名称 | 天理教教会本部 |
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住所 | 奈良県天理市三島町 |
タイプ | 教団本部 |
参考リンク | 天理教HP |
ご利益
- 天理王尊は天皇が日本の正当な支配者でないことを霊示。
参考文献:『第六天魔王と信長』 藤巻一保 悠飛社
- 以下、天理教の歩み。
- 天保9年(1838)10月26日、中山みきに天理王命(てんりおうのみこと)降りる。
- 明治8年(1875)6月29日、ぢば(地場)を定める。
- 明治20年(1887)2月18日、みき没。
- 明治21年(1888)、神道本局所属の天理教会として公認。
- 明治41年(1908)、教派神道の一派として独立。
- 戦後、教派神道連合会から脱退。
- 以上。
- 「ぢば」の上に甘露台が据えられている。甘露をいただくと、病にならない、115歳まで生きれる、不死になれる、陽気ぐらしの世界が実現する、とされる。人間が神の心を正しく理解・実行できるようになると石製の真の甘露台が完成するとされる。毎月26日「甘露台のつとめ」が行われる。
参考文献:『究極 日本の聖地』 鎌田東二編著 中経出版
- 24時間いつでも開かれていて誰でも入れる。信者以外の人でも入れる。
- 毎日朝夕二度、「おつとめ」と呼ばれる集団礼拝が行われる。
- 教会本部の中心は「ぢば(地場)」と呼ばれる。もともとは天理教開祖・中山みきが住んでいた屋敷があった。天理教においては人類発祥の場所とされる。
- 「ぢば」には「かんろだい(甘露台)」が据えられている。天理教においては「かんろだい」には甘露が降るとされている。甘露とはインド古代神話に登場する「アムリタ」のこと。中国などでは天から降る甘美な霊薬とされる。
- 教会本部の建物の真北に教祖殿があり、そこには中山みき(1887年没)が現在も住んでいるとされており、毎日食事も運ばれている。
参考文献:『聖地にはこんなに秘密がある』 島田裕巳 講談社
天理教教会本部へ行ってきました
天理教教会本部に行ってみることに。
まず天理駅で下車。
わりと大きな駅ですけど、あまり人もおらず静かな所だなという印象。
でも、駅から出たら、広場でいきなり1人の青年が大声で説法しておりました。
テンリオウノミコト様が云々・・と語っておられたので、天理教の信者の方だろうと思います。
いや~、さすが宗教都市。
到着早々いいものを見せていただきました。
ちなみに、帰りの際は公明党の方が辻立ちしておられました。
教会本部に行く途中、巨大なマンションみたいな建物がいっぱい建っていました。
中華風っぽい建物。
教団の詰所らしいです。
煙突みたいなのも建ってます。
建ち並ぶごつい建築物には圧倒されます。
すごい財力。
いよいよ教会本部に突入。
誰でも入ることができると聞いておりますが、天理教の教義なんてほとんど何も知らない完全部外者なので、少々気が引けます。
ここが教会本部。
立派な建物ですね。
中にも入ってきました。
畳敷きの薄暗い大きな部屋で信者さんが座って祈りを捧げておられました。
なにやら手を動かしながら独特の歌を歌っておられましたね。
「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと~」みたいな歌詞だったと思います。
癒されるメロディーでした。
まず天理駅で下車。
わりと大きな駅ですけど、あまり人もおらず静かな所だなという印象。
でも、駅から出たら、広場でいきなり1人の青年が大声で説法しておりました。
テンリオウノミコト様が云々・・と語っておられたので、天理教の信者の方だろうと思います。
いや~、さすが宗教都市。
到着早々いいものを見せていただきました。
ちなみに、帰りの際は公明党の方が辻立ちしておられました。
教会本部に行く途中、巨大なマンションみたいな建物がいっぱい建っていました。
中華風っぽい建物。
教団の詰所らしいです。
煙突みたいなのも建ってます。
建ち並ぶごつい建築物には圧倒されます。
すごい財力。
いよいよ教会本部に突入。
誰でも入ることができると聞いておりますが、天理教の教義なんてほとんど何も知らない完全部外者なので、少々気が引けます。
ここが教会本部。
立派な建物ですね。
中にも入ってきました。
畳敷きの薄暗い大きな部屋で信者さんが座って祈りを捧げておられました。
なにやら手を動かしながら独特の歌を歌っておられましたね。
「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと~」みたいな歌詞だったと思います。
癒されるメロディーでした。