名称 | 大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう) |
---|---|
住所 | 東京都杉並区大宮2-3-1 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 大宮八幡宮HP |
ご利益
- 身近な願いを叶えてくれる。
- 家庭や職場などで適切な判断を下すための知恵を授けてくれる。
- 現実的で正しい選択ができるようになる。
参考文献:『開運!日本のパワースポット案内』 一個人編集部編 KKベストセラーズ
- 源頼義によって建立された。
- 武蔵国の三大宮の1つ。
- 都内で3番目に広い。
- 縁結び、安産、子育て。
参考文献:『ご利益別ピンポイント神社』 マガジンハウス編 マガジンハウス
- 御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。
- 源頼義が前九年の役平定後に京都の石清水八幡宮から分霊して創建。
- 木がすごく気持ちよさそうにしている。色々な木の意思を感じる。
- 木にも個性がある。松はノリがよい。銀杏は寡黙。ソメイヨシノはネガティブ。楠は自意識過剰でおしゃべり。
- 狛犬のところに狸の霊がいる。
- 本殿の右の方に楠林がある。ここの木たちは仲良しで相談しながら枝を伸ばしており枝が重なっていない。
- 神門の桜はボヤいている。
- 本殿前に白い大きい人(霊的な存在)が現れる。
- 神楽が行われる際に舞い手さんの後ろに霊的な扉が現れる。扉の向こうには穴があいている。
- 大宮八幡宮に現れるという「小さなおじさん」の正体はモグラ。
- ここの水は神の水。販売もしている。
参考文献:『スピ☆散歩 ぶらりパワスポ霊感旅1』 伊藤三巳華 朝日新聞出版
- 小さなおじさんの妖精が現れる。
- 実際に「小さなおじさん」を目撃した人の話によると、「小さなおじさん」は本殿横の大宮稲荷神社のお狐さんの土台の所あたりに出現したという。地味な色合いの着物をきていたそうである。ちなみに「小さなおじさん」を見たからといって何かご利益があるというわけではないようだ。
- 天女を目撃したという情報もある。
- 大宮八幡宮付近は古墳や古代の遺跡などもあり、太古からの聖地だったと言われている。
参考文献:『本当は怖いパワースポット』 宝島社
- 家内安全、子宝祈願、縁結びなどにご利益がある。
- 敷地内に幼稚園があったりペットのお守りがあったりして弱者に優しい神社。
参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社
- 東京の地の奥底に潜む邪霊の上に鎮座していて、その邪霊が悪さをするのを抑えている。
- 神気横溢する優れた霊力を発揮する神様がいらっしゃる。
- 杉並区ではこの大宮八幡が霊力随一。
参考文献:『全国の開運神社案内』 深見東州 たちばな出版
- 現実的な選択にパワーを授けてくれる。
- ものごとを全方向に広げる力がある。
- 境内に湧き水が出ている。その水をいただくと良い。
- 朝日の出る直前、または午前0時頃に行くと良い。
参考文献:『日本全国このパワースポットがすごい!』 若月佑輝郎 PHP研究所
大宮八幡宮へ行ってきました
東京都杉並区にある大宮八幡宮へ行ってきました。
元旦に行ったので人が大勢いました。
なんでもこの神社は小さなおじさんの妖精が目撃されたという噂があるらしいです。
また地の底に潜む邪霊を封じ込めているなんて人もいます。
なかなか楽しそうな神社です。
しかし元旦に行くと人がウジャウジャいて正直きつい。
なんとか参拝は済ませました。
疲れた。
元旦に来るもんじゃないなと思いました。
私のリサーチによると境内に湧水があるとのことでしたが、水神様を祀っているという「多摩清水乃社(たましみずのやしろ)」というのを見つけました。
湧水というか蛇口をひねると水が出てきましたが、これなのでしょうか?
まあとりあえず頂いときました。
立札に波動水とか書いてありましたけど、まあ普通の水った感じ。
本殿の横の奥の方に大宮稲荷神社がありました。
小さなおっさんが出現したという場所です。
土台のあたりにいたということですが、この日は姿を見せませんでしたねw
ぜひお目にかかりたかったのですが。
境内の北側の方から外に出るとなんか公園みたいな感じなっていて川も流れてます。
なんかこのへんは大宮遺跡とかいう遺跡なんだそうです。
かなり昔から神聖な場所だったらしいですね。
案内板にあった説明も記しておきます。
ついでに大宮八幡宮の由来書きも記しておきます。
というわけで大宮八幡宮でした。
なかなかいい神社だと思いますが元旦は人が大勢いてあんまりゆっくりと境内を見れませんでした。
今度来る時はもっとゆっくりと見てまわりたいと思いました。
小さなおっさんにもぜひ会いたいです。
元旦に行ったので人が大勢いました。
なんでもこの神社は小さなおじさんの妖精が目撃されたという噂があるらしいです。
また地の底に潜む邪霊を封じ込めているなんて人もいます。
なかなか楽しそうな神社です。
しかし元旦に行くと人がウジャウジャいて正直きつい。
なんとか参拝は済ませました。
疲れた。
元旦に来るもんじゃないなと思いました。
私のリサーチによると境内に湧水があるとのことでしたが、水神様を祀っているという「多摩清水乃社(たましみずのやしろ)」というのを見つけました。
湧水というか蛇口をひねると水が出てきましたが、これなのでしょうか?
