名称 | 上野公園(うえのこうえん) |
---|---|
住所 | 東京都台東区 |
タイプ | 公園 |
参考リンク | 上野恩賜公園HP |
ご利益
- 近くのNTTビルのあたりでむかし彰義隊士・藤田重之丞の祟りがあったという。
参考文献:『ムー』478号 ワン・パブリッシング
- 戊辰戦争での上野の戦いは、明治政府による江戸の鬼門守護者(寛永寺)破壊。
参考文献:『地図でわかる天皇家の謎』 歴史謎学倶楽部 宝島社
- 戊辰戦争の際、官軍と彰義隊が激戦を繰り広げた。300人は戦死した。
- 不忍池には主が棲むという噂が江戸時代初期からあった。天明年間に池に竜巻が発生。竜が天に上ったものか。
- 清水堂の軒には左甚五郎作とされる竜の彫刻がある。この竜が夜な夜な不忍池に水を飲みに降りていったという。
- 上野池之端にあった錦袋園という薬屋に娘が生まれた。その娘は18の時に池に入って大蛇に化けたという。戊辰戦争の折、官軍に祟った。明治になってから印旛沼に移った。
- 西郷さんの銅像は彰義隊の怨霊を押さえつけている。
- 南千住の円通寺に東叡山の表門、通称「黒門」が残っている。彰義隊の墓もある。
参考文献:『日本妖怪巡礼団』 荒俣宏 集英社
- 寛永寺は江戸城の鬼門(北東)を守っていた。
- 上野山の最高のパワースポットは噴水広場。四神相応の地になっている。寛永寺の本堂跡地。
- 花園稲荷神社の本殿の手前に穴稲荷がある。上野山の主であった弥佐衛門という狐が住んでいたとされる穴が御神体。寛永寺を造営する際、天海僧正のところに弥佐衛門狐が陳情に来た。天海は巣穴を保護することを約束。以来、穴稲荷の狐たちは上野山の守護霊となり人々の願いを叶えてくれるようになった。
- 不忍池を見に行くなら蓮の花の咲く7、8月の早朝がおすすめ。
参考文献:『体感パワースポット』 出口衆太郎 BABジャパン
- 文化9年(1812)、寅吉という7歳の少年が上野の池之端、五条天神の境内で変な老人に遭遇。老人は小さな壺に入って飛んだという。寅吉はその老人と一緒に小さな壺に入って各地を飛行するようになる。やがて岩間山へ飛び、そこで様々な修行をし超能力を身につけた。
参考文献:『日本史 怖くて不思議な出来事』 中江克己 PHP研究所
- 「上野大仏」というのがある。顔だけの大仏。地震によって倒壊し顔のみが残された。「これ以上落ちようがない」ということで、受験生のパワースポットとして人気。
参考文献:『全国パワースポットPERFECT BOOK』 イースト・プレス
- 寛永寺は、京都の比叡山と同じように、江戸の鬼門封じのために建立されたといわれている。しかし、徳川家康の時代に東叡山と呼ばれ比叡山の関東版とみなされたのは、仙波(川越市)の喜多院だった。ちなみに当時喜多院に君臨していたのは南光坊天海。
- 徳川家康の死後、家康に与える神号をどうするか、明神号と権現号でもめた。天海は、豊臣秀吉が死後に明神号で祀られ後に一族が滅んだ史実を挙げ、権現号にすることを主張し、結局その意見が通った。それまで江戸の鬼門を守っていたのは神田明神だったが、上記の天海理論によれば明神の霊力は頼りにならないので、さらに強力な鬼門封じを施すため、天海は、上野に新しい喜多院を置き、明神よりも強力な大権現を配置する案を提出した。こうして、将門と家康に江戸の鬼門を守らせる最強の霊的バリアができた。
参考文献:『日本の秘地・魔界と聖域』 小松和彦、荒俣宏、他 KKベストセラーズ
- 上野公園一帯はむかし寛永寺の敷地だったが戊辰戦争で消失した。
- 寛永寺は江戸城の鬼門を封じるために建立された。京都の鬼門封じ比叡山・延暦寺を模している。
- 天海僧正毛髪塔は真ん中に封をするような感じで徳川家の家紋が光っている。黒い法衣のガタイのいい僧侶の霊が出る。その僧侶曰く「(上野公園は)人々が幸せを尊ぶ聖地」。
- 上野大仏・パゴダの大仏はナルシスト。心の中の邪を消し素直な心で接するとよい。
