名称 | 鈴ヶ森刑場跡 |
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住所 | 東京都品川区南大井2丁目 |
タイプ | 刑場跡 |
参考リンク |
ご利益
- 以下、平井権八(白井権八)の歩み。
- 故郷鳥取で本庄助太夫を殺害、出奔。
- 寛文12年(1672)、江戸に来る。
- 花魁小紫と馴染みになる。辻斬りをはじめる。
- 助太夫の子、助七・助八らが仇討ちしに来たが返り討ち。
- 結局130余人を手に掛ける。
- 上方に逃げたりしたが結局捕まり、延宝7年(1679)鈴ヶ森刑場で磔殺。小紫も後追い自殺。
参考文献:『日本の伝説5 東京』 日本伝説拾遺会監修 教育図書
- 慶安4年(1651)、刑場開設。明治4年(1871)、閉鎖。20万人以上処刑。
- 以下、処刑された有名人。
- 丸橋忠弥。幕府転覆を企てる。磔刑。
- 天一坊改行。徳川吉宗の落胤と称す。獄門。
- 白井権八。辻斬りで100人以上殺害。
- お七。放火。火炙り。
参考文献:『怨霊神社―怨霊を鎮めた伝説の神社・仏閣』 日本怨霊研究会 竹書房
- 鈴ヶ森刑場は関西方面から江戸市中への入口にあたる品川宿に設置されていた。江戸に出入りする人々への見せしめのため。
- 大正11年、京浜国道建設の際、カマス43俵分のドクロが出た。
参考文献:『日本妖怪巡礼団』 荒俣宏 集英社
- 刑場は1651年に開設。1871年に閉鎖された。10~20万人が処刑されたと言われる。
- 首洗いの井戸、火炙台、磔台などが残っている。
- 井戸から生首が飛び出すなどの噂がある。
参考文献:『ホラースポット探訪ナビ』 吉田悠軌 学研パブリッシング
- 強烈な霊波が感じられる。何体かの霊が石碑や草むらの陰にいる。
- 夜なら何か見えても不思議ではない。
- 脇腹に刺し貫かれるような痛みを感じる。
参考文献:『闇の検証 第四巻』 「HONKOWA」編集部編 朝日新聞出版
鈴ヶ森刑場跡へ行ってきました
品川区にある鈴ヶ森刑場跡にやってまいりました。
ここは江戸時代に刑場があった場所でパワースポットではなく心霊スポットです。
あまり気はすすみませんでしたが、とりあげてしまったので見物に来ました。
「首洗の井」を発見。
ここで切り落とした罪人の首を洗ったんでしょうね。
怖い怖い。
なぜか鯉塚がありました。
こちらは磔台です。
当時は台の穴に角柱が立てられていて、その上部に罪人を縛りつけてブスブス刺して処刑したんだそうです。
お、怖ろしい・・。
磔台の隣には火炙台もありました。
これも当時は台の穴に鉄柱が立てられていて、そこに縛り付けられて生きたまま焼き殺されたのだそうです。
そ、想像するだに怖ろしい・・。
火炙台のそばに線香が置いてあったので1本お供えしてきました。
処刑されてしまった方々が成仏してくれることを願います。
ここは江戸時代に刑場があった場所でパワースポットではなく心霊スポットです。
あまり気はすすみませんでしたが、とりあげてしまったので見物に来ました。
「首洗の井」を発見。
ここで切り落とした罪人の首を洗ったんでしょうね。
怖い怖い。
なぜか鯉塚がありました。
こちらは磔台です。
当時は台の穴に角柱が立てられていて、その上部に罪人を縛りつけてブスブス刺して処刑したんだそうです。
お、怖ろしい・・。
磔台の隣には火炙台もありました。
これも当時は台の穴に鉄柱が立てられていて、そこに縛り付けられて生きたまま焼き殺されたのだそうです。
そ、想像するだに怖ろしい・・。
火炙台のそばに線香が置いてあったので1本お供えしてきました。
処刑されてしまった方々が成仏してくれることを願います。