まあとりあえず頂いときました。
立札に波動水とか書いてありましたけど、まあ普通の水った感じ。
本殿の横の奥の方に大宮稲荷神社がありました。
小さなおっさんが出現したという場所です。
土台のあたりにいたということですが、この日は姿を見せませんでしたねw
ぜひお目にかかりたかったのですが。
境内の北側の方から外に出るとなんか公園みたいな感じなっていて川も流れてます。
なんかこのへんは大宮遺跡とかいう遺跡なんだそうです。
かなり昔から神聖な場所だったらしいですね。
案内板にあった説明も記しておきます。
<大宮遺跡>
善福寺川の南崖上に位置するこの地は、大宮遺跡の発掘地です。大宮遺跡は、都内で初の方形周溝墓が発掘されたことで有名です。
方形周溝墓は「方形の四方を溝で囲んだ土器時代の古代人の墓」で弥生時代末期のものとされます。昭和44年の発掘作業では3基の周溝墓が発見され、そこから土器や勾玉、ガラス玉等が見つかりました。
特に壺形土器の配列や底に穴をあけた形状(穿孔土器)からこの遺跡が住居跡ではなく、尊貴な者(族長=祖神)の墓域、祭祀遺跡であることが判明しました。
当時、善福寺川沿いの低地では水田耕作が行われていた模様です。そして対岸の松ノ木遺跡には多くの竪穴式住居跡が発見されています。つまり川や田んぼを挟んで住居と祭りの場を厳密に区分するという観念が当時から存在していたことを示しています。
この遺跡は大宮八幡宮との旧社殿地ともほとんど重なり、この一帯が聖域とされていた古代からの信仰がのち大宮八幡宮の創建につながったと思われます。
大宮遺跡は発掘後埋め戻されましたが、出土品の一部は当宮清涼殿に展示してあります。
善福寺川の南崖上に位置するこの地は、大宮遺跡の発掘地です。大宮遺跡は、都内で初の方形周溝墓が発掘されたことで有名です。
方形周溝墓は「方形の四方を溝で囲んだ土器時代の古代人の墓」で弥生時代末期のものとされます。昭和44年の発掘作業では3基の周溝墓が発見され、そこから土器や勾玉、ガラス玉等が見つかりました。
特に壺形土器の配列や底に穴をあけた形状(穿孔土器)からこの遺跡が住居跡ではなく、尊貴な者(族長=祖神)の墓域、祭祀遺跡であることが判明しました。
当時、善福寺川沿いの低地では水田耕作が行われていた模様です。そして対岸の松ノ木遺跡には多くの竪穴式住居跡が発見されています。つまり川や田んぼを挟んで住居と祭りの場を厳密に区分するという観念が当時から存在していたことを示しています。
この遺跡は大宮八幡宮との旧社殿地ともほとんど重なり、この一帯が聖域とされていた古代からの信仰がのち大宮八幡宮の創建につながったと思われます。
大宮遺跡は発掘後埋め戻されましたが、出土品の一部は当宮清涼殿に展示してあります。
ついでに大宮八幡宮の由来書きも記しておきます。
<<大宮八幡宮>>
<御祭神>
応神天皇(第15代天皇)
仲哀天皇(応神天皇の父君)
神功皇后(応神天皇の母君)
<御由緒と御神徳>
大宮遺跡の存在でも明らかなように、この大宮台地は古代より神霊の坐す聖域でありました。
社伝によれば第70代後冷泉天皇の時、天喜年中(1053~57)鎮守府将軍源頼義公が奥州兵乱平定の途次、この地で長男の八幡太郎義家等とともに白雲八ツ幡の瑞祥を見て戦勝を祈願され、平定後の康平6年(1063)源氏の祖神である京都・石清水八幡宮の八幡大神を勧請、当宮が創建されました。
以来多くの人々の崇敬が篤く神域も殊の外宏大でありましたので武蔵国の三大宮の1つ、「多摩の大宮」と呼ばれていました。
源氏一門の徳川家康公も江戸開府にあたり当宮にも参詣、以降歴代の将軍より崇敬され朱印三十石を賜りました。
御祭神親子三神の御神威により子育(安産)守護、家庭円満、厄難除け、諸願成就の神として信仰が篤く、近年は、神々の記憶とわが国の歴史へ誘う、東京の重心「東京のへそ」「子育厄除八幡さま」と讃えられています。
なお大宮、方南、和田、松ノ木の各氏子地域の氏神様でもあります。
<御祭神>
応神天皇(第15代天皇)
仲哀天皇(応神天皇の父君)
神功皇后(応神天皇の母君)
<御由緒と御神徳>
大宮遺跡の存在でも明らかなように、この大宮台地は古代より神霊の坐す聖域でありました。
社伝によれば第70代後冷泉天皇の時、天喜年中(1053~57)鎮守府将軍源頼義公が奥州兵乱平定の途次、この地で長男の八幡太郎義家等とともに白雲八ツ幡の瑞祥を見て戦勝を祈願され、平定後の康平6年(1063)源氏の祖神である京都・石清水八幡宮の八幡大神を勧請、当宮が創建されました。
以来多くの人々の崇敬が篤く神域も殊の外宏大でありましたので武蔵国の三大宮の1つ、「多摩の大宮」と呼ばれていました。
源氏一門の徳川家康公も江戸開府にあたり当宮にも参詣、以降歴代の将軍より崇敬され朱印三十石を賜りました。
御祭神親子三神の御神威により子育(安産)守護、家庭円満、厄難除け、諸願成就の神として信仰が篤く、近年は、神々の記憶とわが国の歴史へ誘う、東京の重心「東京のへそ」「子育厄除八幡さま」と讃えられています。
なお大宮、方南、和田、松ノ木の各氏子地域の氏神様でもあります。
というわけで大宮八幡宮でした。
なかなかいい神社だと思いますが元旦は人が大勢いてあんまりゆっくりと境内を見れませんでした。
今度来る時はもっとゆっくりと見てまわりたいと思いました。
小さなおっさんにもぜひ会いたいです。