釘を打ち込んで鎮めたと伝えられているとか。

弁慶の引き摺り鐘なんてものもありましたよ。
この鐘は俵藤太秀郷が竜宮から持ち帰って三井寺に寄進したものと伝えられているそうです。
その後、弁慶がかっぱらっていって撞いてみたら、「イノー・イノー(関西弁で帰りたい)」と響いたので、怒って谷底に投げ捨てたんだとか。

少し高いところにある観音堂にも参拝。
西国三十三所観音霊場の第14番札所だそうです。

この観音堂のあるところから琵琶湖を拝むことができました。
