名称 | 小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ) |
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住所 | 東京都台東区下谷2-13-14 |
タイプ | 神社 |
参考リンク |
ご利益
- 御祭神は小野篁命。
- 学問。
- 芸能。
- 約250年以上の歴史を持つ本殿が残っている。
- 渥美清、『男はつらいよ』の主役に抜擢される。
- 織姫神社・稲荷神社がある。恋愛・仕事の縁結び。
- SNS依存脱却。
参考文献:『縁切り神社でスッキリ!しあわせ結び』 上大岡トメほか著 平藤喜久子監修 WAVE出版
- 俳優の故・渥美清氏ゆかりの神社。渥美氏がまだ無名だった頃「タバコを一生吸いませんので仕事をください」と願掛けをしたら、その直後に映画『男はつらいよ』の主役に抜擢された。以後渥美氏は死ぬまでタバコを吸わなかった。何か大事なものを絶つ約束をして願掛けすると願いが叶うかもしれない。
- 祭神は平安時代の学者であり歌人でもある小野篁(おののたかむら)。相殿には菅原道真が祀られており、受験生にも人気のある神社。
参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社
小野照崎神社へ行ってきました
台東区にある小野照崎神社に参拝しました。
小さい神社ですけど、社務所がちゃんとあって宮司さんらしき人もいらっしゃいましたよ。
こちらが社殿になります。
木造の社でした。
この神社は関東大震災や東京大空襲でも助かったそうですよ。
ご利益ありそう。
提灯の灯りが素敵。
神社の語由緒を以下に記しておきます。
拝んでおけば、死んで閻魔大王のところに引き出された時に、よろしく口利きしてくれるかも!?
小さい神社ですけど、社務所がちゃんとあって宮司さんらしき人もいらっしゃいましたよ。
こちらが社殿になります。
木造の社でした。
この神社は関東大震災や東京大空襲でも助かったそうですよ。
ご利益ありそう。
提灯の灯りが素敵。
神社の語由緒を以下に記しておきます。
<<小野照崎神社>>
小野照崎神社の祭神は、平安初期の漢学者・歌人として著名な小野篁(おののたかむら)。創祀の年代は不明だが、次のような伝承がある。篁は上野国司の任期を終え、帰洛の途についた際、上野照崎(忍岡、現在の上野公園付近)の風光を賞した。仁寿2年(852)篁が亡くなったとき、その風光を楽しんだ地に彼の霊を奉祀した。その後、江戸時代をむかえ、寛永2年(1625)忍岡に東叡山寛永寺を創建するにあたり、当社を移転することとなり、坂本村の長左衛門稲荷社が鎮座していた現在地に遷した、というものである。また、一説には、忍岡から孔子聖廟が昌平橋に移った元禄4年(1691)頃に遷座したのではないかともいう。
現在の社殿は慶応2年(1866)の建築で、関東大震災や東京大空襲などを免れた。また、境内には、冨士浅間神社・御嶽神社・三峰神社・琴平神社・稲荷神社・織姫神社、さらには庚申塔が現存する。
例大祭は5月19日で、3年に1度、本社の神輿渡御が行われる。
御祭神の小野篁は、この世と冥府を行き来して閻魔大王に仕えていたなんていう伝説のある人ですね。小野照崎神社の祭神は、平安初期の漢学者・歌人として著名な小野篁(おののたかむら)。創祀の年代は不明だが、次のような伝承がある。篁は上野国司の任期を終え、帰洛の途についた際、上野照崎(忍岡、現在の上野公園付近)の風光を賞した。仁寿2年(852)篁が亡くなったとき、その風光を楽しんだ地に彼の霊を奉祀した。その後、江戸時代をむかえ、寛永2年(1625)忍岡に東叡山寛永寺を創建するにあたり、当社を移転することとなり、坂本村の長左衛門稲荷社が鎮座していた現在地に遷した、というものである。また、一説には、忍岡から孔子聖廟が昌平橋に移った元禄4年(1691)頃に遷座したのではないかともいう。
現在の社殿は慶応2年(1866)の建築で、関東大震災や東京大空襲などを免れた。また、境内には、冨士浅間神社・御嶽神社・三峰神社・琴平神社・稲荷神社・織姫神社、さらには庚申塔が現存する。
例大祭は5月19日で、3年に1度、本社の神輿渡御が行われる。
拝んでおけば、死んで閻魔大王のところに引き出された時に、よろしく口利きしてくれるかも!?