名称 | 平城京跡 |
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住所 | 奈良県奈良市 |
タイプ | 史跡 |
参考リンク | 平城京跡HP |
ご利益
- 734年4月7日、天平河内大和地震が平城京を襲う。これが一因となり、聖武天皇、難波京・紫香楽宮・恭仁京の3ヵ所に都を置く複都や、紫香楽宮での大仏建立を構想。
- 天平17年4月27日、紫香楽宮で地震発生。大仏建立工事続行不可能になり、聖武天皇、奈良に帰る。
参考文献:『今こそ知っておきたい「災害の日本史」』 岳真也 PHP研究所
- ペルシア人の名前(破斯清道(はしのきよみち))を記した木簡出土。奈良時代、ペルシア人が奈良で暮らしていた。
参考文献:『ムー』434号 学研
- 740年、聖武天皇、謎の東国行幸。これは壬申の乱の天武天皇ルートをなぞる自分さがし。
参考文献:『地図でわかる天皇家の謎』 歴史謎学倶楽部 宝島社
- 近くに法華寺がある。光明皇后、浴室を建て困窮者救済。癩病患者の膿を吸ったら患者が阿閦仏になり皇后の仁徳を称え消えた。
参考文献:『日本の伝説11 奈良・南紀』 日本伝説拾遺会監修 教育図書
- 奈良時代などには奈良盆地はシルクロードという世界の交流軸の上にあったので栄えた。
- 桓武天皇が京都に遷都して奈良は交流軸から外れ廃れた。
- 明治になって奈良に鉄道が敷かれ、その後、道路も整備され、奈良は再び交流軸の上に乗り1000年の眠りから目覚めた。
- 古代、大阪湾はもっと内陸の方まで入り込んでいた。大阪湾から大和川を遡って奈良盆地まで舟で行けた。奈良盆地には湿地湖が広がっており、舟を使えば奈良盆地のどこにでも行けた。奈良盆地は自然の内港のようだった。奈良盆地に都が置かれたのは地形から見て合理的。
- 桓武天皇が奈良から京都に遷都したのは、淀川流域の豊かな「水」と「森」を求めて。
参考文献:『日本史の謎は「地形」で解ける』 竹村公太郎 PHP研究所
- 那羅山(奈良山)が主山。
- 若草山、御笠山(春日山)が青龍砂。
- 生駒山が白虎砂。
- 佐保川が明堂水。
- 秋篠川が客水。
- 大内裏のあった場所が穴。
- 天皇陵等を周囲に配置し天皇家の権威強化。
- 西大寺と東大寺で都の守護強化。
参考文献:『「風水」で読み解く日本史の謎』 李家幽竹 PHP研究所
平城京跡へ行ってきました
平城京跡にやってまいりました。
正面からではなく東の方の法華寺のあるあたりから突入。
立派な塀がたってました。
てきとうに歩いていたら扉が開いているところがあったので、中に入っていきました。
なにやら池や建物があるエリアに来てしまいました。
あとから調べると、ここは東院庭園というところらしいです。
謎の基壇。
かなり広々したところでした。
大極殿のあるところとか行ってみたかったですが、雨が強く降ってきたので撤退しました。
正面からではなく東の方の法華寺のあるあたりから突入。
立派な塀がたってました。
てきとうに歩いていたら扉が開いているところがあったので、中に入っていきました。
なにやら池や建物があるエリアに来てしまいました。
あとから調べると、ここは東院庭園というところらしいです。
謎の基壇。
かなり広々したところでした。
大極殿のあるところとか行ってみたかったですが、雨が強く降ってきたので撤退しました。