- 花園稲荷神社には大きな狐様がいる。人の通れない所も通れる獣道(けものみち)のコミュニケーションで縁をつないでくれる。この狐様は白いオシメが好き。白いオシメが好きというのは、間引き子を狐に捧げて願掛けする人がいたからかもしれない。贄(にえ)の代わりに柑橘類を供えるといいかもしれない。花園稲荷の旧跡「穴稲荷」は重たい感じがする。
- 五條天神社の本殿内には糊(のり)のきいてない白い着物を着たお坊さんの霊が現れる。上野を尊ぶコツは贅(ぜい)を見ることだと言っている。
- 上野東照宮にはやんごとなきパワーがある。参道右側に神楽殿がある。この神楽殿で1度北辰へ祈りを捧げてから本殿へ向かうのがここの流儀。
- 上野公園大噴水のところには(霊的な)三つ柱があり上で交わっている。ここはむかし寛永寺の根本中堂があった場所。
参考文献:『スピ☆散歩ぶらりパワスポ霊感旅 2』 伊藤三巳華 朝日新聞出版
- 上野あたりは雑多な霊がいる。
- 彰義隊の墓の前は何かを焼いているようなコゲ臭いニオイがする。彰義隊の霊は浄化している。
- 彰義隊墓所から天海僧正毛髪塔まで霊的波動の流れがある。天海が呼んでいるようだ。
- 東照宮の本殿の天井付近に何かいる。左の神像の側にも一体いる。
- 彰義隊墓所、天海僧正毛髪塔からの波動は五重塔の脇へ流れてきており霊道をつくっている。霊道は途中でなぜか二つに分かれている。徳川家に対する忠誠心の違いかもしれない。
- 霊道は新黒門口跡から発している。ここは彰義隊が激戦を繰り広げた場所。
- 寛永寺の黒門は現在、上野から少し離れたところにある円通寺というお寺に保存されている。そこに15歳くらいの少年の地縛霊がいる。門にもたれかかって死んでいる。
- 上野公園の北側の谷中・五重塔跡には心中者の霊がいる。頭がおかしい人らしい。
- 谷中霊園あたりは雑多な浮遊霊がウヨウヨいる。
参考文献:『闇の検証 第四巻』 「HONKOWA」編集部編 朝日新聞出版
上野公園へ行ってきました
台東区にある上野公園にやってきました。
広い公園で見所満載な公園です。
とりあえず五條天神社と花園稲荷神社から見物してみました。
こちら花園稲荷神社。
詳しい由来は不明だそうですが、昔からこの地にあって「穴の稲荷」とか「忍岡稲荷」といわれていたそうです。
天海大僧正の高弟晃海僧正が霊夢に感じてお社を再建して上野の山の守護神としたんだとか。
花園という名前は、ここらへんが寛永寺のお花畑だったことからつけられたものだそうです。
この神社の狐様はオシメが好きという怪情報があるので、オシメを買って行こうかなとも思いましたが、迷惑になりそうなのでやめておきました。
花園稲荷神社のすぐ近くに「穴稲荷」というのがあります。
花園稲荷の旧跡だそうです。
奥にあるお社は天海が住処を失った狐を憐れみ祀ったものだとか。
こっちは五條天神社。
「天神社」というからには主祭神は菅原道真公かと思いきや、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が主祭神だそうです。
いちおう菅原道真公も祀られていますけどね。
神社の由来書きを読むと、道真公が祀られるようになったのは江戸時代かららしいです。
でもこちらの神社の歴史はもっと古くて、その創始は第12代景行天皇の御代にまでさかのぼるそうな。
なんでも日本武尊の東征の際、大己貴命・少彦名命の二神がこの地で奇瑞を現したんだとか。
それでここに両神を祀ったのが始まりらしいです。
こちらは上野大仏です。
顔だけの大仏です。
もともとは胴体もあったそうですが、地震などで破損し結局顔だけになってしまったのだとか。
この大仏様の受難の歴史を以下に簡単にまとめてみました。
というような事で顔だけになってしまったようです。
かわいそうな大仏様です。
「これ以上落ちようがない」ということで受験生に人気らしいですけど、本当にご利益あるんでしょうかね?
