名称 | 小伝馬町牢屋敷跡 |
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住所 | 東京都中央区日本橋小伝馬町5-2 |
タイプ | 牢屋敷跡 |
参考リンク |
ご利益
- 1859年7月9日、吉田松陰、牢屋敷に入れられる。10月27日、処刑。松陰の碑がある。
- 佐久間象山も入れられた。
参考文献:『真説・歴史紀行 日本のパワースポットを往く』 宮崎正弘 海竜社
- 公園の真ん中あたりに数人の女性の霊が集まっている。
- 時の鐘の後ろからガイドじいさんの霊が現れる。
参考文献:『闇の検証 第四巻』 「HONKOWA」編集部編 朝日新聞出版
小伝馬町牢屋敷跡へ行ってきました
小伝馬町牢屋敷跡にやってきました。
パワースポットではなく心霊スポットとして知られている場所らしいので、あまり来たくなかったですが、まあ負のパワースポットと考えれば、見ておく価値もあるかなと思って来てみました。
ここは江戸時代に牢屋敷があったそうですが、現在は十思公園という公園になっています。
もっとも牢屋敷の面積は2600余坪もあったそうで、この公園よりもっと広かったみたいです。
牢屋敷跡の一部が公園になったといった方が正確ですね。
牢屋敷の定員は350名程度で、最大700名くらい収容できたとか。
牢屋敷は270年間ほど存続し、その間、数十万人もの人がぶち込まれたそうです。
牢は、旗本の士をぶち込む揚座敷、士分僧侶をぶち込む揚屋、平民をぶち込む大牢、百姓をぶち込む百姓牢、婦人をぶち込む女牢など、身分・性別などで分かれていたみたいです。
有名人では吉田松陰や橋本左内などがここに入れられていたそうな。
それにしても、誰もいない寂しい感じのする公園でした。
たまたまでしょうか?
公園内に鉄筋コンクリート造の鐘楼があって、鐘がつるされています。
なんでも江戸時代最初の時の鐘なんだそうです。
これを鳴らして時を知らせていたんですね。
この鐘が鳴るのを合図に処刑も行われたとか。
こわいこわい。
一発鳴らしてやろうかなと思ったんですが、階段のところが封鎖されており、鐘楼にはのぼれなくなってたので諦めました。
公園内には「松陰先生終焉之地」と書かれた碑も建っていました。
処刑の時が近づいた吉田松陰は獄中で留魂録を書き上げ、その冒頭には「身はたとひ武さしの野辺に朽ちぬともとどめ置かまし大和魂」と記したとか。
もし松陰の大和魂が留め置かれているなら、あやかりたいものだと、ヘタレの私は思いました。
パワースポットではなく心霊スポットとして知られている場所らしいので、あまり来たくなかったですが、まあ負のパワースポットと考えれば、見ておく価値もあるかなと思って来てみました。
ここは江戸時代に牢屋敷があったそうですが、現在は十思公園という公園になっています。
もっとも牢屋敷の面積は2600余坪もあったそうで、この公園よりもっと広かったみたいです。
牢屋敷跡の一部が公園になったといった方が正確ですね。
牢屋敷の定員は350名程度で、最大700名くらい収容できたとか。
牢屋敷は270年間ほど存続し、その間、数十万人もの人がぶち込まれたそうです。
牢は、旗本の士をぶち込む揚座敷、士分僧侶をぶち込む揚屋、平民をぶち込む大牢、百姓をぶち込む百姓牢、婦人をぶち込む女牢など、身分・性別などで分かれていたみたいです。
有名人では吉田松陰や橋本左内などがここに入れられていたそうな。
それにしても、誰もいない寂しい感じのする公園でした。
たまたまでしょうか?
公園内に鉄筋コンクリート造の鐘楼があって、鐘がつるされています。
なんでも江戸時代最初の時の鐘なんだそうです。
これを鳴らして時を知らせていたんですね。
この鐘が鳴るのを合図に処刑も行われたとか。
こわいこわい。
一発鳴らしてやろうかなと思ったんですが、階段のところが封鎖されており、鐘楼にはのぼれなくなってたので諦めました。
公園内には「松陰先生終焉之地」と書かれた碑も建っていました。
処刑の時が近づいた吉田松陰は獄中で留魂録を書き上げ、その冒頭には「身はたとひ武さしの野辺に朽ちぬともとどめ置かまし大和魂」と記したとか。
もし松陰の大和魂が留め置かれているなら、あやかりたいものだと、ヘタレの私は思いました。