名称 | 装束稲荷神社(しょうぞくいなりじんじゃ) |
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住所 | 東京都北区王子2-30-14 |
タイプ | 神社 |
参考リンク |
ご利益
- 昔、大晦日になると関東八カ国からここに狐が集まり、装束を整えてから近くの王子神社へ初詣したという伝説がある。
- 平成5年より、大晦日に狐の行列が行われている。
- 美意識、おしゃれセンスアップ。
参考文献:『ご利益別ピンポイント神社』 マガジンハウス編 マガジンハウス
- 優しい雰囲気のパワーがある神社。
- 毎年大晦日には、この装束稲荷神社から王子稲荷神社へと狐の行列が行われる。
- 狐の行列では神社本殿から尻尾の生えた光の玉のようなものが神輿に飛び乗るのが見えるかもしれない。
- 王子稲荷も近い場所にあるので一緒に参拝するとよい。
参考文献:『みるみる運命を変える!「タオ」のパワースポット45』 御堂龍児 講談社
装束稲荷神社へ行ってきました
東京北区にある装束稲荷神社へ行ってきました。
ビルやマンションなどが立ち並ぶ都会の一角にひっそりと佇んでいる小さな神社でした。
案内板には次のように書かれていました。
こちらのお稲荷さんは商売繁盛の他にも火防のご利益もあるそうです。
なんでも東京大空襲の折、東南から空襲による火災がこちらに向けて広がって来たんだそうですが、この神社のところで火を完全に食い止めて西北一帯の住民を火難から救ったのだとか。
それから衣装にも不自由しなくなるというご利益もあるそうです。
ビルやマンションなどが立ち並ぶ都会の一角にひっそりと佇んでいる小さな神社でした。
案内板には次のように書かれていました。
<<王子の狐火と装束榎>>
かつてこのあたり一面は田畑で、その中に榎の木がそびえていました。
毎年大晦日の夜、関東各地から集まって来た狐たちがこの榎の下で衣装を改めて王子稲荷神社に参詣したといういいつたえがあることから、木は装束榎と呼ばれていました。狐たちがともす狐火によって、地元の人々は翌年の田畑の豊凶を占ったそうです。
江戸の人々は、商売繁盛の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んになっていました。やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようになり、左の広重が描いた絵のように錦絵の題材にもなりました。
昭和4年(1929)、装束榎は道路拡張に際して切り倒され、装束榎の碑が現在地に移されました。後に、この榎を記念して装束稲荷神社が設けられました。平成5年(1993)からは、王子の狐火の話を再現しようと、地元の人々によって、王子「狐の行列」が始められました。毎年大晦日から元日にかけての深夜に、狐のお面をかぶった裃姿の人々が、装束稲荷から王子稲荷までの道のりをお囃子と一緒に練り歩く光景が繰り広げられます。
この辺り一面が田畑だったなんて今では想像できませんね。かつてこのあたり一面は田畑で、その中に榎の木がそびえていました。
毎年大晦日の夜、関東各地から集まって来た狐たちがこの榎の下で衣装を改めて王子稲荷神社に参詣したといういいつたえがあることから、木は装束榎と呼ばれていました。狐たちがともす狐火によって、地元の人々は翌年の田畑の豊凶を占ったそうです。
江戸の人々は、商売繁盛の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んになっていました。やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようになり、左の広重が描いた絵のように錦絵の題材にもなりました。
昭和4年(1929)、装束榎は道路拡張に際して切り倒され、装束榎の碑が現在地に移されました。後に、この榎を記念して装束稲荷神社が設けられました。平成5年(1993)からは、王子の狐火の話を再現しようと、地元の人々によって、王子「狐の行列」が始められました。毎年大晦日から元日にかけての深夜に、狐のお面をかぶった裃姿の人々が、装束稲荷から王子稲荷までの道のりをお囃子と一緒に練り歩く光景が繰り広げられます。
こちらのお稲荷さんは商売繁盛の他にも火防のご利益もあるそうです。
なんでも東京大空襲の折、東南から空襲による火災がこちらに向けて広がって来たんだそうですが、この神社のところで火を完全に食い止めて西北一帯の住民を火難から救ったのだとか。
それから衣装にも不自由しなくなるというご利益もあるそうです。