上野大仏の近くにある仏塔。
こちらは薬師如来を祀ってあります。
病気平癒のご利益があるそうです。
東照宮も見物。
写真は唐門です。
金ピカのゴージャスな門でした。
東照宮にあった神楽殿。
他の参拝客は誰も見向きもしない建物なのですが、私のリサーチによりますと、ここの東照宮ではまずこの神楽殿で北辰に祈りを捧げるとよいという情報があるのです。
しかし、けっこう参拝客もいる中でこの建物に向かって祈りを捧げるのは少し勇気がいりますね。
こちらは噴水広場。
昔ここに寛永寺の根本中堂があったとか。
こちらは彰義隊の墓です。
ここは彰義隊が激戦を繰り広げた所であり遺体の火葬場ともなったそうな。
怖い怖い。
焦げたニオイは感じませんでしたが。
有名な西郷さんの銅像。
天海僧正毛髪塔です。
私のリサーチによると、ここらへんから霊的波動が出ているらしいですが、鈍感なので何も感じませんでした。
もう少し見てまわりたい所もありましたが日が暮れてきたので撤収。
広い公園で見所満載な公園です。
とりあえず五條天神社と花園稲荷神社から見物してみました。
こちら花園稲荷神社。
詳しい由来は不明だそうですが、昔からこの地にあって「穴の稲荷」とか「忍岡稲荷」といわれていたそうです。
天海大僧正の高弟晃海僧正が霊夢に感じてお社を再建して上野の山の守護神としたんだとか。
花園という名前は、ここらへんが寛永寺のお花畑だったことからつけられたものだそうです。
この神社の狐様はオシメが好きという怪情報があるので、オシメを買って行こうかなとも思いましたが、迷惑になりそうなのでやめておきました。
花園稲荷神社のすぐ近くに「穴稲荷」というのがあります。
花園稲荷の旧跡だそうです。
奥にあるお社は天海が住処を失った狐を憐れみ祀ったものだとか。
こっちは五條天神社。
「天神社」というからには主祭神は菅原道真公かと思いきや、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が主祭神だそうです。
いちおう菅原道真公も祀られていますけどね。
神社の由来書きを読むと、道真公が祀られるようになったのは江戸時代かららしいです。
でもこちらの神社の歴史はもっと古くて、その創始は第12代景行天皇の御代にまでさかのぼるそうな。
なんでも日本武尊の東征の際、大己貴命・少彦名命の二神がこの地で奇瑞を現したんだとか。
それでここに両神を祀ったのが始まりらしいです。
こちらは上野大仏です。
顔だけの大仏です。
もともとは胴体もあったそうですが、地震などで破損し結局顔だけになってしまったのだとか。
この大仏様の受難の歴史を以下に簡単にまとめてみました。
寛永8年(1631)、越後村上藩主・堀直寄が仏像を造立。
正保4年(1647)、地震で頭部が崩れ落ちる。
天保12年(1841)、火災で顔が落ち砕ける。
安政2年(1855)、安政の大地震で首が落ちる。
大正12年(1923)、関東大震災で頭が落ちる。
第2次世界大戦時、体が軍需品製造のために差し出される。
正保4年(1647)、地震で頭部が崩れ落ちる。
天保12年(1841)、火災で顔が落ち砕ける。
安政2年(1855)、安政の大地震で首が落ちる。
大正12年(1923)、関東大震災で頭が落ちる。
第2次世界大戦時、体が軍需品製造のために差し出される。
というような事で顔だけになってしまったようです。
かわいそうな大仏様です。
「これ以上落ちようがない」ということで受験生に人気らしいですけど、本当にご利益あるんでしょうかね?
上野大仏の近くにある仏塔。
こちらは薬師如来を祀ってあります。
病気平癒のご利益があるそうです。
東照宮も見物。
写真は唐門です。
金ピカのゴージャスな門でした。
東照宮にあった神楽殿。
他の参拝客は誰も見向きもしない建物なのですが、私のリサーチによりますと、ここの東照宮ではまずこの神楽殿で北辰に祈りを捧げるとよいという情報があるのです。
しかし、けっこう参拝客もいる中でこの建物に向かって祈りを捧げるのは少し勇気がいりますね。
こちらは噴水広場。
昔ここに寛永寺の根本中堂があったとか。
こちらは彰義隊の墓です。
ここは彰義隊が激戦を繰り広げた所であり遺体の火葬場ともなったそうな。
怖い怖い。
焦げたニオイは感じませんでしたが。
有名な西郷さんの銅像。
天海僧正毛髪塔です。
私のリサーチによると、ここらへんから霊的波動が出ているらしいですが、鈍感なので何も感じませんでした。
もう少し見てまわりたい所もありましたが日が暮れてきたので撤収。