名称 | 皆中稲荷神社(かいちゅういなりじんじゃ) |
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住所 | 東京都新宿区百人町1-11-16 |
タイプ | 神社 |
参考リンク | 皆中稲荷神社HP |
ご利益
- 江戸城の抜け穴説あり。
- 空襲で焼けた際、東に向かう大人が立って歩ける高さの横穴が発見された。
- 四谷の長善寺(笹寺)にも抜け穴説あり。
参考文献:『地図でわかる天皇家の謎』 歴史謎学倶楽部 宝島社
- 大久保駅一帯の地下には旧陸軍の施設が残り、今は外国人の闇市になっているという噂がある。新大久保駅前ビル、某教会地下のファミレスが入口と言われている。
- 西早稲田駅にはエレベーターが停まらない地下一階がある。戸山公園の下にある政府の基地へつながる通路だという噂がある。
- 皆中稲荷は江戸城の隠し通路の出口だという噂がある。戦災で本殿が焼けた際に地下道が発見された。
参考文献:『ホラースポット探訪ナビ』 吉田悠軌 学研パブリッシング
- 射撃が百発百中になる。
- 勝負運アップ。
- 金運アップ。
- 食べ物に困らない。
- 食あたりにならない。
- お米や野菜などの作物の出来がよくなる。
参考文献:『ご利益別ピンポイント神社』 マガジンハウス編 マガジンハウス
- 1602年、将軍を警護するために鉄砲組百人隊がつくられた。皆中稲荷神社は鉄砲組百人隊の屋敷があった場所に建っている。
- ある日、鉄砲の腕前に悩む百人隊の隊員が居眠りしていた際、夢枕に稲荷大明神が立ち、お宮を探して祀るようにお告げした。そのお告げどおりに宮を探して祀ったら、鉄砲が百発百中で当たるようになったという。そんなことがあってからお宮は百人隊の屋敷内に移され、いつしか「皆あたる」神様、皆中稲荷神社と呼ばれるようになった。
参考文献:『日本の聖地99の謎』 歴史ミステリー研究会編 彩図社
- この神社のある百人町は江戸の西側の守りとして鉄砲組百人隊の屋敷があった場所。徳川家康の鉄砲隊の一人が腕があがらずに悩んでいた時に、この神社で祈願したら鉄砲の腕が急激にアップしたので、仲間たちもこぞって祈願したのだとか。
- 「皆中」と書いて「みなあたる」と読め、宝くじに当るというご利益がある。他にも受験突破や金運、勝負運などにご利益がある。
参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社
皆中稲荷神社へ行ってきました
新宿区百人町にある皆中稲荷神社にやってきました。
来る途中には、なんか韓国人向けのようなお店がいっぱいありましたね。
繁華街にある小さな神社でした。
こちらが社殿。
鉄筋コンクリートっぽいつくり。
江戸時代、このあたりには鉄砲組百人隊の屋敷があったのだとか。
今でもその百人隊の出陣式を再現したお祭りが行われるそうな。
境内にあった案内板には次のように書いてありました。
機会があれば見てみたいものです。
お社の横にいた猫。
なかなか鋭い目つき。
近寄るんじゃねぇオーラを出していました。
小さい神社ですがけっこう参拝客が来てましたね。
やっぱり「当たる」んでしょうか?
そういえば神社のすぐ隣には交番があって警察官が立ってましたね。
ここの警官の銃の腕前はやっぱり凄いのでしょうか?
来る途中には、なんか韓国人向けのようなお店がいっぱいありましたね。
繁華街にある小さな神社でした。
こちらが社殿。
鉄筋コンクリートっぽいつくり。
江戸時代、このあたりには鉄砲組百人隊の屋敷があったのだとか。
今でもその百人隊の出陣式を再現したお祭りが行われるそうな。
境内にあった案内板には次のように書いてありました。
<<江戸幕府 鉄砲組百人隊行列(出陣の儀)>>
皆中稲荷神社の例大祭で隔年(平成は奇数年)に開催される行事で、江戸時代に現在の百人町一帯に屋敷を与えられていた幕府鉄砲組百人隊が、神社に奉納したと伝えられる出陣式を再現したもの。
当日は、甲冑に身を固めた武将が百人町周辺を隊列行進し、火縄銃を携えた鉄砲隊が、数ヶ所で古式にのっとり試射を行う。
鉄砲組は四組あり(百人町に住んだのは二十五騎組、別称大久保組)、通常は交替で江戸城大手三之門を警備した。また、将軍の寛永寺・増上寺・日光東照宮参詣には護衛をした。
皆中稲荷神社は、鉄砲組から信仰された。ある隊士が稲荷の霊夢により百発百中の腕前に上達したことが起源だという。皆中には「みなあたる」の意味がある。
例大祭では、この街中に鉄砲の音が響きわたるんですかね。皆中稲荷神社の例大祭で隔年(平成は奇数年)に開催される行事で、江戸時代に現在の百人町一帯に屋敷を与えられていた幕府鉄砲組百人隊が、神社に奉納したと伝えられる出陣式を再現したもの。
当日は、甲冑に身を固めた武将が百人町周辺を隊列行進し、火縄銃を携えた鉄砲隊が、数ヶ所で古式にのっとり試射を行う。
鉄砲組は四組あり(百人町に住んだのは二十五騎組、別称大久保組)、通常は交替で江戸城大手三之門を警備した。また、将軍の寛永寺・増上寺・日光東照宮参詣には護衛をした。
皆中稲荷神社は、鉄砲組から信仰された。ある隊士が稲荷の霊夢により百発百中の腕前に上達したことが起源だという。皆中には「みなあたる」の意味がある。
機会があれば見てみたいものです。
お社の横にいた猫。
なかなか鋭い目つき。
近寄るんじゃねぇオーラを出していました。
小さい神社ですがけっこう参拝客が来てましたね。
やっぱり「当たる」んでしょうか?
そういえば神社のすぐ隣には交番があって警察官が立ってましたね。
ここの警官の銃の腕前はやっぱり凄いのでしょうか?